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|名前 = エリカ・モリーニ |
|名前 = エリカ・モリーニ<br>Erica Siracusano Morini |
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|著名使用楽器 = [[ストラディバリウス]] |
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{{Portal クラシック音楽}} |
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'''エリカ・モリーニ'''(Erika Morini、[[1904年]][[1月5日]] - [[1995年]][[11月1日]])<ref>[http://jwa.org/encyclopedia/article/morini-erica]</ref>は、[[オーストリア=ハンガリー帝国|オーストリア]]出身の[[ヴァイオリン奏者]]。生年については、[[1905年]]説もある<ref>[http://www.orpheustrust.at/musikereinzeln.php?l=e&muid=20040507151110]</ref>。 |
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'''エリカ・モリーニ'''('''Erica Siracusano Morini''', [[1904年]][[1月5日]]-[[1995年]][[11月1日]])は、[[ウィーン]]出身のヴァイオリニストである{{Sfn|Bernas|1995|p=442}}。1916年にデビューしたのち天才少女として有名になり{{Sfn|新訂 標準音楽辞典|2008|p=1999}}{{Sfn|音楽大事典|1991|p=2595}}、1976年まで活躍した{{Sfn|エッゲブレヒト|2004|p=166}}。[[アルトゥール・ニキシュ|アルトゥール・ニキシュ]]{{Sfn|エッゲブレヒト|2004|p=164}}、[[フリッツ・クライスラー|フリッツ・クライスラー]]{{Sfn|エッゲブレヒト|2004|p=164}}、[[アルノルト・ロゼ|アルノルト・ロゼ]]{{Sfn|Newman|2000|p=40}}、[[ジョージ・セル|ジョージ・セル]]{{Sfn|チャーリー|2022|p=290}}らから、高く評価された。 |
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== 生涯 == |
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{{出典の明記|date=2018年2月3日 (土) 07:36 (UTC)|section=1}} |
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[[ウィーン]]に生まれ、父親からヴァイオリンの手ほどきを受けたあと、8歳で[[ウィーン音楽院]]に入学し、[[オタカール・シェフチーク]]とローザ・ホーホマン=ローゼンフェルトに師事する。 |
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==生涯== |
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[[1916年]]に[[アルトゥール・ニキシュ]]指揮する[[ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団]]と共演してデビューを飾った。[[1921年]]には[[ニューヨーク]]でデビューを果たし、[[モード・パウエル]]の愛器ガダニーニを贈られる。 |
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1904年1月5日、音楽家の両親のもと、[[ウィーン]]に生まれる{{Sfn|新訂 標準音楽辞典|2008|p=1999}}{{Sfn|Bernas|1995|p=442}}{{#tag:ref|モリーニは[[トリエステ]]で生まれたとする文献もある{{Sfn|エッゲブレヒト|2004|p=163}}。|group="注"}}。ヴァイオリニストの父オスカーにヴァイオリンを習ったのち、7歳で[[ウィーン音楽院]]に入学し、ホーマ・ローゼンフェルトに師事した{{Sfn|三橋|2018|p=103}}。また、9歳からは[[オタカール・シェフチーク]]に師事した{{Sfn|Bernas|1995|p=442}}{{Sfn|三橋|2018|p=103}}{{#tag:ref|[[オタカール・シェフチーク]]に師事したのは8歳からだとする文献もある{{Sfn|エッゲブレヒト|2004|p=164}}。|group="注"}}。モリーニは、ウィーン音楽院ヴァイオリン科における初の女性生徒かつ最年少の生徒であった{{Sfn|Bernas|1995|p=442}}{{Sfn|演奏家大事典|1982|p=116}}{{Sfn|三橋|2018|p=103}}。また、友人[[アルマ・ロゼ]]の父親である[[アルノルト・ロゼ]]から指導を受けることもあった{{Sfn|Newman|2000|p=17}}{{Sfn|Newman|2000|p=40}}。 |
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1916年にウィーンでデビューを果たすと、天才少女として有名になった{{Sfn|新訂 標準音楽辞典|2008|p=1999}}{{Sfn|音楽大事典|1991|p=2595}}。特に指揮者の[[アルトゥール・ニキシュ]]はモリーニを高く評価し、[[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団]]、[[ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団]]などに招いた{{Sfn|音楽大事典|1991|p=2595}}{{Sfn|Bernas|1995|p=442}}。1920年から1921年のシーズンにはアメリカデビューを果たし、[[メトロポリタン歌劇場]]で[[アルトゥル・ボダンツキー]]と共演したほか、[[カーネギーホール]]で[[ニューヨーク・フィルハーモニック]]と共演したり、リサイタルを開いたりした{{Sfn|音楽大事典|1991|p=2595}}{{Sfn|Bernas|1995|p=442}}{{Sfn|演奏家大事典|1982|p=116}}。アメリカでの一連のコンサートは好評を博し、ヨーロッパに戻ってからも「同世代の中で最高の弦楽奏者の1人」という名声を勝ち得た{{Sfn|Bernas|1995|p=442}}。 |
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[[1938年]]にアメリカに移住し、[[1976年]]に引退するまで演奏活動を続けた。ニューヨークで死去する。 |
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その後、モリーニは[[ヴィルヘルム・フルトヴェングラー]]、[[エーリヒ・クライバー]]、[[ブルーノ・ワルター]]、[[アルトゥーロ・トスカニーニ]]、[[セルゲイ・クーセヴィツキー]]といった著名な指揮者たちと共演した{{Sfn|三橋|2018|p=103}}。なお、モリーニは[[ウィレム・メンゲルベルク]]とも共演したが、あまり上手くいかなかったと回想している{{Sfn|三橋|2018|p=103}}{{Sfn|Zwart|2019|p=902}}。 |
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== 脚注 == |
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<references /> |
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[[ナチス]]による[[アンシュルス|併合]]を機にオーストリアを去ったモリーニは{{Sfn|Bernas|1995|p=442}}、1940年に[[アメリカ合衆国]]へと移住し、1943年には市民権を獲得した{{Sfn|音楽大事典|1991|p=2595}}{{#tag:ref|モリーニがアメリカに移住したのは1938年だとする文献もある{{Sfn|三橋|2018|p=103}}。また、1917年の時点で、[[第一次世界大戦]]に危機感を覚えた父親とともにアメリカ合衆国に移住したとする文献もある{{Sfn|エッゲブレヒト|2004|p=164}}。|group="注"}}。[[第二次世界大戦]]後にはヨーロッパでの演奏活動を再開し、1970年代まで、世界各地で演奏活動を行なった{{Sfn|エッゲブレヒト|2004|p=164}}{{Sfn|新訂 標準音楽辞典|2008|p=2000}}。また、1953年にはアメリカ合衆国[[マサチューセッツ州]]の[[スミス大学]]から音楽博士の称号を受けた{{Sfn|新訂 標準音楽辞典|2008|p=2000}}。 |
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1976年、モリーニは引退した{{Sfn|エッゲブレヒト|2004|p=166}}。晩年には、自身の[[ストラディヴァリウス]]が盗まれてしまったほか、指使いやコメントを書き込んだ楽譜、レコード、写真、書簡も散逸した{{Sfn|エッゲブレヒト|2004|p=166}}。 |
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1995年11月1日、[[ニューヨーク]]にて死去{{Sfn|エッゲブレヒト|2004|p=166}}{{Sfn|新訂 標準音楽辞典|2008|p=1999}}。1976年の引退以降、モリーニは一度もヴァイオリンを手にすることはなかったという{{Sfn|エッゲブレヒト|2004|p=166}}。 |
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==人物== |
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===交友関係=== |
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幼少時代は、ヴァイオリニストの[[アルノルト・ロゼ]]の娘である[[アルマ・ロゼ]]、歌手の{{仮リンク|レオ・スレザーク|en|Leo Slezak}}の娘であるグレーテル・スレザークと仲が良かった{{Sfn|Newman|2000|p=17}}{{Sfn|Newman|2000|p=40}}。3人ともヴァイオリンとピアノを習っており、一緒にいたずらをすることもあったという{{Sfn|Newman|2000|p=40}}{{Sfn|Newman|2000|p=41}}。指揮者のカール・バンベルガーは、彼女たちは仲良し3人組だったと回想している{{Sfn|Newman|2000|p=40}}。 |
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===直面した女性差別=== |
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モリーニは、自身のマネージャーが他の男性ヴァイオリニストを優先して売り出そうとしていたことに悩み、「誰も女流ヴァイオリニストを求めていないのです」と語った{{Sfn|エッゲブレヒト|2004|p=166}}。 |
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このような女性音楽家への差別について、ピアニストの[[中村紘子]]は「『女性に向いている楽器は[[ピアノ]]、[[ハープ]]、[[リュート]]であり、[[フルート]]や[[ヴァイオリン]]、[[チェロ]]は女性の優美さを損なう』という19世紀の思想は20世紀のヨーロッパ社会にも引き継がれたため、著名な女性ピアニストに比べて、著名な女性ヴァイオリニストの数は少ない」という趣旨の指摘をしつつ「女性の名ヴァイオリニストも決していなかった訳ではないと聞くが、少なくとも今日まで例えばピアノにおける[[クララ・シューマン]]のような位置で名を遺した人はいない。今世紀前半に活躍した女性ヴァイオリニストといっても、私などはエリカ・モリーニ、若くして飛行機事故で亡くなった[[ジネット・ヌヴー]]くらいしか思い出すことができない」と述べている{{Sfn|中村|1988|p=151}}{{Sfn|中村|1988|p=152}}{{Sfn|中村|1988|p=153}}。 |
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==音楽性== |
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[[File:Erika Morini - Nov 1922 Shadowland.jpg|thumb|エリカ・モリーニ(1922年)]] |
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近現代の音楽作品はあまり取り上げず、[[モーツァルト]]のヴァイオリンソナタを定番のアンコール曲として演奏した{{Sfn|エッケブレヒト|2004|p=164}}{{Sfn|エッケブレヒト|2004|p=165}}。また、モリーニは[[ヤッシャ・ハイフェッツ]]を目標としていたが、音楽評論家のハラルド・エッゲブレヒトは「両者の演奏スタイルは大きく異なっており、モリーニがハイフェッツを目標としていたのは意外」という趣旨のコメントをしている{{Sfn|エッケブレヒト|2004|p=165}}。 |
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なお、モリーニはウィーン音楽院時代の師オタカール・シェフチークよりも、ローザ・ホッホマンから多くを学んだと回想している{{Sfn|鈴木|1985|p=302}}。モリーニの発言は以下の通りである{{Sfn|鈴木|1985|p=302}}{{Sfn|鈴木|1985|p=303}}。 |
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{{Quotation|私は初めにウィーン音楽院でセヴィシック(シェフチーク)教授について技巧を勉強しました。16歳未満では高等科へ入学できない規定でしたけれども私は9歳で入学しました。そしてセヴィシック教授から学ぶところ大でした。しかし私が本当に勉強したのはローザ・ホッホマンについてからでした。彼女はグリュンの門下で、芸術家にとっては不幸なことに若くして結婚し、演奏家としての生涯を断念してしまいました。彼女には私以外には弟子がありませんでしたので、彼女の努力は私に集中されたのでした。彼女こそは真に私に音楽の精神そのものを示してくれ、その表現方法を教えてくれたのです{{Sfn|鈴木|1985|p=302}}{{Sfn|鈴木|1985|p=303}}。}} |
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シェフチークののちにホッホマンに師事できたことは、モリーニにとって非常に幸運であったと[[鈴木鎮一]]は指摘している{{Sfn|鈴木|1985|p=303}}。鈴木は「ホッホマンのおかげでモリーニは非常に高い芸術性を持ち、人間的にも円熟することができた」と述べたほか、シェフチークについて「技術と音楽表現だけを教える教師であり、芸術と人間を教育することはなかった」と評した{{Sfn|鈴木|1985|p=303}}。 |
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==評価== |
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===ヴァイオリニストからの評価=== |
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作曲家・ヴァイオリニストの[[フリッツ・クライスラー]]は「私の作品を、モリーニのようにすばらしく演奏することは、私にもできない」と述べた{{Sfn|エッゲブレヒト|2004|p=164}}。また、[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]のコンサートマスターであった[[アルノルト・ロゼ]]は、幼少期のモリーニにベートーヴェン『[[ヴァイオリン協奏曲 (ベートーヴェン)|ヴァイオリン協奏曲]]』のレッスンをしたことを誇りに思っていた{{Sfn|Newman|2000|p=40}}。なお、ロゼはモリーニに、娘の[[アルマ・ロゼ]](モリーニの2歳年下)にヴァイオリンを教えるよう頼むことすらあった{{Sfn|Newman|2000|p=40}}。 |
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===指揮者からの評価=== |
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指揮者の[[アルトゥール・ニキシュ]]は、デビューしたてのモリーニについて「この子はいわゆる通常の天才児ではない。この素朴な子は、天真爛漫なすばらしさそのものである」と評した{{Sfn|エッゲブレヒト|2004|p=164}}。ほかにも、指揮者の[[アルトゥーロ・トスカニーニ]]や[[ブルーノ・ワルター]]が、モリーニを賞賛した{{Sfn|Newman|2000|p=40}}。 |
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指揮者の[[ジョージ・セル]]もモリーニを高く評価しており、自身が音楽監督を務めた[[クリーヴランド管弦楽団]]にソリストとして何度も招いた{{Sfn|チャーリー|2022|p=157}}{{Sfn|チャーリー|2022|p=196}}。セルは特に、モリーニが演奏する[[ベートーヴェン]]の『[[ヴァイオリン協奏曲 (ベートーヴェン)|ヴァイオリン協奏曲]]』について「私が長年経験した中で、この曲の最も高貴でもっとも成熟した演奏でした。今日の他のどのヴァイオリニストもこれには及ばないと思います」と絶賛している{{Sfn|チャーリー|2022|p=290}}。なお、セルは[[シカゴ交響楽団]]や[[ニューヨーク・フィルハーモニック]]、[[フランス国立放送管弦楽団]]に客演した時も、モリーニと共演した{{Sfn|チャーリー|2022|p=218}}{{Sfn|チャーリー|2022|p=222}}{{Sfn|チャーリー|2022|p=303}}。 |
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===評論家からの評価=== |
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音楽評論家のハラルド・エッゲブレヒトは、モリーニについて「流れるようなカンタービレと、叙情的で、そして気品ある響きをもって演奏するヴァイオリニスト」「[[ジョコンダ・デ・ヴィート]]よりさらに柔軟性があり、テクニックに富み、ヴァイオリン演奏において非の打ち所がない」と評している{{Sfn|エッゲブレヒト|2004|p=163}}。また、他のヴァイオリニストたちと異なり、加齢による技術的な衰えは見られなかったと指摘している{{Sfn|エッケブレヒト|2004|p=165}}。 |
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==脚注== |
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===注釈=== |
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{{Reflist|group=注}} |
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===出典=== |
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{{reflist|2}} |
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==参考文献== |
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{{Commons category|Erika Morini}} |
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===英語文献=== |
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*{{Cite book |
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|last=Newman |
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|first=Richard |
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|title=Alma Rosé |
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|url=https://archive.org/details/almarosacuteevie00newm |
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|publisher=Amadeus Press |
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|location=Portland, Or. |
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|year=2000 |
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|isbn= 9781574670516 |
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|ref={{SfnRef|Newman|2000}} |
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}} |
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*{{Cite book |
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|last=Zwart |
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|first=Fritz |
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|title=Conductor Willem Mengelberg Acclaimed and Accused |
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|publisher=Amsterdam University Press |
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|year=2019 |
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|isbn=978-94-6298-605-3 |
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===日本語文献=== |
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*{{Cite journal|和書 |
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|author=Richard Bernas |
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|translator=諸石幸生 |
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|title=モリーニ(・シラクサーノ), エリカ |
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|journal=ニューグローヴ世界音楽大事典 第18巻 |
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|publisher=講談社 |
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|year=1995 |
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|pages=442 |
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|isbn=4-06-191638-6 |
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}} |
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*{{Cite book|和書 |
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|author=ハラルド・エッゲブレヒト |
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|translator=シュヴァルツァー節子 |
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|title=叢書20世紀の芸術と音楽 ヴァイオリンの巨匠たち |
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|publisher=アルファベータ |
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|year=2004 |
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|isbn=4-87198-462-1 |
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|||
*{{Cite journal|和書 |
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|title=Morini, Erica エリカ・モリーニ |
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|journal=演奏家大事典Ⅱ M-Z |
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|publisher=音楽鑑賞教育振興会 |
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|year=1982 |
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*{{Cite journal|和書 |
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|title=モリーニ |
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|journal=音楽大事典 第5巻 |
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|publisher=平凡社 |
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|year=1991 |
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|pages=2595 |
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|isbn=4-582-12500-X |
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|ref={{SfnRef|音楽大事典|1991}} |
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}} |
|||
*{{Cite journal|和書 |
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|title=モリーニ, エリカ |
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|journal=新訂 標準音楽辞典 トーワ 索引 |
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|publisher=音楽之友社 |
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|pages=1999-2000 |
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|isbn=978-4-276-00008-7 |
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|ref={{SfnRef|新訂 標準音楽辞典|2008}} |
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}} |
|||
*{{Cite book|和書 |
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|author=鈴木鎮一 |
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|authorlink=鈴木鎮一 |
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|title=鈴木鎮一全集 第4巻 私の奏法研究1 |
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|publisher=双柿社 |
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|year=1985 |
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|isbn=4-88029-031-9 |
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|||
*{{Cite book|和書 |
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|author=マイケル・チャーリー |
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|translator=伊藤氏貴 |
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|title=ジョージ・セル 音楽の生涯 |
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|year=2022 |
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|isbn=978-4-86265-932-3 |
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}} |
|||
*{{Cite book|和書 |
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|author=中村紘子 |
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|authorlink=中村紘子 |
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|title=チャイコフスキーコンクール ピアニストが聴く現代 |
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|publisher=中央公論社 |
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|year=1988 |
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|isbn=4-12-001742-7 |
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|ref={{SfnRef|中村|1988}} |
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}} |
|||
*{{Cite journal|和書 |
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|author=三橋圭介 |
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|title=エリカ・モリーニ |
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|journal=新編 ヴァイオリン&ヴァイオリニスト |
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|publisher=音楽之友社 |
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|year=2018 |
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|pages=103 |
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|isbn=978-4-276-96277-4 |
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|ref={{SfnRef|三橋|2018}} |
|||
}} |
|||
==外部リンク== |
|||
*[https://jwa.org/encyclopedia/article/morini-erica Erica Morini] - The Shalvi/Hyman Encyclopedia of Jewish Women |
|||
*[http://www.orpheustrust.at/musikereinzeln.php?l=e&muid=20040507151110 Erica Morini] - Orpheus Trust |
|||
*[https://www.allmusic.com/artist/erica-morini-mn0002194934 Erica Morini] - [[オールミュージック]] |
|||
*[https://www.discogs.com/artist/2524439-Erica-Morini Erica Morini] - [[Discogs]] |
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{{Normdaten}} |
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[[Category:アメリカ合衆国帰化市民]] |
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[[Category:1904年生]] |
[[Category:1904年生]] |
2022年11月26日 (土) 04:24時点における版
エリカ・モリーニ Erica Siracusano Morini | |
---|---|
基本情報 | |
生誕 | 1904年1月5日 |
出身地 | オーストリア=ハンガリー帝国、ウィーン |
死没 | 1995年11月1日(91歳没) |
学歴 | ウィーン音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ヴァイオリニスト |
活動期間 | 1916年 - 1976年 |
著名使用楽器 | |
ストラディバリウス |
エリカ・モリーニ(Erica Siracusano Morini, 1904年1月5日-1995年11月1日)は、ウィーン出身のヴァイオリニストである[1]。1916年にデビューしたのち天才少女として有名になり[2][3]、1976年まで活躍した[4]。アルトゥール・ニキシュ[5]、フリッツ・クライスラー[5]、アルノルト・ロゼ[6]、ジョージ・セル[7]らから、高く評価された。
生涯
1904年1月5日、音楽家の両親のもと、ウィーンに生まれる[2][1][注 1]。ヴァイオリニストの父オスカーにヴァイオリンを習ったのち、7歳でウィーン音楽院に入学し、ホーマ・ローゼンフェルトに師事した[9]。また、9歳からはオタカール・シェフチークに師事した[1][9][注 2]。モリーニは、ウィーン音楽院ヴァイオリン科における初の女性生徒かつ最年少の生徒であった[1][10][9]。また、友人アルマ・ロゼの父親であるアルノルト・ロゼから指導を受けることもあった[11][6]。
1916年にウィーンでデビューを果たすと、天才少女として有名になった[2][3]。特に指揮者のアルトゥール・ニキシュはモリーニを高く評価し、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などに招いた[3][1]。1920年から1921年のシーズンにはアメリカデビューを果たし、メトロポリタン歌劇場でアルトゥル・ボダンツキーと共演したほか、カーネギーホールでニューヨーク・フィルハーモニックと共演したり、リサイタルを開いたりした[3][1][10]。アメリカでの一連のコンサートは好評を博し、ヨーロッパに戻ってからも「同世代の中で最高の弦楽奏者の1人」という名声を勝ち得た[1]。
その後、モリーニはヴィルヘルム・フルトヴェングラー、エーリヒ・クライバー、ブルーノ・ワルター、アルトゥーロ・トスカニーニ、セルゲイ・クーセヴィツキーといった著名な指揮者たちと共演した[9]。なお、モリーニはウィレム・メンゲルベルクとも共演したが、あまり上手くいかなかったと回想している[9][12]。
ナチスによる併合を機にオーストリアを去ったモリーニは[1]、1940年にアメリカ合衆国へと移住し、1943年には市民権を獲得した[3][注 3]。第二次世界大戦後にはヨーロッパでの演奏活動を再開し、1970年代まで、世界各地で演奏活動を行なった[5][13]。また、1953年にはアメリカ合衆国マサチューセッツ州のスミス大学から音楽博士の称号を受けた[13]。
1976年、モリーニは引退した[4]。晩年には、自身のストラディヴァリウスが盗まれてしまったほか、指使いやコメントを書き込んだ楽譜、レコード、写真、書簡も散逸した[4]。
1995年11月1日、ニューヨークにて死去[4][2]。1976年の引退以降、モリーニは一度もヴァイオリンを手にすることはなかったという[4]。
人物
交友関係
幼少時代は、ヴァイオリニストのアルノルト・ロゼの娘であるアルマ・ロゼ、歌手のレオ・スレザークの娘であるグレーテル・スレザークと仲が良かった[11][6]。3人ともヴァイオリンとピアノを習っており、一緒にいたずらをすることもあったという[6][14]。指揮者のカール・バンベルガーは、彼女たちは仲良し3人組だったと回想している[6]。
直面した女性差別
モリーニは、自身のマネージャーが他の男性ヴァイオリニストを優先して売り出そうとしていたことに悩み、「誰も女流ヴァイオリニストを求めていないのです」と語った[4]。
このような女性音楽家への差別について、ピアニストの中村紘子は「『女性に向いている楽器はピアノ、ハープ、リュートであり、フルートやヴァイオリン、チェロは女性の優美さを損なう』という19世紀の思想は20世紀のヨーロッパ社会にも引き継がれたため、著名な女性ピアニストに比べて、著名な女性ヴァイオリニストの数は少ない」という趣旨の指摘をしつつ「女性の名ヴァイオリニストも決していなかった訳ではないと聞くが、少なくとも今日まで例えばピアノにおけるクララ・シューマンのような位置で名を遺した人はいない。今世紀前半に活躍した女性ヴァイオリニストといっても、私などはエリカ・モリーニ、若くして飛行機事故で亡くなったジネット・ヌヴーくらいしか思い出すことができない」と述べている[15][16][17]。
音楽性
近現代の音楽作品はあまり取り上げず、モーツァルトのヴァイオリンソナタを定番のアンコール曲として演奏した[18][19]。また、モリーニはヤッシャ・ハイフェッツを目標としていたが、音楽評論家のハラルド・エッゲブレヒトは「両者の演奏スタイルは大きく異なっており、モリーニがハイフェッツを目標としていたのは意外」という趣旨のコメントをしている[19]。
なお、モリーニはウィーン音楽院時代の師オタカール・シェフチークよりも、ローザ・ホッホマンから多くを学んだと回想している[20]。モリーニの発言は以下の通りである[20][21]。
シェフチークののちにホッホマンに師事できたことは、モリーニにとって非常に幸運であったと鈴木鎮一は指摘している[21]。鈴木は「ホッホマンのおかげでモリーニは非常に高い芸術性を持ち、人間的にも円熟することができた」と述べたほか、シェフチークについて「技術と音楽表現だけを教える教師であり、芸術と人間を教育することはなかった」と評した[21]。
評価
ヴァイオリニストからの評価
作曲家・ヴァイオリニストのフリッツ・クライスラーは「私の作品を、モリーニのようにすばらしく演奏することは、私にもできない」と述べた[5]。また、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターであったアルノルト・ロゼは、幼少期のモリーニにベートーヴェン『ヴァイオリン協奏曲』のレッスンをしたことを誇りに思っていた[6]。なお、ロゼはモリーニに、娘のアルマ・ロゼ(モリーニの2歳年下)にヴァイオリンを教えるよう頼むことすらあった[6]。
指揮者からの評価
指揮者のアルトゥール・ニキシュは、デビューしたてのモリーニについて「この子はいわゆる通常の天才児ではない。この素朴な子は、天真爛漫なすばらしさそのものである」と評した[5]。ほかにも、指揮者のアルトゥーロ・トスカニーニやブルーノ・ワルターが、モリーニを賞賛した[6]。
指揮者のジョージ・セルもモリーニを高く評価しており、自身が音楽監督を務めたクリーヴランド管弦楽団にソリストとして何度も招いた[22][23]。セルは特に、モリーニが演奏するベートーヴェンの『ヴァイオリン協奏曲』について「私が長年経験した中で、この曲の最も高貴でもっとも成熟した演奏でした。今日の他のどのヴァイオリニストもこれには及ばないと思います」と絶賛している[7]。なお、セルはシカゴ交響楽団やニューヨーク・フィルハーモニック、フランス国立放送管弦楽団に客演した時も、モリーニと共演した[24][25][26]。
評論家からの評価
音楽評論家のハラルド・エッゲブレヒトは、モリーニについて「流れるようなカンタービレと、叙情的で、そして気品ある響きをもって演奏するヴァイオリニスト」「ジョコンダ・デ・ヴィートよりさらに柔軟性があり、テクニックに富み、ヴァイオリン演奏において非の打ち所がない」と評している[8]。また、他のヴァイオリニストたちと異なり、加齢による技術的な衰えは見られなかったと指摘している[19]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h Bernas 1995, p. 442.
- ^ a b c d 新訂 標準音楽辞典 2008, p. 1999.
- ^ a b c d e 音楽大事典 1991, p. 2595.
- ^ a b c d e f エッゲブレヒト 2004, p. 166.
- ^ a b c d e f g エッゲブレヒト 2004, p. 164.
- ^ a b c d e f g h Newman 2000, p. 40.
- ^ a b チャーリー 2022, p. 290.
- ^ a b エッゲブレヒト 2004, p. 163.
- ^ a b c d e f 三橋 2018, p. 103.
- ^ a b 演奏家大事典 1982, p. 116.
- ^ a b Newman 2000, p. 17.
- ^ Zwart 2019, p. 902.
- ^ a b 新訂 標準音楽辞典 2008, p. 2000.
- ^ Newman 2000, p. 41.
- ^ 中村 1988, p. 151.
- ^ 中村 1988, p. 152.
- ^ 中村 1988, p. 153.
- ^ エッケブレヒト 2004, p. 164.
- ^ a b c エッケブレヒト 2004, p. 165.
- ^ a b c 鈴木 1985, p. 302.
- ^ a b c d 鈴木 1985, p. 303.
- ^ チャーリー 2022, p. 157.
- ^ チャーリー 2022, p. 196.
- ^ チャーリー 2022, p. 218.
- ^ チャーリー 2022, p. 222.
- ^ チャーリー 2022, p. 303.
参考文献
英語文献
- Newman, Richard (2000). Alma Rosé. Portland, Or.: Amadeus Press. ISBN 9781574670516
- Zwart, Fritz (2019). Conductor Willem Mengelberg Acclaimed and Accused. Amsterdam: Amsterdam University Press. ISBN 978-94-6298-605-3
日本語文献
- Richard Bernas「モリーニ(・シラクサーノ), エリカ」『ニューグローヴ世界音楽大事典 第18巻』、講談社、1995年、442頁、ISBN 4-06-191638-6。
- ハラルド・エッゲブレヒト 著、シュヴァルツァー節子 訳『叢書20世紀の芸術と音楽 ヴァイオリンの巨匠たち』アルファベータ、2004年。ISBN 4-87198-462-1。
- 「Morini, Erica エリカ・モリーニ」『演奏家大事典Ⅱ M-Z』、音楽鑑賞教育振興会、1982年、116頁。
- 「モリーニ」『音楽大事典 第5巻』、平凡社、1991年、2595頁、ISBN 4-582-12500-X。
- 「モリーニ, エリカ」『新訂 標準音楽辞典 トーワ 索引』、音楽之友社、2008年、1999-2000頁、ISBN 978-4-276-00008-7。
- 鈴木鎮一『鈴木鎮一全集 第4巻 私の奏法研究1』双柿社、1985年。ISBN 4-88029-031-9。
- マイケル・チャーリー 著、伊藤氏貴 訳『ジョージ・セル 音楽の生涯』鳥影社、2022年。ISBN 978-4-86265-932-3。
- 中村紘子『チャイコフスキーコンクール ピアニストが聴く現代』中央公論社、1988年。ISBN 4-12-001742-7。
- 三橋圭介「エリカ・モリーニ」『新編 ヴァイオリン&ヴァイオリニスト』、音楽之友社、2018年、103頁、ISBN 978-4-276-96277-4。
外部リンク
- Erica Morini - The Shalvi/Hyman Encyclopedia of Jewish Women
- Erica Morini - Orpheus Trust
- Erica Morini - オールミュージック
- Erica Morini - Discogs