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|ウェブサイト = http://sakai-tsuneharu.net/ |
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|サイトタイトル = 宮城県議会議員さかいつねはる |
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2016年4月、民進党宮城県総支部常任幹事に就任。 |
2016年4月、民進党宮城県総支部常任幹事に就任。 |
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2018年6月、[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]宮城県連合常任幹事に就任。 |
2018年6月、[[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]宮城県連合常任幹事に就任。 |
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2018年11月、立憲民主党宮城県連合政調会長・青年部部長に就任。 |
2018年11月、立憲民主党宮城県連合政調会長・青年部部長に就任。 |
2020年11月1日 (日) 10:21時点における版
境 恒春 Tuneharu Sakai | |
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生年月日 | 1979年3月25日 |
出生地 | 日本宮城県気仙沼市 |
出身校 | 宮城県気仙沼高等学校、慶應義塾大学 |
前職 | NPO法人理事長 |
現職 | 宮城県議会議員 |
所属政党 |
(みんなの党→) (維新の党→) (民進党→) 立憲民主党 |
公式サイト | 宮城県議会議員さかいつねはる |
選挙区 | 気仙沼・本吉選挙区 |
境 恒春(さかい つねはる、1979年3月25日 - )は、日本の政治家。宮城県議会議員。NPO法人日本ベトナム障がい者支援センター理事。
経歴
宮城県気仙沼市生まれ。気仙沼小学校・気仙沼中学校・気仙沼高等学校を経て上京。慶応義塾大学法学部政治学科(通信教育課程)在学中。
東京で芸能活動をはじめ、2001年、日越合同プロジェクトによりベトナムに渡り、ベトナム国民的歌手ゴク・ソン(Ngọc Sơn)の弟子として歌手デビュー。 芸能活動の傍ら、枯葉剤障害児への支援活動を実践し、国内・海外の障害者施設や老人ホーム等200か所以上を慰問。支援活動の中で「ベトちゃんドクちゃん」と知り合い意気投合し、グエン・ドクの結婚式では日本人で唯一歌を披露。 ベトナムから帰国後、日本デビューを目指し当時日本テレビで放送していたマネーの虎に出演する。
2007年、日本ベトナム外交樹立35周年記念CD「天使のはしご」を、ドクやベトナムの有名歌手(Thanh Thảo、Nguyễn Phi Hùng、Ngọc Sơn、Quang Dũng他)とともに歌唱・プロデュースし、日本の大手CDショップでも発売。フジテレビFNNスピーク等、マスコミにも多数取り上げられた。
歌手活動中に、1stシングル「かわいい君へ」、ベトナム輸入盤1stアルバム「first impression」、2ndアルバム「天使のはしご」の3枚をリリース。
「天使のはしご」発売と同時に、日本ベトナム外交樹立35周年を記念し、グエン・ドクを、宮城県気仙沼市に招き、外務省後援のもと「グエン・ドク氏講演会」を開催した。
同年、気仙沼市より「みなと気仙沼大使」に任命される。
ベトナム情報誌SKETCHにて「愉快・痛快・ウキウキSAKAI」の連載を開始(2007-2009年)
2008年、特別顧問にグエン・ドクを迎え、NPO法人日本ベトナム障がい者支援センターを気仙沼市で設立し、理事長に就任。
同年、外務省・在日本ベトナム大使館後援のもと、気仙沼市の八幡太鼓ジュニアベストチームを率いてベトナム公演を行う。
気仙沼市がカツオ不漁の危機に見舞われたことを受け、カツオ一本釣り入港船の約半分を占める宮崎県の東国原英夫知事の気仙沼招聘を企画。気仙沼市民を対象に署名運動を展開し、5ヶ月で約1万人の署名を集め、東国原英夫宮崎県知事気仙沼招聘・講演会を実現。
2010年4月、気仙沼の再生と活性化を目指し、民主党・みんなの党の推薦で気仙沼市長選挙に出馬。15945票を獲得するも落選。
同年、宮崎県の口蹄疫被害に際し、口蹄疫被害支援募金を気仙沼市内で開始した。
気仙沼市で初となる視覚・聴覚障害者のためのバリアフリー映画上映会を企画し、気仙沼を舞台にした映画「春との旅」上映会を実施。
2011年3月11日に発生した東日本大震災において、気仙沼市で街宣活動中に被災。 津波で事務所を流される。 震災後、気仙沼市・南三陸町の復旧・復興活動につとめる。
2011年11月、2011年宮城県議会議員選挙に、みんなの党公認で出馬。7007票を獲得し、最年少で初当選。
2012年10月、グエン・ドク氏が震災見舞いに気仙沼市を訪れ、境と再会。 『国境を越えて~グエン・ドク 被災地の絆~』がNHK BS-1「tomorrow beyond 3.11」、NHK教育テレビ(E-テレ)で放送される。
同年12月、イケメン政治家名鑑(廣済堂出版)に掲載。
2015年10月、宮城県議会議員選挙にて、維新の党公認、民主党県連からの支援により6551票を獲得し、2期目の当選。
2016年4月、民進党宮城県総支部常任幹事に就任。
2018年6月、立憲民主党宮城県連合常任幹事に就任。
2018年11月、立憲民主党宮城県連合政調会長・青年部部長に就任。
2019年10月、宮城県議会議員選挙にて、立憲民主党公認、連合宮城推薦により5325票を獲得し、3期目の当選。