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「一級上将」の版間の差分

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== 概要 ==
== 概要 ==
それまでの中華民国[[国民革命軍]]は、将官は[[少将]]から[[上将]]までの3等制であったが、[[1935年]][[4月]]に一・二級に分離の上新たに制定される。8人の[[陸軍]]将官、1人の[[海軍]]将官の計9人が任命された。さらに上位の階級として[[大元帥|特級上将]]が存在したが、これは[[介石]]のみが任じられた。その後[[日中戦争]]を経た、[[国共内戦]]までにさらに8人が任命されたが、内5人は死後追贈による昇進である。
それまでの中華民国[[国民革命軍]]は、将官は[[少将]]から[[上将]]までの3等制であったが、[[1935年]][[4月]]に一・二級に分離の上新たに制定される。8人の[[陸軍]]将官、1人の[[海軍]]将官の計9人が任命された。さらに上位の階級として[[大元帥|特級上将]]が存在したが、これは[[介石]]のみが任じられた。その後[[日中戦争]]を経た、[[国共内戦]]までにさらに8人が任命されたが、内5人は死後追贈による昇進である。





2020年9月15日 (火) 14:38時点における版

一級上将(いっきゅうじょうしょう)は中華民国国軍の階級である。他国軍の上級大将に相当する。

概要

それまでの中華民国国民革命軍は、将官は少将から上将までの3等制であったが、1935年4月に一・二級に分離の上新たに制定される。8人の陸軍将官、1人の海軍将官の計9人が任命された。さらに上位の階級として特級上将が存在したが、これは蔣介石のみが任じられた。その後日中戦争を経た、国共内戦までにさらに8人が任命されたが、内5人は死後追贈による昇進である。


国共内戦に敗れ、台湾に遷都した後、周至柔空軍初の一級上将となるが、遷台後は大規模な戦争はなくなった事もあって、基本的に参謀総長のみの指定職となる。(二級上将が他国軍の大将に相当し、陸海空各軍総司令及び副参謀総長等の指定職である。)前述の周も1950年から1952年まで参謀総長と空軍総司令を兼任していたが、7代目の彭孟緝(着任1959年1965年)以降完全に定着し、彼以前の、着任時に二級上将だった歴代参謀総長も最終的には一級上将に昇進している。但し、遷台後も名誉的に任命された例も見られた。


歴代の参謀総長はまた、退任後は国防部国防部長に就任した例も見られたが、2000年に特級上将が廃止されると、一級上将が最高階級となる。2001年には、アメリカ軍等にならって、上将の一・二級分離を止め、代わりに准将を新設する案が出された。これは実現にはいたらなかったが、その後さらに一級上将も、2015年以降戦時に限定した階級とし、参謀総長が副参謀総長執行官同様二級上将、それまで二級上将の指定職だった副参謀総長(2名)が中将に降格される事が決定した。しかし、すでに2013年1月16日に空軍総司令である厳明中国語版が一級上将に昇進せず、二級上将のまま就任する予定である。ただし階級そのものが廃止されるわけではなく、重大な功績をあげた場合に限り昇進でき、定年も最大70歳まで延長できる規定となっている。[1]

一級上将一覧

中華民国一級上将一覧を参照の事。

脚注