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2020年10月9日 (金) 10:07時点における版
座標: 南緯0度32分 東経166度56分 / 南緯0.533度 東経166.933度
- ナウル共和国
- Naoero, Republik
Republic of Nauru -
(国旗) (国章) - 国の標語:God's Will First
(英語: 神意を第一に) - 国歌:ナウル我が祖国
-
公用語 ナウル語、英語[1] 首都 ヤレン地区(政庁所在地) [注釈 1] 最大の都市 デニゴムドゥ地区(最大の居住地) [注釈 2] 独立
- 日付英豪新の信託統治から
1968年1月31日通貨 オーストラリア・ドル(AUD) 時間帯 UTC+12 (DST:なし) ISO 3166-1 NR / NRU ccTLD .nr 国際電話番号 674
ナウル共和国(ナウルきょうわこく)、通称ナウルは、太平洋南西部に位置するナウル島にある共和国である。
かつては、リン鉱石の輸出によって栄えた。1980年代には太平洋地域で最も高い生活水準を享受し、公共料金や税金は無料という生活を謳歌していた[2]。しかし、リン鉱石の枯渇により1990年代後半から経済が破綻状態となり、再建に向け模索が続いている[3]。
国名
正式名称は、ナウル語でNaoero, Republik[2]、英語でRepublic of Nauru[4][5]。旧称はプレザント島 (Pleasant Island)。
「Naoero」(現地語でナウル)という名称は「私はビーチに行く」を意味する"a-nuau-a-a-ororo"という文章を縮めたものである[6]。
日本語による表記は、ナウル共和国。通称、ナウル。漢字表記は「瑙魯」。
歴史
先史時代
ナウル人がナウル島に渡来した時期は考古学・言語学の調査が十分に行われていないため詳細は不明だが、紀元前2000年頃に西方からカヌーによって行われたと推測されている[7][2]。そのため近隣のマーシャル諸島やキリバスと同系統のミクロネシア系の文化を持つ社会が存在していたとされる[7][2]。またメラネシア系文化の影響も多分に受けており、古代にメラネシアとの交渉があったと推測されている[7]。
植民地時代
1798年にイギリスの捕鯨船ハンター号の船長ジョン・ファーンが来島し、島をプレザント島(Pleasant Island)と命名[8]。その後1830年代と1840年代には、食料と水を求める捕鯨船やビーチコンバー(浮浪白人)と呼ばれる人々が島を訪れた[8][9]。
1888年4月にドイツの保護領となる[8][10][2]。1899年にニュージーランドの地質学者アルバート・エリスがリン鉱石の鉱床を発見する[11][注釈 3]。ドイツは採掘権をイギリス資本の「パシフィック・フォスフェート・カンパニー」に与え、1907年に採掘が開始された[8][12]。
第一次世界大戦でドイツがイギリスに宣戦布告したことで1914年11月にオーストラリア軍はナウル島を占領し[8][13]、戦後の1920年にはイギリス・オーストラリア・ニュージーランドの3国を施政国として国際連盟委任統治領となった[8][14][2]。
1942年8月に日本軍が占領[15][7]。1,200人の島民がチューク諸島に強制連行され、多くの島民が死亡した[15][16]。第二次世界大戦後の1947年には再びイギリス・オーストラリア・ニュージーランドの3国を施政国として国際連合信託統治領となった[15][2]。
独立後
1966年に内政自治を獲得[15][7]、1968年1月31日には独立してイギリス連邦に加入した[17][2]。1980年代にはリン鉱石の輸出で得た莫大な収入により太平洋地域で最も高い生活水準を誇ったが、その後のリン鉱石の枯渇によって政府は深刻な財政危機に瀕した[2]。2004年からの改革によって状況は多少改善され、リン鉱石の2次採掘が開始されたことで輸出による収入も増加傾向にある[18]。
2000年代にはパシフィック・ソリューションが問題になり、国際社会から非難が集まった[5]。
地理
ソロモン諸島とギルバート諸島の間、バナバ島の西方300キロメートル、シドニーの北北東3930キロメートルに位置する[19]。国土面積は21km2[19][4][2]。隆起サンゴ礁島で、最高点でも標高が65メートルと平坦である[4][5]。
気候
ケッペンの気候区分では熱帯雨林気候 (Af) に属している[20]。平均年降水量は2000ミリメートルだが年による変動が大きい[4][5][注釈 4]。気温は年間を通じて24-33°C[19]。湿度は80%前後で、年による変動は小さい[19]。
地方行政区分
ナウルは14の地区に分けられる。地区は以下の通り。
ヤレン地区に政庁があることから、一般にナウルの首都はヤレンとされる。しかしナウルには行政上都市は存在せず、従って公的に定められた首都も存在しない。ヤレン地区の人口は2004年現在で1,100人。
政治
内政
議会は一院制で、定員は18、任期は3年である[21][7]。議員の互選で選ばれる大統領が閣僚を指名し組閣する[5][2]。しかし、政策決定は実質的に「地方政治評議会」が担い、内閣は行政執行のみを行うのが実情である[2]。
外交
軍事
警察はあるが軍隊は存在しないため、国防に関してはオーストラリアに依存している。
経済
伝統的にナウルの人々はココヤシ、タコノキの栽培と漁労による生計経済を営んでいたが、リン鉱石が発見されて以降は経済が激変する[2]。ナウルの経済は長い間リン鉱石の採掘に支えられてきたが[21]、その枯渇と海外資産の喪失により1990年代後半から破綻状態となった[5]。しかし2004年からの改革によって状況は多少改善されている[5]。
鉱業
リン鉱石の採掘は1907年に開始された[8][12]。一度は枯渇したものの、2次採掘(リン鉱石の二次層の採掘)が開始されたことで収入は増加基調にある[18]。二次採掘は30年から40年行えると推測されている[22]。
ナウルのリン鉱石は、鳥の糞と死骸が混ざりあったグアノが島の土壌やサンゴ礁と混ざりあったことで時間の経過とともに形成されたという[23]。
通信
政府が週刊紙"Nauru Post"と隔週紙"Bulletin"をナウル語および英語で発行しているほか、海外の新聞も広く購読されている[24]。
固定電話の契約数は2009年時点で1,900件、携帯電話の契約数は2016年時点で9,900件[20]。
国営のラジオ・ナウルがナウル語と英語で放送されており、ラジオの台数は1994年時点で6,000台[24]。
インターネット利用率は2011年時点で54.0%[20]。
交通
国内
島を一周する19キロメートルの舗装道路が道路の70%を占め[8]、島の沿岸部分を囲んでいる[25]。
国外
国外との交通は長らく海運に依存し、輸出入を行っていた[8]。国営のナウル太平洋海運は3隻の商船を所有している[8]。
国営のナウル航空が運航している。かつては太平洋各地の都市に就航していたものの、1985年にリン鉱石による収入が減少したことで日本などへの定期便が廃止された[8]。
国民
人口
人種
ナウル人が全体の70%を占め、その他はキリバスとツバルの出稼ぎ移民、中国人、欧米人から構成される[2]。1990年代頃までは住民の4割程度が外国人労働者であったが、リン鉱石採掘の縮小に伴って激減した[5]。ナウル人は海岸部の伝統的な集落に住み、キリバス人、ツバル人、中国人は採掘場付近に住む[27]。
ナウル人の民族的な起源にはミクロネシア系、メラネシア系、ポリネシア系があり、ポリネシア系が最も近いとされる[8]。ナウル人は伝統的に12の母系的血縁集団に分かれているが、血縁関係や相続には父系的な特徴も見られる[8]。19世紀にコーカソイド系、ネグロイド系、太平洋諸島の人々と混血したことで祖先に比べて大きく変貌している[8]。
価値観
女性の進出には消極的な価値観が残っている[24]。特にナウルでは第二次世界大戦で日本軍が島民を強制連行して人口が減少したため、結婚と出産が女性の役割であるという社会的な圧力が強い[24]。
言語
主要言語はナウル語と英語である[4][5]。ナウル人のほとんどはナウル語と英語を話すことができるが、日常会話ではナウル語が使われる[8]。教育や行政、ビジネスでは英語が広く使われている[8]。
宗教
19世紀からキリスト教が広まった[8]。国民の大部分はキリスト教徒であり、3分の2がプロテスタント、3分の1がカトリックである[2]。
健康
2013年時点の平均寿命は79.0歳[20]。
2008年に世界保健機関が発表した調査によればナウルの人口の78.5%が肥満であり、これは世界で最も高い[28]。
文化
スポーツ
オーストラリアの影響でオージーフットボールが盛んであり、国内リーグも存在する。場所は主に経済的に繁栄していた頃に建設されたサッカー兼用のスタジアム「Linkbelt Oval」を利用している。
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | New Year's Day | |
1月31日 | 独立記念日 | Independence Day | 1968年のこの日に独立したことに由来 |
3月か4月 | 復活祭 | Easter | 変動祝日 |
5月17日 | 憲法記念日 | Constitution Day | 1968年のこの日に憲法が制定されたことに由来 |
10月26日 | アンガム・デー | Angam Day | 第一次大戦後の人口調査で、民族の存続に必要な1,500人を下回っていることが判明したナウルの人口が、1932年のこの日に1,500人に達したことを記念 |
12月25・26日 | クリスマス | Christmas |
脚注
注釈
出典
- ^ the Republic of Nauru
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 柄木田康之 2017, p. 1308.
- ^ 小川和美 2010, pp. 406–407.
- ^ a b c d e f 石森秀三 & 青木公 2007, p. 32.
- ^ a b c d e f g h i 小川和美 2010, p. 406.
- ^ リュック・フォリエ 2011, p. 30.
- ^ a b c d e f 石森秀三 & 青木公 2007, p. 33.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 田辺裕 2002, p. 535.
- ^ リュック・フォリエ 2011, pp. 31–32.
- ^ リュック・フォリエ 2011, p. 35.
- ^ リュック・フォリエ 2011, p. 34.
- ^ a b リュック・フォリエ 2011, pp. 36–37.
- ^ リュック・フォリエ 2011, p. 38.
- ^ リュック・フォリエ 2011, p. 40.
- ^ a b c d 田辺裕 2002, p. 536.
- ^ リュック・フォリエ 2011, p. 47.
- ^ リュック・フォリエ 2011, p. 54, 58.
- ^ a b 小川和美 2010, p. 407.
- ^ a b c d 田辺裕 2002, p. 534.
- ^ a b c d e 『データブック オブ・ザ・ワールド 2019年版』二宮書店、2019年1月10日、465-466頁。ISBN 978-4-8176-0437-8。
- ^ a b 田辺裕 2002, p. 537.
- ^ リュック・フォリエ 2011, p. 184.
- ^ リュック・フォリエ 2011, p. 5.
- ^ a b c d 田辺裕 2002, p. 539.
- ^ リュック・フォリエ 2011, pp. 22–23.
- ^ リュック・フォリエ 2011, p. 4.
- ^ 田辺裕 2002, pp. 534–535.
- ^ リュック・フォリエ 2011, p. 158.
- ^ リュック・フォリエ 2011, p. 159.
参考文献
- リュック・フォリエ 著、林昌宏 訳『ユートピアの崩壊 ナウル共和国』新泉社、2011年2月10日。ISBN 978-4-7877-1017-8。
- 石森秀三、青木公 著「ナウル」、下中直人編 編『世界大百科事典 21』平凡社、2007年9月1日。
- 柄木田康之 著「ナウル共和国」、竹内啓一編 編『世界地名大事典2 アジア・オセアニア・極II』朝倉書店、2017年11月20日。ISBN 978-4-254-16892-1。
- 田辺裕「ナウル」『世界地理大百科事典5 アジア・オセアニアII』朝倉書店、2002年3月10日。ISBN 4-254-16665-6。
- 小川和美「ナウル」『オセアニアを知る事典』(新版)平凡社、2010年5月19日。ISBN 978-4-582-12639-6。
関連項目
外部リンク
政府
日本政府
- 日本外務省 - ナウル
- 在フィジー日本国大使館 - 在ナウル大使館を兼轄
ナウル政府
- ナウル政府
- Republic of Nauru (@Republic_Nauru) - X(旧Twitter) The official account of the Government of the Republic of Nauru.
- ナウル共和国政府観光局日本事務所 (@nauru_japan) - X(旧Twitter)
その他
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