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'''龍清泉'''(りゅう せいせん、ロン・チンチュエン、[[ピン音]]:Lóng Qīngquán,、[[1990年]][[12月3日]]<ref>https://www.olympicchannel.com/ja/athletes/detail/qingquan-long/</ref> - )は、[[中華人民共和国|中国]]の[[湖南省]][[龍山県]]出身の[[重量挙げ|ウェイトリフティング]]選手。[[ミャオ族]]である。[[2008年北京オリンピックのウエイトリフティング競技]]の56キロ級で292kgを持ち上げ優勝を果たした。その体つきより[[中国神話]]に登場する「[[ナタ (中国神話)|{{補助漢字フォント|}}{{JIS2004フォント|吒}}太子]]」と呼ばれることがある<ref name="no1">[http://www.recordchina.co.jp/group/g22694.html]</ref>。
'''龍清泉'''(りゅう せいせん、ロン・チンチュエン、[[ピン音]]:Lóng Qīngquán,、[[1990年]][[12月3日]]<ref>https://www.olympicchannel.com/ja/athletes/detail/qingquan-long/</ref> - )は、[[中華人民共和国|中国]]の[[湖南省]][[龍山県]]出身の[[重量挙げ|ウェイトリフティング]]選手。[[ミャオ族]]である。[[2008年北京オリンピックのウエイトリフティング競技]]の56キロ級で292kgを持ち上げ優勝を果たした。その体つきより[[中国神話]]に登場する「[[哪|吒太子]]」と呼ばれることがある<ref name="no1">[http://www.recordchina.co.jp/group/g22694.html]</ref>。


実家は肉屋であり、幼いころより貧しい生活を強いられた。4歳からウェイトリフティングをはじめ、4年生になる頃には親元を離れ体育学校で練習するほどまでになった。しかしあまり設備が整っておらず、[[バーベル]]の代わりに[[竹]]や[[水道管]]に砂をつめたものを使用していた<ref name="no1" />。2000年からは体育学校に推薦入学が決まったが、資金が苦しく両親は出稼ぎに出た。本人も体育館に落ちている[[ペットボトル]]を売るなどして何とか資金をやりくりしたという<ref name="no1" />。
実家は肉屋であり、幼いころより貧しい生活を強いられた。4歳からウェイトリフティングをはじめ、4年生になる頃には親元を離れ体育学校で練習するほどまでになった。しかしあまり設備が整っておらず、[[バーベル]]の代わりに[[竹]]や[[水道管]]に砂をつめたものを使用していた<ref name="no1" />。2000年からは体育学校に推薦入学が決まったが、資金が苦しく両親は出稼ぎに出た。本人も体育館に落ちている[[ペットボトル]]を売るなどして何とか資金をやりくりしたという<ref name="no1" />。

2020年10月11日 (日) 22:01時点における版

獲得メダル

龍清泉
中華人民共和国の旗 中国
重量挙げ
オリンピック
2008 男子 56kg級
2016 男子 56kg級

龍清泉(りゅう せいせん、ロン・チンチュエン、ピン音:Lóng Qīngquán,、1990年12月3日[1] - )は、中国湖南省龍山県出身のウェイトリフティング選手。ミャオ族である。2008年北京オリンピックのウエイトリフティング競技の56キロ級で292kgを持ち上げ優勝を果たした。その体つきより中国神話に登場する「哪吒太子」と呼ばれることがある[2]

実家は肉屋であり、幼いころより貧しい生活を強いられた。4歳からウェイトリフティングをはじめ、4年生になる頃には親元を離れ体育学校で練習するほどまでになった。しかしあまり設備が整っておらず、バーベルの代わりに水道管に砂をつめたものを使用していた[2]。2000年からは体育学校に推薦入学が決まったが、資金が苦しく両親は出稼ぎに出た。本人も体育館に落ちているペットボトルを売るなどして何とか資金をやりくりしたという[2]

脚注

外部リンク