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2020年10月29日 (木) 23:20時点における版
佐々木 達夫(ささき たつお 1944年3月30日 - )は、日本のティンパニ、マリンバ、打楽器奏者。岡山県岡山市生まれ。現在はアメリカ在住。
略歴
東京芸術大学在学中に日米教育委員会フルブライト奨学生[1][2]としてジュリアード音楽院に留学し、ティンパニをニューヨーク・フィルハーモニック首席ティンパニ奏者ソール・グッドマンに師事、平岡養一に木琴の指導を受けた。ニューヨーク市でリサイタルを開催した。
1966年から1967年にかけてレオポルド・ストコフスキー指揮のアメリカ交響楽団に打楽器奏者として所属、1967年にズービン・メータ指揮のイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団に打楽器奏者として入団、1969年まで所属した。1970年に日本に帰国し、日本フィルハーモニー交響楽団に所属。同時に作陽音楽大学の非常勤講師を務めた。1971年3月30日、上野文化会館小ホールにてソロリサイタル。リサイタルの批評 は当時の『朝日新聞』、『音楽の友』参照[3][4]。
1972年にリオデジャネイロ市のブラジル交響楽団から招聘され、首席ティンパニストとして所属。翌1973年にサンディエゴ交響楽団[5]並びにサンディエゴ・オペラ [6]に移籍し、2006年までの33年間首席ティンパニ奏者を務める。この間、シロフォン、マリンバのソリストとしてサンディエゴ交響楽団とアラン・ホヴァネスの《日本木版画による幻想曲》、ポール・クレストンの《小協奏曲》、R.クルカの《マリンバ協奏曲》やJ.S.バッハの《管弦楽組曲第2番》を協演。また、シロフォンのソリストとして、ヨーロッパ、アメリカ、メキシコおよび日本各地でシロフォン演奏会を開催した。
2007年にサンディエゴ交響楽団を退任。以降は名古屋や東京のマリンバ・アンサンブルの指導、指揮を行う。2009年にマリンバ奏者で楽譜執筆者である野口道子とThe Marimba Duo(ザ・マリンバ・デュオ)を結成。以降 CD録音活動に力を注いでいる。
ディスコグラフィ
- ”Xylophone Artistry” (Solo)Musical Heritage Society アメリカ
- ”リバーダンス” (The Marimba Duo) 2009 アメリカ
- ”Tempest” (The Marimba Duo) 2012 アメリカ
- 『Back to Bach』(Marimba Duo & Ensemble) 2017 コジマ録音
脚注
- ^ フルブライト奨学生
- ^ 日米教育委員会 フルブライト・ジャパン
- ^ 間宮芳生 (4/3). “佐々木達夫=打楽器リサイタル”. 朝日新聞.
- ^ 上野 晃 (5). “佐々木達夫=打楽器リサイタル”. 音楽の友: 195ページ.
- ^ San Diego Symphony
- ^ San Diego Opera