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中学校時代は、軟式野球部で[[一塁手]]としてプレー。[[藤沢翔陵高等学校]]入学後、投手に転向。2年次からエースを務め、高い潜在能力からメジャースカウトも視察に来るほどだった。甲子園出場経験は無し。
中学校時代は、軟式野球部で[[一塁手]]としてプレー。[[藤沢翔陵高等学校]]入学後、投手に転向。2年次からエースを務め、高い潜在能力からメジャースカウトも視察に来るほどだった。甲子園出場経験は無し。


[[亜細亜大学]]に入学し、1年春から中継ぎとしてリーグ戦に登板。しかし、チームメイトに、後にプロ入りする[[九里亜蓮]]、[[東浜巨]]がいたことから、登板機会は限られていた<ref name="npb-players">{{Cite web|url=https://www.daily.co.jp/baseball/carp/2014/11/21/1p_0007521177.shtml|title=ドラ6飯田“左腕枠”で開幕1軍宣言(2)|publisher=デイリースポーツ online|accessdate=2020-3-16}}</ref>。 また、2学年後輩には[[山康晃]]がいた。
[[亜細亜大学]]に入学し、1年春から中継ぎとしてリーグ戦に登板。しかし、チームメイトに、後にプロ入りする[[九里亜蓮]]、[[東浜巨]]がいたことから、登板機会は限られていた<ref name="npb-players">{{Cite web|url=https://www.daily.co.jp/baseball/carp/2014/11/21/1p_0007521177.shtml|title=ドラ6飯田“左腕枠”で開幕1軍宣言(2)|publisher=デイリースポーツ online|accessdate=2020-3-16}}</ref>。 また、2学年後輩には[[山康晃]]がいた。


[[JR東日本硬式野球部|JR東日本]]に入社し、営業部に所属しながら<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2014/news/p-bb-tp0-20141211-1407646.html 広島ドラ6飯田 “鉄道左腕”が出発進行]日刊スポーツ 2014年12月11日掲載</ref>1年目から公式戦に出場、都市対抗野球でも好投を見せるなど活躍。この頃から140kmにも届かなかった球速が145kmに上がり、変化球にも磨きをかけた事から、スカウトからも注目される投手に成長した。また、社業では営業部の所属ながら駅員として[[池袋駅]]での勤務や運転席への同乗勤務もあった。
[[JR東日本硬式野球部|JR東日本]]に入社し、営業部に所属しながら<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2014/news/p-bb-tp0-20141211-1407646.html 広島ドラ6飯田 “鉄道左腕”が出発進行]日刊スポーツ 2014年12月11日掲載</ref>1年目から公式戦に出場、都市対抗野球でも好投を見せるなど活躍。この頃から140kmにも届かなかった球速が145kmに上がり、変化球にも磨きをかけた事から、スカウトからも注目される投手に成長した。また、社業では営業部の所属ながら駅員として[[池袋駅]]での勤務や運転席への同乗勤務もあった。

2020年10月29日 (木) 03:32時点における版

飯田 哲矢
2017年11月20日 由宇練習場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1991-03-28) 1991年3月28日(33歳)
身長
体重
182 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2014年 ドラフト6位
初出場 2015年5月23日
最終出場 2018年9月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

飯田 哲矢(いいだ てつや、1991年3月28日 - )は、神奈川県藤沢市出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。

経歴

プロ入り前

中学校時代は、軟式野球部で一塁手としてプレー。藤沢翔陵高等学校入学後、投手に転向。2年次からエースを務め、高い潜在能力からメジャースカウトも視察に来るほどだった。甲子園出場経験は無し。

亜細亜大学に入学し、1年春から中継ぎとしてリーグ戦に登板。しかし、チームメイトに、後にプロ入りする九里亜蓮東浜巨がいたことから、登板機会は限られていた[1]。 また、2学年後輩には山﨑康晃がいた。

JR東日本に入社し、営業部に所属しながら[2]1年目から公式戦に出場、都市対抗野球でも好投を見せるなど活躍。この頃から140kmにも届かなかった球速が145kmに上がり、変化球にも磨きをかけた事から、スカウトからも注目される投手に成長した。また、社業では営業部の所属ながら駅員として池袋駅での勤務や運転席への同乗勤務もあった。

2014年10月23日、ドラフト会議広島東洋カープから6位指名を受け、11月20日、契約金4000万円、年俸800万円で仮契約を結んだ[3]

プロ入り後

2015年は、5月23日の東京ヤクルトスワローズ戦で一軍デビュー。7回から登板し、1回1安打無失点だった[4]。16試合の登板ながら防御率2.65と言う成績を残した。

2017年の秋季キャンプよりサイドスローへの転向に取り組んでいる[5]

2019年1月5日、2018年11月28日に広島市内在住の一般女性と結婚したことを発表[6]。シーズン後に戦力外通告を受けた。来季も球団に残りスコアラーを務める[7]

プレースタイル

投球フォーム(2017/11/20)

145km/hの直球と、落差のあるカーブ、カットボール、チェンジアップを投げ分ける。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2015 広島 16 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 72 17.0 12 1 10 0 0 11 0 0 6 5 2.65 1.29
2016 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 14 3.1 4 0 0 0 0 4 0 0 0 0 0.00 1.20
2017 8 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 41 7.0 15 0 5 0 0 8 0 0 8 8 10.29 2.86
2018 14 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 62 13.0 17 3 6 1 0 16 1 0 9 9 6.23 1.77
NPB:4年 40 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 189 40.1 48 4 21 1 0 39 1 0 23 22 4.91 1.71
  • 2019年度シーズン終了時

年度別守備成績



投手












2015 広島 16 0 2 0 0 1.000
2016 2 1 0 0 0 1.000
2017 8 0 0 0 0 ----
2018 14 0 1 0 0 1.000
通算 40 1 3 0 0 1.000
  • 2019年度シーズン終了時

記録

背番号

  • 39 (2015年 - 2019年)

脚注

  1. ^ a b c ドラ6飯田“左腕枠”で開幕1軍宣言(2)”. デイリースポーツ online. 2020年3月16日閲覧。
  2. ^ 広島ドラ6飯田 “鉄道左腕”が出発進行日刊スポーツ 2014年12月11日掲載
  3. ^ 広島ドラ6飯田仮契約、背番号39 DAILY SPORTS ONLINE
  4. ^ 広島ルーキー飯田「いい緊張感」プロ初登板無失点日刊スポーツ 2015年5月23日掲載
  5. ^ 飯田、筒香抑える!サイドスロー転向で左キラー襲名だデイリースポーツ 2017年11月29日掲載
  6. ^ 広島飯田が一般女性と昨年結婚「あとは1軍で結果」日刊スポーツ 2019年1月6日
  7. ^ 広島が引退した岩本、庄司、飯田とスコアラー契約日刊スポーツ 2019年12月3日掲載

関連項目

外部リンク