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[[1993年]]、[[奥田敬和]]の自民党離党、[[新生党]]結成により協力関係を構築し、翌年の県知事選で推薦した[[谷本正憲]]が当選したことで県政の主流派に属する。しかし[[1995年]]、[[第17回参議院議員通常選挙|第17回参院選]]で再選を目指すものの[[馳浩]]に破れて落選した。 |
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[[2018年]]1月4日、[[政治団体]]「立憲民主石川」(サポート立憲)を届け出<ref>[https://mainichi.jp/articles/20180106/ddl/k17/010/217000c 立憲民主石川が政治団体として県選管に届け出/石川]毎日新聞 2018年1月6日 石川版</ref>、代表となった。しかし、同19日に[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]の[[福山哲郎]]幹事長と会談した際に、福山から「正式な支部組織と誤解されかねない」として名称の変更を求められた<ref>北國新聞 2018年1月20日</ref>。 |
[[2018年]]1月4日、[[政治団体]]「立憲民主石川」(サポート立憲)を届け出<ref>[https://mainichi.jp/articles/20180106/ddl/k17/010/217000c 立憲民主石川が政治団体として県選管に届け出/石川]毎日新聞 2018年1月6日 石川版</ref>、代表となった。しかし、同19日に[[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]の[[福山哲郎]]幹事長と会談した際に、福山から「正式な支部組織と誤解されかねない」として名称の変更を求められた<ref>北國新聞 2018年1月20日</ref>。 |
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== 著書 == |
== 著書 == |
2020年11月1日 (日) 10:10時点における版
粟森 喬 あわもり たかし | |
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生年月日 | 1939年1月1日(86歳) |
出生地 | 石川県 |
前職 | 労働組合役員 |
現職 | 会社役員 |
所属政党 |
(日本社会党→) (連合の会→) (民主改革連合→) 立憲民主石川 |
親族 | 子: 粟森慨(金沢市議会議員) |
選挙区 | 石川県選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1989年7月23日 - 1995年7月22日 |
粟森 喬(あわもり たかし、1939年1月1日 - )は、日本の政治家、実業家。北陸極東警備保障代表取締役。
参議院議員(1期)を務めた。
概要
1957年金沢大学附属高等学校卒業。1983年、全国電気通信労働組合(全電通)石川県委員長を経て衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧石川県第2区(現在の石川3区)から出馬するが落選する。1989年、第15回参院選に連合の会(後の民改連)から出馬。定数1の石川選挙区で現職で自由民主党公認の嶋崎均を抑えて初当選する。
1993年、奥田敬和の自民党離党、新生党結成により協力関係を構築し、翌年の県知事選で推薦した谷本正憲が当選したことで県政の主流派に属する。しかし1995年、第17回参院選で再選を目指すものの馳浩に破れて落選した。
2018年1月4日、政治団体「立憲民主石川」(サポート立憲)を届け出[1]、代表となった。しかし、同19日に立憲民主党の福山哲郎幹事長と会談した際に、福山から「正式な支部組織と誤解されかねない」として名称の変更を求められた[2]。
著書
- 『国会そのまま - 一寸先は闇からの鳴動』(北国新聞社、1994年12月、ISBN 4833008742)
脚注
- ^ 立憲民主石川が政治団体として県選管に届け出/石川毎日新聞 2018年1月6日 石川版
- ^ 北國新聞 2018年1月20日