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[[奥谷通]]衆議院議員(当時)の公設秘書を経て、[[2003年]]、[[兵庫県議会]]議員に初当選。以後、4期務めた。
[[奥谷通]]衆議院議員(当時)の公設秘書を経て、[[2003年]]、[[兵庫県議会]]議員に初当選。以後、4期務めた。


[[2018年]]末に在職のまま死去した[[鴻池祥肇]]参議院議員のあとを受けて、[[2019年]]7月21日投開票の[[第25回参議院議員通常選挙]]に[[兵庫県選挙区]](改選数3)から[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]公認で立候補し、当選。同選挙区では自民党と連立を組む[[公明党]]も新人の[[高橋光男]]を擁立し、党の「最重点区」と位置付け自民党の友好団体からの支援の取り付けや、[[菅義偉]]官房長官が高橋の応援に度々駆けつけるなど保守票の切り崩しを行った。結果、高橋は2位、加田は3位で当選したが、加田は次点の[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]の新人候補に約3万票差にまで迫られる辛勝となった<ref>{{Cite news
[[2018年]]末に在職のまま死去した[[鴻池祥肇]]参議院議員のあとを受けて、[[2019年]]7月21日投開票の[[第25回参議院議員通常選挙]]に[[兵庫県選挙区]](改選数3)から[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]公認で立候補し、当選。同選挙区では自民党と連立を組む[[公明党]]も新人の[[高橋光男]]を擁立し、党の「最重点区」と位置付け自民党の友好団体からの支援の取り付けや、[[菅義偉]]官房長官が高橋の応援に度々駆けつけるなど保守票の切り崩しを行った。結果、高橋は2位、加田は3位で当選したが、加田は次点の[[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]の新人候補に約3万票差にまで迫られる辛勝となった<ref>{{Cite news
|author=末永陽子
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2020年11月1日 (日) 10:54時点における版

加田 裕之
かだ ひろゆき
生年月日 (1970-06-08) 1970年6月8日(54歳)
出生地 日本の旗 日本 兵庫県神戸市灘区
出身校 甲南大学法学部卒業
前職 神戸新聞社従業員
所属政党 自由民主党細田派
称号 学士(法学)
(甲南大学・1993年)
公式サイト かだ裕之(加田裕之)公式サイト

選挙区 兵庫県選挙区
当選回数 1回
在任期間 2019年7月29日 - 現職

選挙区 神戸市長田区選挙区
当選回数 4回
在任期間 2003年6月11日 - 2019年7月4日
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加田 裕之(かだ ひろゆき、1970年6月8日 - )は、日本政治家自由民主党所属の参議院議員(1期)。元兵庫県議会議員(4期)。

来歴

兵庫県神戸市灘区生まれ。神戸市立六甲小学校神戸市立長峰中学校兵庫県立東灘高等学校甲南大学法学部卒業。大学卒業後は、神戸新聞マーケティングセンター企画編集部勤務。兵庫県広報誌や兵庫県議会広報等を担当する。阪神淡路大震災以後、震災情報や復興への取り組みを取材する中で政治を志す。

奥谷通衆議院議員(当時)の公設秘書を経て、2003年兵庫県議会議員に初当選。以後、4期務めた。

2018年末に在職のまま死去した鴻池祥肇参議院議員のあとを受けて、2019年7月21日投開票の第25回参議院議員通常選挙兵庫県選挙区(改選数3)から自由民主党公認で立候補し、当選。同選挙区では自民党と連立を組む公明党も新人の高橋光男を擁立し、党の「最重点区」と位置付け自民党の友好団体からの支援の取り付けや、菅義偉官房長官が高橋の応援に度々駆けつけるなど保守票の切り崩しを行った。結果、高橋は2位、加田は3位で当選したが、加田は次点の立憲民主党の新人候補に約3万票差にまで迫られる辛勝となった[1][2][3]。当選後、細田派に入会した[4]

所属団体・議員連盟

支援団体

脚注

外部リンク