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莒光楼は、当時の金門防衛司令官が、[[金門砲戦]]における国府側将校を顕彰することを目的として[[1952年]]に建設させた中華宮殿風建造物である。建物の名となった'''莒光'''とは、[[ |
莒光楼は、当時の金門防衛司令官が、[[金門砲戦]]における国府側将校を顕彰することを目的として[[1952年]]に建設させた中華宮殿風建造物である。建物の名となった'''莒光'''とは、[[蔣介石]]が唱えた'''{{lang|zh-tw|毋忘在莒}}'''({{lang|zh-tw|莒}}(きょ)に在ることを忘るる毋(なか)れ)<ref>[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]、[[斉 (春秋)|斉]]は[[燕 (春秋)|燕]]に領土の大部分を占領されたものの、僅かに残った[[莒県]]を足場に名将[[田単]]の用兵によって結果として領土を回復した故事を指している。</ref>・'''光復大陸'''に由来し、「大陸反攻」の象徴となっていた。 |
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そのため台湾で[[郵便事業]]を行う[[中華郵政]]はこの建物を描いた[[普通切手]]を[[1959年]](11種)に発行し、細部を変更して[[1960年]](14種)と[[1964年]](14種)にも再発行したため、この建物は有名になった。 |
そのため台湾で[[郵便事業]]を行う[[中華郵政]]はこの建物を描いた[[普通切手]]を[[1959年]](11種)に発行し、細部を変更して[[1960年]](14種)と[[1964年]](14種)にも再発行したため、この建物は有名になった。 |
2020年9月15日 (火) 13:56時点における版
莒光楼 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 莒光樓 |
拼音: | Jŭguānglóu |
注音符号: | ㄐㄩˇ ㄍㄨㄤ ㄌㄡˊ |
発音: | ジューグアンロウ |
台湾語白話字: | Kí kong lâu |
莒光楼(きょこうろう・Juguanglou)とは、中華民国(台湾)金門県大金門島の金城莒光湖そばにある建築物である。
概要
莒光楼は、当時の金門防衛司令官が、金門砲戦における国府側将校を顕彰することを目的として1952年に建設させた中華宮殿風建造物である。建物の名となった莒光とは、蔣介石が唱えた毋忘在莒(莒(きょ)に在ることを忘るる毋(なか)れ)[1]・光復大陸に由来し、「大陸反攻」の象徴となっていた。
そのため台湾で郵便事業を行う中華郵政はこの建物を描いた普通切手を1959年(11種)に発行し、細部を変更して1960年(14種)と1964年(14種)にも再発行したため、この建物は有名になった。
現在、民間に開放されており、1階は金門島の現状に関する展示が行われている。
参考文献
- 『地球の歩き方台湾2007-2008年半』ダイヤモンド社
- 葉武鷹編著『2006年最新版台湾郵票目録』蟠龍郵票公司(台北市) 中文表記