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{{Infobox 両国関係|日本とモンゴルの|Japan|Mongolia|日本|モンゴル国}} |
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'''日本とモンゴルの関係'''({{lang-mn|Монгол, Японы харилцаа}}、{{lang-en|Japanese-Mongolian relationship}})では、[[日本]]と[[モンゴル国]](以下では歴史的推移を述べるためモンゴルと表記する)の[[二国間関係]]について述べる。日本とモンゴルは[[13世紀]]に起きた[[元寇|蒙古襲来]]により交流が始まったが、両国は[[20世紀]]後半まで正式な国交を結ぶことはなかった。'''日蒙関係'''とも。 |
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==歴史== |
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===モンゴル帝国の侵攻=== |
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{{further|元寇|文永の役|弘安の役}} |
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[[モンゴル帝国]]([[元 (王朝)|元]]王朝)は[[高麗]](現在の[[朝鮮半島]])制圧後、[[皇帝]][[クビライ]](元の世祖)の意向もあり[[日本列島]]への侵攻を計画した{{sfn|Sanders|2010|p=356}}。 |
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クビライは[[1268年]]に複数の使節団を日本に送り込み、日本の「王」に対してモンゴル帝国に臣従することを求めた。この使節団が無視もしくは追い返されたことで、クビライは[[1274年]]10月に船900艘、兵士20,000人からなる軍隊を送り込み、[[対馬海峡]]を通って[[対馬]]へと侵攻を開始した。 |
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この最初の侵攻となった[[文永の役]]では、対馬と[[壱岐]]を制圧して[[博多湾]]へと上陸して[[博多]]の町を焼き討ちしたが、撤退途中には日本人が後に[[神風]]と呼んだ暴風雨の影響を受けて、船団が崩壊するなど日本侵攻は散々な結果に終わった{{sfn|Sanders|2010|p=356}}。 |
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その後もクビライは日本侵攻をあきらめず、2回目の侵攻が行われた。2回目の侵攻では、既に襲来に備えて[[元寇防塁]]を築くなど周到な準備をしていた日本人は侵攻軍に大きな打撃を与えた。結果として、クビライは1279年に征服を完了した旧[[南宋]]の船団からなる新たな船団を組織、高麗より提供された900艘を越える軍船を従え、兵力約15万、軍船約4400艘からなる軍隊を日本へと送り込むこととなった。 |
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高麗の船団は、旧南宋の艦隊が到着する以前の[[1281年]]5月に日本に到着し、[[南宋]]の船団を待つことなく博多で侵攻を開始したが、全くの失敗に終わった。その後[[弘安の役]]が開始された。旧南宋の船団は高麗軍の侵攻が失敗に終わった後に到着し、同じく博多に侵攻したものの日本軍を征服することはできなかった。全く成果を得られない中で[[8月15日]]に、文永の役と同様『神風』と呼ばれる[[台風]]が来襲、旧南宋の船団は散り散りになり、日本侵攻は失敗に終わった{{sfn|Sanders|2010|p=357}}。 |
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元寇後も[[日元貿易]]が継続していたが、元が[[明]]によって中国本土から追われると、両者の関係は途絶えることになる。 |
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===20世紀前半=== |
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日本が[[日清戦争]]に勝利し、20世紀初頭に世界の一新興勢力となったことがきっかけとなって数世紀に渡りモンゴルを支配下においてきた[[清]]が崩壊し([[辛亥革命]])、[[1911年]]に{{仮リンク|外蒙古独立|en|Outer Mongolian Revolution of 1911}}(詳細は[[モンゴルの歴史]]を参照)が起きると、[[ボグド・ハーン]]によるモンゴルの[[ボグド・ハーン政権]]は世界の様々な国に公式の国交樹立を求めて内務大臣を含む使節団を派遣した。日本もこの中に含まれており、[[1913年]]に{{仮リンク|ダーラム・ツェレンチメド|en|Da Lam Tserenchimed}}を日本へと派遣、{{仮リンク|トグス・オチリン・ナムナンスレン|en|Tögs-Ochiryn Namnansüren}}に[[大正天皇]]に対する国書を持たせたものの、いずれも失敗に終わった<ref>{{Cite web|url=http://www.city.itabashi.tokyo.jp/c_kurashi/005/005849.html|title=もんごるレポート2006 モンゴルにおける日本研究 (1)|publisher=[[板橋区]]|date=2008-04-01|accessdate=2013-05-22}}</ref>{{sfn|Sanders|2010|p=357}}。やがて、[[1921年]]の[[モンゴル革命]]によってボグド・ハーン政権は[[ソビエト連邦]]の影響下に置かれ、[[1924年]]には[[社会主義国家]]として[[外モンゴル]]に[[モンゴル人民共和国]]が建国された。一方、[[中華民国]]領土に留められた[[内蒙古|内モンゴル]]は[[日中戦争]]中には日本の占領下に置かれ、[[蒙古聯盟自治政府]]や[[蒙古聯合自治政府]]が設置された。また後に[[内モンゴル自治区]]東部となった東モンゴル地域([[興安省]])は日本支配下の[[満州国]]に組み入れられ、[[モンゴル族]]は[[五族協和 (満州国)]]で挙げられる一民族となった。[[1939年]]の[[ノモンハン事件]]と[[1945年]]の[[ソ連対日参戦]]では、ソ連[[赤軍]]と連携した[[モンゴル国の軍事|モンゴル人民軍]]([[ザバイカル戦線]])が日本軍([[関東軍]]、[[駐蒙軍]])と元寇以来の戦火を交え、モンゴルは内モンゴル東部から西部までほぼ占領して[[戦勝国]]となる。満州国のモンゴル族代表だった[[ボヤンマンダフ]]や[[ジョンジュルジャブ]]・[[カンジュルジャブ]]兄弟は関東軍に従わずソ蒙連合軍に投降し、蒙古聯合自治政府の[[デムチュクドンロブ]](徳王)と[[李守信]]は中国の[[北京]]で駐蒙軍と離れ後にモンゴル人民共和国に逃れることとなった。[[日本の敗戦]]後に[[シベリア抑留|ソ連に抑留された旧日本軍将兵]]には、モンゴル人民共和国で労役を課せられた者もいた。邦人の引き揚げが成功した内モンゴルに[[中国残留日本人|残留日本人]]は殆どなかった上に、内モンゴルを支配した[[中華人民共和国]]が当時日本と国交を結ばなかったことで日本と内モンゴルの関係も途絶えた(日本と中華人民共和国の国交樹立は1972年)。 |
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===20世紀後半=== |
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[[第二次世界大戦]]以降、日本との関係は没交渉となったが、[[1961年]]、モンゴルが国際連盟に加入した際に事実上国家としての承認を行った。[[1972年]][[2月19日]]、双方で「外交関係の設定と大使級の外交代表の交換に合意した」とする共同コミュニケが発表され、同月中に国交が開かれた<ref>「モンゴルと来週国交」『朝日新聞』昭和47年(1972年)2月19日夕刊、3版、1面</ref>。[[1977年]]の経済協力協定においてノモンハン事件の対日賠償請求を取り下げさせるために50億円を日本が無償贈与し、ウランバートルに[[カシミヤ]]工場がつくられた。日本人抑留者の問題に象徴されるように[[1989年]]の[[モンゴル民主化運動]]まで[[冷戦]]の影響を引き摺っていたが、[[宇野宗佑]]外務大臣(当時)が1989年4月にモンゴルを要人として初訪問、1990年3月に[[ドゥマーギーン・ソドノム]]首相による日本初訪問に続いて、1991年8月に[[海部俊樹]]首相が公式訪問することとなった。これは非[[東側諸国]]地域の首相初のモンゴル訪問となった{{sfn|Sanders|2010|p=358–359}}。 |
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=== 21世紀 === |
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2007年には[[ナンバリーン・エンフバヤル]]大統領の招待により[[徳仁|皇太子徳仁親王]]がモンゴルを初訪問している<ref>{{Cite web|url=http://www.mn.emb-japan.go.jp/news/jp388.html |title=皇太子殿下のモンゴル御訪問|publisher=[[外務省]]|accessdate=2013-05-22}}</ref>。 |
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近年、日本とモンゴルは関係強化の道筋を探っている<ref>{{Cite web|url=http://online.wsj.com/article/SB10001424127887324685104578392123216653156.html |title=Japan Seeks Stronger Mongolia Ties|publisher=Wall Street Journal|date=2013-03-30|accessdate=2013-05-22}}</ref>。2008年、[[トゥブ県]]への新国際空港(現在、国際線は[[チンギスハーン国際空港]]により運用されている)建設のため、[[国際協力銀行]]は288億円 (3.85億ドル) をモンゴル国政府に対して融資した。建設は2012年に開始され、2018年に空港が完成予定である。新空港は首都から60kmの位置にあり、年間165万人の乗客を見込んでいる<ref>{{cite news| title = Mongolia starts to build new int'l airport| url= http://www.chinadaily.com.cn/xinhua/2012-04-24/content_5751528.html| newspaper= China Daily|date=2012-02-24 |accessdate= 2013-05-22}}</ref>。 |
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==貿易== |
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2011年時点における二国間の貿易額は以下のようになっている。日本への主要輸出品目は[[石炭]]や[[蛍石]]などの鉱物資源、繊維製品など、日本からの主要輸出品目は[[自動車]]、建設・鉱山用機械となっている<ref name="mofa">{{Cite web|url=http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/mongolia/data.html#06|title=二国間関係 - モンゴル国|publisher=[[外務省]]|accessdate=2020年5月15日}}</ref>。また、日本はモンゴルにとって[[中華人民共和国|中国]]、[[ロシア]]、[[アメリカ合衆国]]につぐ4番目の主要輸入相手国となっている。 |
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*対モンゴル輸出額:256.89億円 |
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*対モンゴル輸入額:14.05億円 |
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経済協力協定が1977年に、貿易協定が1990年に、投資保護協定が2001年に結ばれたものの、日本企業の支店開設数は2012年4月時点で0社、駐在出張所が24社と少ない。しかし、[[投資]]をはじめとする経済協力を容易にするための日本・モンゴル[[経済連携協定]](EFA)交渉が2012年6月と12月に継続して開催され<ref name="mofa"/>、2015年1月15日署名、2016年6月7日に協定発効となった。 |
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==交流== |
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2019年時点で在日モンゴル人は10,987名人、在モンゴル日本人は552人となっている<ref name="mofa"/>。 |
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文化面では、日本の[[国技]]とされる[[相撲]]分野において1990年代以降元[[小結]]の[[旭鷲山昇]]・元[[関脇]]の[[旭天鵬勝]]を皮切りにモンゴル人力士が多数来日して活躍するようになり、2017年12月末までに[[朝青龍明徳]]([[引退]])・[[白鵬翔]]・[[日馬富士公平]](引退)・[[鶴竜力三郎]]の4横綱を輩出している(この数字は[[平成]]になってからでは一ヶ国・一都道府県の出身横綱として最多である)。なお、白鵬の父である[[ジグジドゥ・ムンフバト]]は[[1964年東京オリンピック]]に[[レスリング]]選手として出場している。また、同じ日本の国技である[[柔道]]も相撲同様モンゴル国内では盛んに行われている。 |
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==外交使節== |
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===駐モンゴル日本大使=== |
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* [[新関欽哉]](1972~1973年) |
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* [[柘植格]](1973~1977年) |
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* [[秋山光路]](1987~1980年) |
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* [[秋保光孝]](1980~1982年) |
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* [[小崎昌業]](1982~1984年) |
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* [[高瀬秀一]](1987~1991年) |
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* [[末澤昌二]](1991~1993年) |
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* [[蓮見義博]](1993~1996年) |
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* [[久保田真司]](1996~1999年) |
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* [[花田麿公]](1999~2002年) |
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* [[當田達夫]](2002~2005年) |
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* [[市橋庫吉]](2005~2009年) |
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* [[城所卓雄]](2009~2011年) |
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* [[清水武則]](2011~2016年) |
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* [[高岡正人]](2016~2019年) |
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* [[小林弘之]](2019年~)<ref name="歴代駐モンゴル国大使">[https://www.tokyo.embassy.mn/jpn/index1.php?moduls=5 モンゴル国と日本の歴代大使 | 駐日モンゴル国大使館] - 2020年9月20日</ref> |
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===駐日モンゴル大使=== |
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* {{仮リンク|ソノムドルジーン・ダンバダルジャー|mn|Сономдоржийн Дамбадаржаа}}(1974~1978年) |
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* [[ブヤンティーン・ダシツェレン]]<!--Буянтын Дашцэрэн/Buyantyn Dashtseren-->(1986~1990年) |
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* [[ダラミーン・ヨンドン]]<!--Дарамын Ёндон/Daramiin Yondon-->(1990~1992年、[[信任状捧呈式|信任状捧呈]]は9月4日<ref>[http://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/kyuchu/shinninjo/shinninjo-h02.html 信任状捧呈式(平成2年) - 宮内庁]</ref>) |
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* [[バダム=オチリーン・ドルジンツェレン]]<!--Badam-Ochiryn Doljintseren--><!--Бадам-Очирын Должинцэрэн--><!--『わが愛する青空と風と大地 : 元モンゴル駐日大使の回顧録』(自由社、2005年)の著者-->(1992~1996年、信任状捧呈は1993年2月3日<ref>[http://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/kyuchu/shinninjo/shinninjo-h05.html 信任状捧呈式(平成5年) - 宮内庁]</ref>) |
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* [[ソドブジャムツ・フレルバータル]](1997~2001年、信任状捧呈は2月21日<ref>[http://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/kyuchu/shinninjo/shinninjo-h09.html 信任状捧呈式(平成9年) - 宮内庁]</ref>) |
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* [[ザンバ・バトジャルガル]]<!--Замба Батжаргал/Zamba Batjargal-->(2001~2006年、信任状捧呈は11月21日<ref>[http://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/kyuchu/shinninjo/shinninjo-h13.html 信任状捧呈式(平成13年) - 宮内庁]</ref>) |
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* [[レンツェンドーギーン・ジグジッド]](2006~2012年、信任状捧呈は11月10日<ref>[http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/18/rls_1109g.html 外務省: 新任駐日モンゴル大使の信任状捧呈について] - 2006年11月9日</ref>) |
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* [[ソドブジャムツ・フレルバータル]](再任、2012~2017年、信任状捧呈は3月19日<ref>[http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/24/3/0319_05.html 外務省: 新任駐日モンゴル国大使の信任状捧呈] - 2012年3月19日</ref>) |
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* ([[臨時代理大使]])[[ダンバダルジャー・バッチジャルガル]](2017~2018年) |
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* [[ダンバダルジャー・バッチジャルガル]](臨時代理大使と同一人物、2018年~、信任状捧呈は10月10日<ref name="Presentation of Credentials">[https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_006571.html 駐日モンゴル大使の信任状捧呈 | 外務省] - 2018年10月10日</ref>) |
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==脚注== |
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{{脚注ヘルプ}} |
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==参考文献== |
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*{{cite encyclopedia|ref=harv|encyclopedia=Historical Dictionary of Mongolia|volume=74|series=Historical Dictionaries of Asia, Oceania, and the Middle East|first=Alan J. K.|last=Sanders|edition=3rd|publisher=Scarecrow Press|year=2010|isbn=9780810861916|article=Japan: Relations with Mongolia}} |
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==関連項目== |
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*[[駐日モンゴル国大使館]]、[[在大阪モンゴル国総領事館]]、[[在モンゴル日本国大使館]] |
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*[[松崎陽]] |
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*[[キラー・カーン]] |
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==外部リンク== |
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*[http://tokyo.embassy.mn/jpn/ 駐日モンゴル国大使館] |
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*[http://www.mn.emb-japan.go.jp/index_j.htm 在モンゴル日本国大使館] |
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*[http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/mongolia/data.html#06 二国間関係 - モンゴル国] [[外務省]] |
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*[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/thesis/d1/D1005271.pdf 蒙古青年結盟党(1938-1941年)から蒙古青年革命党(1944-1945年)へ-日本支配期から戦後にかけての内モンゴルにおける民族主義政党- 額日登巴雅 (エルドンパヤル)] 神戸大学大学院国際文化学研究科 |
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{{日本の国際関係}} |
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{{モンゴルの国際関係}} |
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[[Category:日本の二国間関係|もんこる]] |
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[[Category:モンゴル国の二国間関係|にほん]] |
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[[Category:日蒙関係|*]] |
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