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方幹民は戦前から[[キュビスム]]などの[[モダニズム]]美術の擁護者であるものの、それらの制作とともに写実的技術を駆使し、[[蔣介石]]の彫像も作っていた。しかし、この時代の作品の多くは[[日中戦争]]の戦火により破壊された。 |
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2020年9月15日 (火) 14:48時点における版
ほう かんみん Fang Ganmin 方幹民 | |
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生誕 |
1906年3月2日 清 浙江省温嶺県 |
死没 |
1984年1月19日(77歳没) 杭州市 |
出身校 | 法国巴黎美術学院、上海美術専科学校 |
配偶者 | 蘇愛蘭 |
方 幹民(ほう かんみん、Fang Ganmin、1906年3月2日 - 1984年1月19日)は、近代中国の油彩画家である。水彩・彫刻・中国の絵の分野でも活躍した。現代の油彩画の巨匠と評される。
生涯
戦前
方幹民は戦前からキュビスムなどのモダニズム美術の擁護者であるものの、それらの制作とともに写実的技術を駆使し、蔣介石の彫像も作っていた。しかし、この時代の作品の多くは日中戦争の戦火により破壊された。
戦後
戦後の現代美術の再建を願い、1945年に聯展及び「第一届独立美展」双方に関わった画家たちは、早くも1950年代以来のモダニズム美術に対する徹底的な否定によって美術界から抹殺された[1]。
文化大革命
戦後海外に渡った丁衍庸・林鏞・李仲生・趙無極を除き、文化大革命下では、汪日章・林風眠・葉浅予・郁風が獄中生活を送り、方幹民・関良・倪貽徳・龐薫琹が強制労働や監禁などの迫害を受けていた。これに伴い、方幹民の戦後作品の多くは破壊されてしまった。
晩年
文革終結後にようやく創作活動を再開したが、晩年の作品の多くは独自の色彩を用いた風景画である。
1984年に波乱に満ちた生涯を閉じた。
門弟
脚注
- ^ 漆麟 (2016年7月). “「現代絵画聯展」からみる日中戦争期におけるモダニズム美術の転換及びあり方” (PDF). 『人文学報』第109号. 京都大学学術情報リポジトリ. 2018年12月4日閲覧。