「宅間久善」の版間の差分
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Dabbler~jawiki (会話 | 投稿記録) 事件は2011年11月4日のこと。さだツアーを離れたのは半年も前の同年4月の「予感+」終了時で、5月からは参加しないことが決まっていた |
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2020年10月29日 (木) 23:14時点における版
宅間久善(たくま ひさよし、1953年8月18日 - )はマリンバ、パーカッション奏者。
同じくミュージシャンの宅間善之(1979年生)、宅間政彰は息子である。
経歴
4歳の頃より工藤昭二に師事し、マリンバを習い始める。
5歳でNHKの『私の秘密』でデビューし「天才・宅間木琴兄弟」として、民放各局に多数出演していたこともある。
大学卒業(首席)後、すぐにさだまさしのバックバンドグループに参加。さだまさしがソロになった第1回目のコンサート(1976年)以降3000回以上のステージを共にした。
2011年4月、さだまさしのサポートミュージシャンとしての活動を「予感+」ツアー終了をもって離れ、同じくさだのサポートミュージシャンである石川鷹彦とツアー活動を1年間限定で開始した。
2018年大阪フェスティバルホールのオープン記念興行のさだまさしコンサートにゲスト参加し、7年ぶりにバックミュージシャンとして2曲を演奏した。
さだまさしとのエピソード
- 武蔵野音楽大学の学園祭にグレープ(さだまさしと吉田政美のフォークデュオ)を呼んだ際の実行委員長だった。
- さだまさしとは仲が良く、よくさだまさしのコンサートツアーで、ネタにされることが多い。特に漢字ネタは多い。
- 「乳母車(うばぐるま)を、にゅうばしゃ」と読んだ
- 「山形新聞(やまがた・しんぶん)を、さんけい・しんぶん」と読んだ
- 「最上牛(さいじょう・ぎゅう)を、もがみ・ぎゅう」と読んだ
- 『ハワイでオートロックのホテルに宿泊した際、鍵を部屋に入れたまま、ドアを閉めてしまい「ミー・アウト・キー・イン・ドアガッチャン・プリーズオープン」という新しい英語を作った』
- 誕生日が8月18日について『「パー・イッパー」と覚えてください』等
さだまさしコンサートでずっとステージを共にしているので、さだまさしのコンサートでの人気はバックメンバーの中でも一番である。
ディスコグラフィ
著書
- 「俺のマリンバ聴いてみろ」(蒼洋社、1987年)ISBN 4915628280
- CD BOOK「俺のマリンバ聴いてみてくれない?」(ANY、2006年10月27日)ISBN 4903478211