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その後、[[北伐 (中国国民党)|北伐]]に参加し一時[[汪兆銘]]の[[武漢国民政府]]に参画するが、その後は[[戴季陶]]の庇護を受け、[[介石]]の下で[[三民主義]]のイデオローグとして活躍<ref>[[土屋光芳]]『陳公博と周仏海はなぜ汪精衛政権に参加したか?』</ref>、国民党中央執行委員・党中央宣伝部副部長などを歴任。[[1938年]]に汪が対日和平を志向して[[重慶市|重慶]]を脱出すると、これに従い[[汪兆銘政権]]成立に参加する。


==汪兆銘政権での活動==
==汪兆銘政権での活動==

2020年9月15日 (火) 13:39時点における版

周仏海
写真週報』1940年4月3日号
プロフィール
出生: 1897年5月29日
光緒23年4月28日)
死去: 1948年民国37年)2月28日
中華民国の旗 中華民国南京市
出身地: 清の旗 湖南省辰州府沅陵県
職業: 政治家
各種表記
繁体字 周佛海
簡体字 周佛海
拼音 Zhōu Fóhăi
ラテン字 Chou Fo-hai
注音二式 Jōu Fóhăi
和名表記: しゅう ふつかい
発音転記: ジョウ フォーハイ
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周 仏海(しゅう ふつかい、1897年5月29日 - 1948年2月28日)は、中華民国財政家政治家。本名周 福海汪兆銘政権の有力者。

汪兆銘政権参加まで

湖南省生まれ。日本に留学し第七高等学校造士館 (旧制)京都帝国大学に学ぶ。この頃から共産主義に触れるようになり中国共産党とも接触を持つ。1921年に開催された中共一大会議には日本への留学生を代表する形で参加した。しかし、1924年に帰国すると中国国民党宣伝部秘書になり、共産党と関係を絶つ。

その後、北伐に参加し一時汪兆銘武漢国民政府に参画するが、その後は戴季陶の庇護を受け、蔣介石の下で三民主義のイデオローグとして活躍[1]、国民党中央執行委員・党中央宣伝部副部長などを歴任。1938年に汪が対日和平を志向して重慶を脱出すると、これに従い汪兆銘政権成立に参加する。

汪兆銘政権での活動

汪政権成立後は行政院副院長・財政部長・中央政治委員会秘書長・中央儲備銀行総裁・上海市長・上海保安司令・物資統制委員会委員長を歴任した。

汪兆銘亡き後は、陳公博が主席代理となったが、周は陰の実力者の地位を固め、「実質的な後継者」とも評される[2]

戦後の処遇

戦後漢奸として逮捕され、1946年11月7日に死刑の判決を受けるが、特赦により、1947年3月26日、無期徒刑に減刑される。特赦を発表した「国民政府令」によれば、減刑の理由は、「敵寇降伏前後、よく京滬杭一帯の秩序を維持し人民に塗炭の苦を受けしめず、社会の安全に貢献するところ少なくない」とのことであった。1948年2月、南京で収監中に獄死した。

その他

彼の息子の周幼海は共産党員となった。

脚注

  1. ^ 土屋光芳『陳公博と周仏海はなぜ汪精衛政権に参加したか?』
  2. ^ 小林英夫『日中戦争と汪兆銘』。

参考資料

  • 『周仏海日記』(訳書はみすず書房、1992年)
  • 今井武夫『支那事変の回想』(みすず書房、1964年)
    • 増補改訂され『日中和平工作 回想と証言 1937-1947』に改題、みすず書房で2009年3月に刊行。
  • 高橋久志監修 今井貞夫『幻の日中和平工作 軍人今井武夫の生涯』(中央公論事業出版、2007年)

関連項目

  南京国民政府(汪兆銘政権
先代
(創設)
財政部長
1940年3月 - 1945年8月
次代
(廃止)
先代
陳公博
上海市長
1945年1月15日 -
1945年9月12日
次代
(廃止)