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次期衆議院選挙には、長崎4区の党公認候補として内定していたが、その後、翌[[2019年]]4月の[[2019年長崎県議会議員選挙|長崎県議会議員選挙]]に無所属での立候補の意向を表明したことにより、国民民主党は[[2018年]][[10月31日]]付で公認内定を取り消した<ref>{{cite news|title=宮島元衆院議員、県議選へ 国民民主の公認申請取り下げ|agency=毎日新聞|date=2018-10-30|url=http://mainichi.jp/articles/20181030/ddl/k42/010/293000c}}</ref>。2019年[[4月7日]]、投開票の結果、当選。
次期衆議院選挙には、長崎4区の党公認候補として内定していたが、その後、翌[[2019年]]4月の[[2019年長崎県議会議員選挙|長崎県議会議員選挙]]に無所属での立候補の意向を表明したことにより、国民民主党は[[2018年]][[10月31日]]付で公認内定を取り消した<ref>{{cite news|title=宮島元衆院議員、県議選へ 国民民主の公認申請取り下げ|agency=毎日新聞|date=2018-10-30|url=http://mainichi.jp/articles/20181030/ddl/k42/010/293000c}}</ref>。2019年[[4月7日]]、投開票の結果、当選。


当選直後は国民民主党の党籍を有していたが<ref>{{Cite news |title=圧勝の行方 4期目の朝長市政・下 次の戦い 有力者意欲 激戦の予感|newspaper=長崎新聞|date=2019-04-27 |url=https://this.kiji.is/494674077434037345|accessdate=2020-05-18}}</ref>、[[2020年]]2月17日には国民民主党や[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]・[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]などで構成される県議会会派「改革21」を離脱し、1人会派「オールながさき」を結成した<ref>{{Cite news |title=行政ファイル:宮島県議が新会派 /長崎|newspaper=毎日新聞|date=2020-02-21 |url=https://mainichi.jp/articles/20200221/ddl/k42/010/255000c/|accessdate=2020-02-21}}</ref>。
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== 政策 ==
== 政策 ==

2020年11月1日 (日) 10:09時点における版

宮島 大典
みやじま だいすけ
生年月日 (1963-06-06) 1963年6月6日(61歳)
出生地 日本の旗 日本 長崎県佐世保市
出身校 一橋大学社会学部
所属政党自由民主党→)
民主党→)
民進党→)
希望の党→)
国民民主党→)
無所属
称号 社会学士
公式サイト 宮島大典オフィシャルサイト

選挙区 長崎4区
当選回数 2回
在任期間 1998年 - 2000年
2009年 - 2012年

選挙区 佐世保市北松浦郡選挙区
当選回数 2回
在任期間 1991年 - 1995年
2019年 - 現職
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宮島 大典(みやじま だいすけ、1963年6月6日 - )は、日本政治家長崎県議会議員(通算2期)。衆議院議員(2期)、防衛大臣政務官野田第3次改造内閣)、民主党幹事長などを歴任した。

概要

長崎県佐世保市生まれ。青雲中学校・高等学校一橋大学社会学部卒業[1]

1991年長崎県議会議員選挙に立候補し、初当選。1995年第17回参議院議員通常選挙自由民主党公認で長崎県選挙区から立候補したが、新進党公認の田浦直に敗れ、次点で落選。

1998年長崎4区選出衆議院議員・金子原二郎長崎県知事選挙立候補に伴う補欠選挙に自民党公認で立候補。元自民党衆院議員で、1995年の参院選で長崎県選挙区の議席を争った自由党公認の松田九郎らを破り、当選。2000年第42回衆議院議員総選挙では、長崎4区で保守無所属北村誠吾に敗れ、比例復活も叶わず落選した。2003年第43回衆議院議員総選挙では比例九州ブロック単独候補として立候補したが、再び落選。その後自民党に離党届を提出し民主党に入党した。2005年第44回衆議院議員総選挙には民主党公認で長崎4区から立候補したが、再び北村に敗れた。

2009年第45回衆議院議員総選挙では、長崎4区で北村を破り、9年ぶりに国政に復帰。

2011年、民主党副幹事長に就任。

2012年10月、野田第3次改造内閣防衛大臣政務官に任命された。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、再び北村に敗れ比例復活もならず落選した。2014年12月の第47回衆議院議員総選挙でも北村に敗れ比例復活もならず落選した。

2017年第48回衆議院議員総選挙希望の党公認で立候補したが落選した[2][3]。その後、希望の党が分党した際は国民民主党に参加した[4]

次期衆議院選挙には、長崎4区の党公認候補として内定していたが、その後、翌2019年4月の長崎県議会議員選挙に無所属での立候補の意向を表明したことにより、国民民主党は2018年10月31日付で公認内定を取り消した[5]。2019年4月7日、投開票の結果、当選。

当選直後は国民民主党の党籍を有していたが[6]2020年2月17日には国民民主党や社会民主党立憲民主党などで構成される県議会会派「改革21」を離脱し、1人会派「オールながさき」を結成した[7]

政策

脚注

  1. ^ [1] 首相官邸ホームページ 野田第三次改造内閣大臣閣僚名簿
  2. ^ 長崎-開票速報-2017衆議院選挙(衆院選):朝日新聞デジタル
  3. ^ 希望の党 第1次公認名簿”. 毎日新聞. 2017年10月4日閲覧。
  4. ^ “衆院選候補16人内定=国民民主”. 時事通信. (2018年6月27日). オリジナルの2018年6月27日時点におけるアーカイブ。. http://archive.is/iHqgR 
  5. ^ “宮島元衆院議員、県議選へ 国民民主の公認申請取り下げ”. 毎日新聞. (2018年10月30日). http://mainichi.jp/articles/20181030/ddl/k42/010/293000c 
  6. ^ “圧勝の行方 4期目の朝長市政・下 次の戦い 有力者意欲 激戦の予感”. 長崎新聞. (2019年4月27日). https://this.kiji.is/494674077434037345 2020年5月18日閲覧。 
  7. ^ “行政ファイル:宮島県議が新会派 /長崎”. 毎日新聞. (2020年2月21日). https://mainichi.jp/articles/20200221/ddl/k42/010/255000c/ 2020年2月21日閲覧。 
  8. ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。

外部リンク

公職
先代
下条みつ
神風英男
日本の旗 防衛大臣政務官
大野元裕と共同

2012年
次代
左藤章
佐藤正久