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「潭柘寺」の版間の差分

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'''潭柘寺'''(たんしゃじ、{{Lang-en|tangzhesi}})は[[中国]][[北京市|北京]]の西郊外の[[門頭溝区|門頭溝]]区にあるお寺である。潭柘山の麓にあり、北京市街地から約30キロの場所にある。非常に歴史あるお寺であり、晋代(265年-420年)に建立されたと言われている。もともと嘉福寺と呼ばれていたが、清の康熙帝に岫雲寺と名付けられた。[[康熙帝]]は自ら岫雲寺と書いた額を贈ったとされる。しかし寺の裏側には龍の湿地帯(潭)があり、山の上には[[ツゲ|柘]]の木があったことから、民間では常に潭柘寺と呼ばれ、それが定着した<ref>{{Cite journal|date=2018-10-08|title=潭柘寺|url=https://zh-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E6%BD%AD%E6%9F%98%E5%AF%BA&oldid=51563502|journal=维基百科,自由的百科全书|language=zh}}</ref>。
'''潭柘寺'''(たんしゃじ、{{Lang-en|tangzhesi}})は[[中国]][[北京市|北京]]の西郊外の[[門頭溝区|門頭溝]]区にあるお寺である。潭柘山の麓にあり、北京市街地から約30キロの場所にある。非常に歴史あるお寺であり、晋代(265年-420年)に建立されたと言われている。もともと嘉福寺と呼ばれていたが、清の康熙帝に岫雲寺と名付けられた。[[康熙帝]]は自ら岫雲寺と書いた額を贈ったとされる。しかし寺の裏側には龍の湿地帯(潭)があり、山の上には[[ツゲ|柘]]の木があったことから、民間では常に潭柘寺と呼ばれ、それが定着した<ref>{{Cite journal|date=2018-10-08|title=潭柘寺|url=https://zh-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E6%BD%AD%E6%9F%98%E5%AF%BA&oldid=51563502|journal=维基百科,自由的百科全书|language=zh}}</ref>。


[[古刹]]であるため、古くから多くの有名人がこの地を訪れた。特に清の康熙帝と[[乾隆帝]]は何度もこの地を訪れた。このため、皇家のお寺にもなった。1929年にはわざわざ[[介石]]が参拝しに来たほどである。中華人民共和国成立後は1956年に[[朱徳]]が訪問したことがある。ただし[[文化大革命|文革]]時代に貴重なものが破壊され、流失した。1968年に一度閉鎖されたものの、1978年より復旧作業がスタートし、1980年7月に再び一般開放された。
[[古刹]]であるため、古くから多くの有名人がこの地を訪れた。特に清の康熙帝と[[乾隆帝]]は何度もこの地を訪れた。このため、皇家のお寺にもなった。1929年にはわざわざ[[介石]]が参拝しに来たほどである。中華人民共和国成立後は1956年に[[朱徳]]が訪問したことがある。ただし[[文化大革命|文革]]時代に貴重なものが破壊され、流失した。1968年に一度閉鎖されたものの、1978年より復旧作業がスタートし、1980年7月に再び一般開放された。
[[ファイル:潭柘寺大雄宝殿 - Sakyamuni Hall - 2012.04 - panoramio.jpg|サムネイル|大雄宝殿]]
[[ファイル:潭柘寺大雄宝殿 - Sakyamuni Hall - 2012.04 - panoramio.jpg|サムネイル|大雄宝殿]]
潭柘寺は北に座した南向きの建物で、東、真ん中、西の三つに分かれている。真ん中の建物は山門、天王門、[[大雄宝殿]]、毘盧閣などで、東は方丈院、延清閣、行宮院、万寿宮、太后宮で、西は戒台、[[観音菩薩|観音殿]]などになる。また乾隆帝が植えたとされる帝王樹」、「配王樹」の[[イチョウ]]の木は樹齢1000年を超えると言われ<ref>{{Cite web|title=北京地區最大的寺院潭柘寺果然名不虛傳|url=https://kknews.cc/travel/p85go2j.html|accessdate=2019-07-18|language=zh-tw}}</ref>、見所の一つである。その他、山頂にある毘盧閣からは全体を眺めることができ、山全体の紅葉なども見ることができる<ref>{{Cite web|title=旅行予約はJTB!│安心と信頼の旅行ツアーほか海外・国内の総合旅行予約サイト|url=https://www.jtb.co.jp/kaigai_guide|website=JTB|accessdate=2019-07-18|language=ja}}</ref>。
潭柘寺は北に座した南向きの建物で、東、真ん中、西の三つに分かれている。真ん中の建物は山門、天王門、[[大雄宝殿]]、毘盧閣などで、東は方丈院、延清閣、行宮院、万寿宮、太后宮で、西は戒台、[[観音菩薩|観音殿]]などになる。また乾隆帝が植えたとされる帝王樹」、「配王樹」の[[イチョウ]]の木は樹齢1000年を超えると言われ<ref>{{Cite web|title=北京地區最大的寺院潭柘寺果然名不虛傳|url=https://kknews.cc/travel/p85go2j.html|accessdate=2019-07-18|language=zh-tw}}</ref>、見所の一つである。その他、山頂にある毘盧閣からは全体を眺めることができ、山全体の紅葉なども見ることができる<ref>{{Cite web|title=旅行予約はJTB!│安心と信頼の旅行ツアーほか海外・国内の総合旅行予約サイト|url=https://www.jtb.co.jp/kaigai_guide|website=JTB|accessdate=2019-07-18|language=ja}}</ref>。

2020年9月15日 (火) 14:49時点における版

潭柘寺

潭柘寺(たんしゃじ、英語: tangzhesi)は中国北京の西郊外の門頭溝区にあるお寺である。潭柘山の麓にあり、北京市街地から約30キロの場所にある。非常に歴史あるお寺であり、晋代(265年-420年)に建立されたと言われている。もともと嘉福寺と呼ばれていたが、清の康熙帝に岫雲寺と名付けられた。康熙帝は自ら岫雲寺と書いた額を贈ったとされる。しかし寺の裏側には龍の湿地帯(潭)があり、山の上にはの木があったことから、民間では常に潭柘寺と呼ばれ、それが定着した[1]

古刹であるため、古くから多くの有名人がこの地を訪れた。特に清の康熙帝と乾隆帝は何度もこの地を訪れた。このため、皇家のお寺にもなった。1929年にはわざわざ蔣介石が参拝しに来たほどである。中華人民共和国成立後は1956年に朱徳が訪問したことがある。ただし文革時代に貴重なものが破壊され、流失した。1968年に一度閉鎖されたものの、1978年より復旧作業がスタートし、1980年7月に再び一般開放された。

大雄宝殿

潭柘寺は北に座した南向きの建物で、東、真ん中、西の三つに分かれている。真ん中の建物は山門、天王門、大雄宝殿、毘盧閣などで、東は方丈院、延清閣、行宮院、万寿宮、太后宮で、西は戒台、観音殿などになる。また乾隆帝が植えたとされる帝王樹」、「配王樹」のイチョウの木は樹齢1000年を超えると言われ[2]、見所の一つである。その他、山頂にある毘盧閣からは全体を眺めることができ、山全体の紅葉なども見ることができる[3]

脚注