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2020年9月15日 (火) 14:14時点における版
至聖廟(しせいびょう)は、沖縄県那覇市久米にある日本最南端の孔子廟である。孔子の他に四配(顔子、子思(孔伋)、曾子、孟子)の像が祀られている。
歴史
17世紀初頭より久米三十六姓の人々によって儒教の祭典が行われていたが、尚貞王の時の1676年になって、那覇泉崎の地に建立された。以来、教育機関の明倫堂とともに戦前までその威容を誇っていた。
しかし1945年の沖縄戦で焼失し、しかも軍道1号線(現在の国道58号)の拡張工事により敷地が削られたことで、元の地での再建が不可能になった。
1975年になり、波上宮に程近い天尊廟跡地に、天尊廟とともに再建された。元の地には蔣介石から贈られた孔子像が置かれている。2013年に旧久米郵便局跡地に移された。
現在は久米崇聖会により維持管理されている。
施設
- 大成殿 - 至聖廟(孔子廟)の本殿。孔子と、高弟の顔子、曾子、子思子、孟子を祀る。
- 明倫堂
- 天尊廟
- 天妃宮
- 程順則頌徳碑
- 蔡温頌徳碑
- 中山孔子廟建立碑
- 管理事務所
- 至聖門
戦前の画像
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孔子像
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孔子及び四聖配像