「翁文灝」の版間の差分
編集の要約なし |
m Bot作業依頼: 繡蔣を含む記事の改名に伴うリンク修正依頼 (蔣介石) - log |
||
48行目: | 48行目: | ||
=== 国民政府の政治家として === |
=== 国民政府の政治家として === |
||
[[1932年]](民国21年)、[[ |
[[1932年]](民国21年)、[[蔣介石]]の招聘を受けた翁文灝は、蔣のために国内鉱物資源分布等について教授する。翁の才識に賛嘆した蔣は、[[1935年]](民国24年)12月、翁を行政院秘書長に起用した。さらに、翁は国際的な交友関係を生かして、欧州各国の経済界首脳と様々な交渉を担当している。<ref>厳(1996)、52-53頁。</ref><ref name=Xu/><ref name=Liu/> |
||
[[日中戦争]](抗日戦争)期には、翁文灝は国民政府経済部部長に任じられ、さらに資源委員会主任委員、工鉱調整処処長、戦時生産局局長などの実業部門主管を歴任した。翁率いる資源委員会の専門家たちは、中国国内の生産や資源配分等の後方支援で大いに活躍している。[[1938年]]に翁は[[中国国民党]]に加入し、[[1945年]](民国34年)5月、翁文灝は[[中国国民党]]の中央執行委員に選出された。さらに行政院副院長にも任命されている。<ref>厳(1996)、53-54頁。</ref><ref name=Xu/><ref name=Liu/> |
[[日中戦争]](抗日戦争)期には、翁文灝は国民政府経済部部長に任じられ、さらに資源委員会主任委員、工鉱調整処処長、戦時生産局局長などの実業部門主管を歴任した。翁率いる資源委員会の専門家たちは、中国国内の生産や資源配分等の後方支援で大いに活躍している。[[1938年]]に翁は[[中国国民党]]に加入し、[[1945年]](民国34年)5月、翁文灝は[[中国国民党]]の中央執行委員に選出された。さらに行政院副院長にも任命されている。<ref>厳(1996)、53-54頁。</ref><ref name=Xu/><ref name=Liu/> |
||
日中戦争終結後の[[1946年]](民国35年)6月に中国石油公司が設立されると、翁文灝が[[役員 (会社)#董事長|董事長]]兼[[役員 (会社)#総経理|総経理]]に就任した。[[1948年]](民国37年)5月、[[ |
日中戦争終結後の[[1946年]](民国35年)6月に中国石油公司が設立されると、翁文灝が[[役員 (会社)#董事長|董事長]]兼[[役員 (会社)#総経理|総経理]]に就任した。[[1948年]](民国37年)5月、[[蔣介石]]が総統に選出されると、翁が[[行政院長]]に昇格した。なお翁は、[[中華民国憲法]]施行(「行憲」)後としては、初代の行政院長である。<ref>厳(1996)、54-55頁。</ref><ref name=Xu/><ref name=Liu/> |
||
翁文灝は[[国共内戦]]下での経済混乱の収拾に努力した。しかしその規模は、もはや翁にも如何ともし難い水準にあった。[[金円券]]発行などの様々な施策も空しく、同年11月、混乱収拾を成し得なかった責任を取り、翁は行政院院長を辞任した。同年12月、翁は[[中国共産党]]から国民政府における43人の戦犯の1人として指名されている。[[1949年]](民国38年)2月、翁は代理総統[[李宗仁]]により総統府秘書長に再起用された。しかし、政務への意欲はもはや無かった。<ref>厳(1996)、55-56頁。</ref><ref name=Xu/><ref name=Liu/> |
翁文灝は[[国共内戦]]下での経済混乱の収拾に努力した。しかしその規模は、もはや翁にも如何ともし難い水準にあった。[[金円券]]発行などの様々な施策も空しく、同年11月、混乱収拾を成し得なかった責任を取り、翁は行政院院長を辞任した。同年12月、翁は[[中国共産党]]から国民政府における43人の戦犯の1人として指名されている。[[1949年]](民国38年)2月、翁は代理総統[[李宗仁]]により総統府秘書長に再起用された。しかし、政務への意欲はもはや無かった。<ref>厳(1996)、55-56頁。</ref><ref name=Xu/><ref name=Liu/> |
2020年9月15日 (火) 14:06時点における版
翁文灝 | |
---|---|
1937年撮影 | |
プロフィール | |
出生: |
1889年7月26日 (清光緒15年6月29日) |
死去: |
1971年1月27日(81歳没) 中華人民共和国北京市 |
出身地: | 清浙江省寧波府鄞県石塘(現・寧波市海曙区高橋鎮) |
職業: | 地質学者・政治家 |
各種表記 | |
繁体字: | 翁文灝 |
簡体字: | 翁文灏 |
拼音: | Wēng Wénhào |
ラテン字: | Weng Wen-hao |
注音二式: | Wūng Wénhào |
和名表記: | おう ぶんこう |
発音転記: | ウォン ウェンハオ |
英語名: | Wong Wen-hao |
翁文灝 | |
---|---|
生誕 |
1889年7月26日 清 |
死没 |
1971年1月27日(81歳没) 中国 北京 |
研究分野 | 地質学 |
研究機関 | 北京大学、清華大学 |
出身校 | 震旦学院、ルーヴェン・カトリック大学 |
プロジェクト:人物伝 |
翁 文灝(おう ぶんこう)は、中華民国、中華人民共和国の地質学者・政治家。国際的にも優れた地質学者であり、また、国民政府で初代行政院長(憲政史上初の首相)を務めた。字は詠霓、永年。号は君達。なお堂弟(父方の従弟)の翁文波も地質学者・物理学者として著名である。
事績
地質学者として
祖父の翁歩雲は清朝の内閣中書を務めた人物である。翁文灝は、1902年、13歳で秀才となり、1906年(光緒32年)に上海の震旦学院でフランス語・数学等を習得する。1908年(光緒34年)、ヨーロッパに留学し、ベルギーのルーヴェン・カトリック大学に入学して、地質学(特に岩石学)を専攻した。1912年(民国元年)、中国史上初の地質学博士となった。[1][2][3]
帰国後は北京政府で地質学の専門家として各職を歴任し、1921年(民国10年)、丁文江の後任として農商部地質調査所長に就任した。その翌年には、中国地質学会副会長に就任している。1924年(民国13年)、北京大学・清華大学で教授となった。[4]その後も、国内各地で実地調査を進め、地質学・鉱物学・地震学・地理学等の様々な分野において多くの論文・著作を発表した。1934年(民国23年)には中国地理学会の初代会長に選出された。さらに、国際地質学会でも副会長を務めたほか、海外の大学からさまざまな栄誉を受賞している。[5][2][3]
国民政府の政治家として
1932年(民国21年)、蔣介石の招聘を受けた翁文灝は、蔣のために国内鉱物資源分布等について教授する。翁の才識に賛嘆した蔣は、1935年(民国24年)12月、翁を行政院秘書長に起用した。さらに、翁は国際的な交友関係を生かして、欧州各国の経済界首脳と様々な交渉を担当している。[6][2][3]
日中戦争(抗日戦争)期には、翁文灝は国民政府経済部部長に任じられ、さらに資源委員会主任委員、工鉱調整処処長、戦時生産局局長などの実業部門主管を歴任した。翁率いる資源委員会の専門家たちは、中国国内の生産や資源配分等の後方支援で大いに活躍している。1938年に翁は中国国民党に加入し、1945年(民国34年)5月、翁文灝は中国国民党の中央執行委員に選出された。さらに行政院副院長にも任命されている。[7][2][3]
日中戦争終結後の1946年(民国35年)6月に中国石油公司が設立されると、翁文灝が董事長兼総経理に就任した。1948年(民国37年)5月、蔣介石が総統に選出されると、翁が行政院長に昇格した。なお翁は、中華民国憲法施行(「行憲」)後としては、初代の行政院長である。[8][2][3]
翁文灝は国共内戦下での経済混乱の収拾に努力した。しかしその規模は、もはや翁にも如何ともし難い水準にあった。金円券発行などの様々な施策も空しく、同年11月、混乱収拾を成し得なかった責任を取り、翁は行政院院長を辞任した。同年12月、翁は中国共産党から国民政府における43人の戦犯の1人として指名されている。1949年(民国38年)2月、翁は代理総統李宗仁により総統府秘書長に再起用された。しかし、政務への意欲はもはや無かった。[9][2][3]
晩年
国民党敗北直前の同年10月、翁文灝はフランスへ去り、後にアメリカへ向かった。しかし1950年冬、毛沢東・周恩来の招聘を受けて、翌年3月に帰国している。帰国後は戦犯として罪を問われることもなく、国民政府時代と同様に専門家として優遇された。中国国民党革命委員会(民革)中央常務委員、第2期から第4期の中国人民政治協商会議全国委員会委員等を歴任している。また、地質学界に復帰して研究にも専念した。1971年1月27日、北京で病没。享年83(満81歳)。[10][2][3]
著作
- 『中国礦産誌略』農商部地質調査所、1919年
- 『中国礦法要義』1920年
- 丁文江共著『鉱政管見』1920年
- 丁文江共著『中華民国新地図』
- 『錐指集』地質図書館、1930年
- 丁文江・曽世英共編『中国分省新図』申報館、1939年
- 『華北の侵蝕及堆積現象』(和訳:菅野一郎訳、華北産業科学研究所華北農事試場験場、1942年)
- 『甘粛地震考』
- 『地震』
他多数。
脚注
関連項目
参考文献
- 厳如平 「翁文灝」中国社会科学院近代史研究所『民国人物伝 第8巻』中華書局、1996年。ISBN 7-101-01328-7。
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉国銘主編『中国国民党百年人物全書』団結出版社、2005年。ISBN 7-80214-039-0。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
中華民国(国民政府)
|
---|