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[[土井たか子]]社会党委員長に請われ<ref name="SENTAKU3"/>、[[川本敏美]]の後継として、[[1990年]](平成2年)の[[第39回衆議院議員総選挙]]に奈良全県区(定数5)で、日本社会党から出馬し、初当選(1位)。
[[土井たか子]]社会党委員長に請われ<ref name="SENTAKU3"/>、[[川本敏美]]の後継として、[[1990年]](平成2年)の[[第39回衆議院議員総選挙]]に奈良全県区(定数5)で、日本社会党から出馬し、初当選(1位)。


当選後、社会党の一年生議員を中心に「ニューウェーブの会」を設立。[[伊東秀子]](元日本社会党衆議院議員)と[[仙谷由人]](元[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]衆議院議員・元内閣官房長官)を共同代表に据え、[[筒井信隆]](元民主党衆議院議員、元[[農林水産副大臣]])と事務局長を務める。参加者は、[[秋葉忠利]](元[[広島市]]長)、[[池田元久]](元[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]衆議院議員、元[[経済産業副大臣]])、 [[岡崎トミ子]](元[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]参議院議員、元[[国家公安委員会委員長]])、[[鉢呂吉雄]]([[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]参議院議員、元[[経済産業大臣]])、[[細川律夫]](元[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]衆議院議員、元[[厚生労働大臣]])、[[松本龍 (政治家)|松本龍]](元民主党衆議院議員、元[[内閣府特命担当大臣(防災担当)]])など<ref name="SENTAKU2"/>。
当選後、社会党の一年生議員を中心に「ニューウェーブの会」を設立。[[伊東秀子]](元日本社会党衆議院議員)と[[仙谷由人]](元[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]衆議院議員・元内閣官房長官)を共同代表に据え、[[筒井信隆]](元民主党衆議院議員、元[[農林水産副大臣]])と事務局長を務める。参加者は、[[秋葉忠利]](元[[広島市]]長)、[[池田元久]](元[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]衆議院議員、元[[経済産業副大臣]])、 [[岡崎トミ子]](元[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]参議院議員、元[[国家公安委員会委員長]])、[[鉢呂吉雄]]([[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]参議院議員、元[[経済産業大臣]])、[[細川律夫]](元[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]衆議院議員、元[[厚生労働大臣]])、[[松本龍 (政治家)|松本龍]](元民主党衆議院議員、元[[内閣府特命担当大臣(防災担当)]])など<ref name="SENTAKU2"/>。


[[1992年]](平成4年)、[[江田五月]]が設立した政策研究会「シリウス」に参加<ref name="SENTAKU5">[http://www.eda-jp.com/books/sirius/index.html 政策研究会「シリウス」発会趣意書]</ref>。[[1993年]](平成5年)7月、[[第40回衆議院議員総選挙]]で、落選(8人中7位)。
[[1992年]](平成4年)、[[江田五月]]が設立した政策研究会「シリウス」に参加<ref name="SENTAKU5">[http://www.eda-jp.com/books/sirius/index.html 政策研究会「シリウス」発会趣意書]</ref>。[[1993年]](平成5年)7月、[[第40回衆議院議員総選挙]]で、落選(8人中7位)。

2020年11月1日 (日) 10:23時点における版

松原 脩雄
生年月日 (1945-04-23) 1945年4月23日(79歳)
出生地 日本の旗香川県
出身校 東京大学法学部
前職 衆議院議員
所属政党日本社会党→)
無所属
公式サイト 飛鳥京法律事務所(奈良 弁護士)

選挙区 奈良県全県区
当選回数 1回
在任期間 1990年2月19日 - 1993年6月18日
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松原 脩雄(まつばら しゅうお、1945年4月23日 - )は、日本政治家弁護士(奈良弁護士会所属 登録番号35054)。

衆議院議員(1期)。

来歴

疎開先の香川県に生まれる[1]1964年(昭和39年)、大阪府立大手前高等学校卒業後、現役で、東京大学法学部入学[1][2]。全共闘運動に参加し[1]、東大全共闘のメンバーとして[2]安田講堂にも立てこもった。安田講堂攻防戦凶器準備集合罪などで逮捕、起訴された[3]1971年(昭和46年)、大学卒業。同年、司法試験に合格。安田講堂攻防戦の判決が、確定するまで弁護士登録ができず、国会議員秘書などを務める[1]

司法修習33期を経て[4]1981年(昭和56年)、弁護士登録。新人でありながら同期の弁護士と奈良総合法律事務所を設立[1]

土井たか子社会党委員長に請われ[3]川本敏美の後継として、1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙に奈良全県区(定数5)で、日本社会党から出馬し、初当選(1位)。

当選後、社会党の一年生議員を中心に「ニューウェーブの会」を設立。伊東秀子(元日本社会党衆議院議員)と仙谷由人(元民主党衆議院議員・元内閣官房長官)を共同代表に据え、筒井信隆(元民主党衆議院議員、元農林水産副大臣)と事務局長を務める。参加者は、秋葉忠利(元広島市長)、池田元久(元民主党衆議院議員、元経済産業副大臣)、 岡崎トミ子(元民主党参議院議員、元国家公安委員会委員長)、鉢呂吉雄立憲民主党参議院議員、元経済産業大臣)、細川律夫(元民主党衆議院議員、元厚生労働大臣)、松本龍(元民主党衆議院議員、元内閣府特命担当大臣(防災担当))など[2]

1992年(平成4年)、江田五月が設立した政策研究会「シリウス」に参加[5]1993年(平成5年)7月、第40回衆議院議員総選挙で、落選(8人中7位)。

1993年9月、事務所を独立し[6]、松原脩雄法律事務所を設立[1]1994年(平成6年)6月29日、村山内閣成立の前日に社会党奈良県本部に離党届を提出[7]。同年12月10日、新進党の結成大会に参加。しかし、新進党に合流した元新生党前田武志・元公明党森本晃司がいたため、入党を拒まれる。1995年(平成7年)、奈良県知事選挙に無所属で、出馬するが、落選[8]

1996年(平成8年)9月、スキルス性胃がんが見つかり、半分を切除した。2001年(平成13年)10月、突然、原因不明の高血圧症を発症し、錯乱状態に陥り入院。回復するが、極度のうつ病にかかり、同年11月、病気療養のため、弁護士活動休止[9]

2007年(平成19年)、弁護士活動を再開し、飛鳥京法律事務所を設立[1]

その他

脚注

外部リンク