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2020年11月10日 (火) 22:06時点における版

入来 智
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮崎県都城市[1]
生年月日 (1967-06-03) 1967年6月3日(57歳)
身長
体重
178 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1989年 ドラフト6位
初出場 NPB / 1990年4月18日
KBO / 2003年
CPBL / 2004年3月28日
最終出場 NPB / 2002年5月15日
KBO / 2003年
CPBL / 2004年6月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

入来 智(いりき さとし、1967年6月3日 - )は、宮崎県都城市出身[1]の元プロ野球選手投手)。右投右打。弟の入来祐作も元プロ野球選手で、1999年から2000年までは兄弟同時に読売ジャイアンツに在籍していた[1]

経歴

小学4年から野球を始める[1]鹿児島実高では、1985年夏の鹿児島大会で準決勝に進むが、鹿児島商工に敗退。卒業後は三菱自動車水島に入社。

1989年度ドラフト会議にて近鉄バファローズから6位指名を受けて入団[1]。同期には野茂英雄や後に在籍した巨人でもチームメイトになった石井浩郎らがいる。球威とマウンド度胸を見込まれ先発・中継ぎ・抑えと全てこなす便利屋的存在として活躍し、5年間で125試合に登板した。1996年6月、吉本亮との交換トレード広島東洋カープへ移籍[1]。ここでは出番が少なく、同年オフに吉本亮と返却トレードを行い近鉄に復帰[1][2]。再びリリーフとして結果を残す。

1999年読売ジャイアンツへ移籍。弟・祐作とチームメイトになり球団史上初の現役兄弟選手となった[1]。しかし2000年オフに戦力外通告を受ける[1]

2001年ヤクルトスワローズへ移籍すると、自己最多の10勝をあげリーグ優勝・日本一に貢献。特に前半は8勝をマークするなど同年のオールスターゲームに監督推薦で初出場し、祐作と史上初のオールスター戦での兄弟継投を行った[1]。しかし2002年は故障により1勝しか挙げられず、オフに2度目の戦力外通告を受ける[1]。尚、この二年間で兄弟対決の実現はなされなかった。

2003年韓国プロ野球斗山ベアーズに入団[1]。韓国プロ野球初の外国人枠登録による日本人投手となった。それまでに韓国プロ野球球団に在籍していた日本人選手は、韓国系で日本国籍を保持する人物を除けば、知人の韓国人の協力で在日コリアンと偽って入団した宮城弘明(元ヤクルト)を除き全て在日コリアン(韓国人の血が少しでも入っていれば在日コリアンと認められた)だった。2004年台湾La Newベアーズへ移籍。4勝をマークしたがシーズン途中で解雇され、同年限りで現役を引退。

その後は宮崎県都城市にて妻の兄が経営する仕出し・手作り弁当屋「かかし亭」に勤務する。2008年1月21日フジテレビで放映された『とくダネ!』の「走れ!三面刑事」というコーナーで山下真司の取材を受けた。野球からは遠ざかっているとのことだが山下との野球対決では現役時と変わらぬ速球を見せた。なお、引退した理由は肩や肘の故障ではなく、7度にわたる太腿の肉離れであることが明らかにされた。その後2008年4月に熱心な仕事ぶりが認められ、宮崎市内にオープン予定の「かかし亭」2号店を任せられることになった(後に退職)。引退後は実に10回の転職を繰り返した[3]が現在は都城市「かかし亭」谷頭店で働いている。

選手としての特徴・人物

140km/h台後半の直球を武器にした内角への強気のピッチングが持ち味であり、その投球スタイルは「ケンカ投法」と呼ばれていた。

1994年の対オリックス戦で打者の小川博文から側頭部に打球を受けた。心配したナインが駆け寄るが本人は全く痛がる様子もなくその後も続投した。このシーンはフジテレビ系列のテレビ番組プロ野球珍プレー・好プレー大賞でよく放送されていた。

1995年の対ロッテ戦で打者のピート・インカビリアの頭部に死球を与え乱闘騒ぎになり、その際インカビリアにマウンド上で張り倒された。

1997年8月24日に近鉄は千葉ロッテマリーンズ相手に10点差を逆転して11-10で勝利したが、近鉄の11点目(決勝点)を記録したのが、四球で出塁した山本和範代走で登場した入来だった。当時のパ・リーグは交流戦がなく投手が打席に立つことがほとんどないため、この年の入来の打撃成績は打席数0ながら得点1が記録されている。

1997年8月30日(対ダイエー戦、大阪ドーム)で近鉄復帰後先発勝利を飾った時には「(同年巨人に入団した)弟に負けられない。」とコメントし復活への足掛かりとなった。

ヤクルトへ移籍した際「僕は、巨人に復讐する為にやってきました! だから他の4球団の投手の方は、僕に巨人攻略法を聞きに来てください」と反巨人を宣言。(それまでは、巨人ファンだった)その怒りのパワーが功を奏し、2001年ヤクルトの優勝に大きく貢献し、オールスターにも初めて選出された。また、日本シリーズで近鉄に勝利し、日本シリーズを含めての全球団から勝利を達成している。さらにそれまで力一辺倒の投球だったが、ヤクルト時代バッテリーを組んだ古田敦也からスローカーブ等を交えた緩急の投球を教わったことで、ヤクルト移籍初年度の活躍に繋がり、「僕にとってまさに運命の人」と発言していた。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1990 近鉄 7 1 0 0 0 0 0 0 -- .000 39 7.2 14 2 4 0 1 6 0 0 10 9 10.57 2.35
1991 10 4 4 2 0 4 0 0 -- 1.000 205 51.2 35 3 17 0 3 23 0 0 16 14 2.44 1.01
1992 15 7 1 0 1 4 3 1 -- .571 245 53.1 66 8 19 0 3 38 3 0 41 40 6.75 1.59
1993 26 9 1 1 0 5 5 0 -- .500 340 80.2 68 5 33 2 6 70 0 0 36 30 3.35 1.25
1994 44 4 0 0 0 4 6 1 -- .400 468 107.0 128 12 34 1 2 67 0 0 56 50 4.21 1.51
1995 23 4 0 0 0 0 3 0 -- .000 225 50.2 61 7 14 0 3 43 0 0 30 30 5.33 1.48
1996 広島 6 2 0 0 0 0 3 0 -- .000 80 17.0 20 2 8 0 2 14 1 0 17 10 5.29 1.65
1997 近鉄 6 1 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 50 13.1 14 1 1 0 0 10 0 0 4 4 2.70 1.13
1998 25 1 0 0 0 4 3 0 -- .571 208 47.2 46 2 26 2 2 37 1 2 30 29 5.48 1.51
1999 巨人 22 0 0 0 0 2 1 0 -- .667 104 21.2 24 3 17 1 1 23 1 0 10 10 4.15 1.89
2001 ヤクルト 24 20 1 0 1 10 3 0 -- .769 528 129.1 117 16 32 2 4 80 1 0 42 41 2.85 1.15
2002 6 5 0 0 0 1 3 0 -- .250 117 25.2 33 6 6 0 1 11 1 0 19 19 6.66 1.52
2003 斗山 39 20 5 1 -- 7 11 5 0 .389 676 159.0 155 17 53 3 9 87 2 0 68 66 3.74 1.31
2004 La New 11 11 3 0 0 4 6 0 0 .400 331 77.0 81 6 19 0 7 59 3 0 39 29 3.39 1.30
NPB:12年 214 58 7 3 2 35 30 2 -- .538 2609 605.2 626 67 211 8 28 422 8 2 311 286 4.25 1.38
KBO:1年 39 20 5 1 -- 7 11 5 0 .389 676 159.0 155 17 53 3 9 87 2 0 68 66 3.74 1.31
CPBL:1年 11 11 3 0 0 4 6 0 0 .400 331 77.0 81 6 19 0 7 59 3 0 39 29 3.39 1.30

表彰

記録

背番号

  • 41 (1990年 - 1995年)
  • 40 (1996年)
  • 42 (1997年 - 1998年)
  • 44 (1999年 - 2000年)
  • 28 (2001年 - 2002年)
  • 29 (2003年 - 2004年)

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、67ページ
  2. ^ 事実上相互間のレンタル移籍だった可能性がある。
  3. ^ 転職10回…第2の人生に苦しむ入来智氏支える献身的な妻”. スポーツニッポン (2015年5月20日). 2015年5月21日閲覧。

関連項目

外部リンク