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* [[フランクフルト学派]]出身の[[フランツ・ボルケナウ]]は著書「全体主義という敵」で、ファシズムと共産主義の実質的な同一性を記し、ロシアは「赤いファシズム」、ナチス・ドイツは「褐色のボルシェヴィズム」と呼んだ<ref>「全体主義」エンツォ・トラヴェルソ(平凡社新書、2010年)63p</ref>。
* [[フランクフルト学派]]出身の[[フランツ・ボルケナウ]]は著書「全体主義という敵」で、ファシズムと共産主義の実質的な同一性を記し、ロシアは「赤いファシズム」、ナチス・ドイツは「褐色のボルシェヴィズム」と呼んだ<ref>「全体主義」エンツォ・トラヴェルソ(平凡社新書、2010年)63p</ref>。
* [[ジョージ・ケナン]]は、著書「アメリカ外交50年」で「大戦の開始前、世界の陸軍力と空軍力の圧倒的部分が[[ナチス・ドイツ]]と[[ソビエト連邦|ソヴェト・ロシア]]と[[大日本帝国|日本帝国]]という3つの政治勢力の手に集中されていた。これらの勢力はどれも、[[西側諸国|西側]]民主主義に対して深刻な危険な敵意を抱いていた」としたうえで「この3つの全体主義国」なる括りで論評している<ref>ジョージ・F・ケナン『アメリカ外交50年』[[岩波現代文庫]]、2000年、114ページ、219ページ</ref>。
* [[ジョージ・ケナン]]は、著書「アメリカ外交50年」で「大戦の開始前、世界の陸軍力と空軍力の圧倒的部分が[[ナチス・ドイツ]]と[[ソビエト連邦|ソヴェト・ロシア]]と[[大日本帝国|日本帝国]]という3つの政治勢力の手に集中されていた。これらの勢力はどれも、[[西側諸国|西側]]民主主義に対して深刻な危険な敵意を抱いていた」としたうえで「この3つの全体主義国」なる括りで論評している<ref>ジョージ・F・ケナン『アメリカ外交50年』[[岩波現代文庫]]、2000年、114ページ、219ページ</ref>。
*村上和也はJ.リンスの定義に照らして[[中華民国]]([[台湾]])の[[介石]]体制を全体主義、その息子[[経国]]体制を[[権威主義]]と分析する<ref>[https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/22290/1/4_P303-332.pdf 村上和也「中華民国 (台湾) における政治体制の移行: 権力闘争と 「統独」 問題を中心にして」(北大法学研究科)]</ref>。
*村上和也はJ.リンスの定義に照らして[[中華民国]]([[台湾]])の[[介石]]体制を全体主義、その息子[[経国]]体制を[[権威主義]]と分析する<ref>[https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/22290/1/4_P303-332.pdf 村上和也「中華民国 (台湾) における政治体制の移行: 権力闘争と 「統独」 問題を中心にして」(北大法学研究科)]</ref>。
「全体主義」の用語と概念は、[[個人主義]]や自由主義の反対概念から発生しており{{要出典|date=2020年1月}}、個人主義的自由主義を批判する立場からは肯定的に、個人主義的自由主義を支持する立場からは批判的に使用されている。[[フリードリヒ・ハイエク]]は[[右翼]]も左翼も一見正反対に見える政治思想も実は同じ全体主義であるとした。
「全体主義」の用語と概念は、[[個人主義]]や自由主義の反対概念から発生しており{{要出典|date=2020年1月}}、個人主義的自由主義を批判する立場からは肯定的に、個人主義的自由主義を支持する立場からは批判的に使用されている。[[フリードリヒ・ハイエク]]は[[右翼]]も左翼も一見正反対に見える政治思想も実は同じ全体主義であるとした。



2020年9月15日 (火) 13:19時点における版

全体主義(ぜんたいしゅぎ、イタリア語: totalitarismo, : totalitarianism)とは、政府に反対する政党の存在を認めず、また個人が政府に異を唱えることを禁ずる思想または政治体制の1つである[1]。この体制を採用する国家は、通常1つの個人や党派または階級によって支配され、その権威には制限が無く、公私を問わず国民生活の全ての側面に対して可能な限り規制を加えるように努める[2]

政治学では権威主義体制の極端な形とされる。通常は単なる独裁専制とは異なり、「全体の利益を個人の利益より優先する」だけではなく、個人の私生活なども積極的または強制的に全体に従属させる。全体主義の対義語個人主義[3]、権威主義の対義語は民主主義である。

用語

「全体主義」(totalitarismo)の語は1923年にジョヴァンニ・アメンドラによって初めて用いられた。第一次世界大戦で登場した「総力戦」(total war)の用語の連想から生まれたとされる。この用語は当初は肯定的な意味でも否定的な意味でも使用されたが、第二次世界大戦終結後は通常は否定的な意味で使用され、しばしばレッテル貼りでも使用されている[要出典]

ジョヴァンニ・ジェンティーレは全体主義者を自称した。1929年11月2日の「ロンドンポスト」は、ベニート・ムッソリーニ体制下のイタリアを最初に「全体主義国家」と呼んだ。1932年ザ・ドクトリン・オブ・ファシズムではイタリアのファシストが「全体主義」を肯定的な意味で使用した[要出典]

概要

全体主義は一般に、市民が通常は国家の意思決定に重要な割合を持たない権威主義体制と、公的および私生活の最も重要な側面を指示する定式化された意味で広く公布された政治思想の、結合である[4]

全体主義の体制や運動は、国家が管理するマスメディアによる網羅的なプロパガンダや、しばしば一党制計画経済言論統制、大規模な監視、国家暴力の広範な使用などによって政治権力を維持する。

アリストテレスは政体を君主政共和政民主政と分類し、その堕落形態を専政寡頭政衆愚政として分類した。

近代では戦間期から「全体主義」の語が登場し、第二次世界大戦に入ると全体主義および全体主義体制の語は民主主義および民主体制への対置として用いられはじめた。

1970年代以降は、非民主的な政治体制をすべて「全体主義体制」として把握することを避けるため権威主義体制の概念が提唱され、政治体制をどのように規定すべきかという議論とともに「全体主義体制・権威主義体制・民主主義体制」という分類が定着しつつある。全体主義と権威主義との差異については、以下の表を参照のこと[5]

全体主義体制 権威主義体制
カリスマ
統治概念 機能としての指導者 個人としての指導者
権力の目的 公的 私的
汚職
公式イデオロギー
立憲的多元主義
合法

経済不況による全体主義化

不況による失業率の上昇は社会不安を増大させる。ドイツの例としては、1928年の総選挙ではドイツ社会民主党が33%、ドイツ国家人民党が15.8%、ドイツ共産党が11.7%の議席を獲得したのに対し、ナチ党はわずか2.6%であった。その翌年に米国で発生した世界恐慌の影響が西欧諸国に及び、ワイマール共和国の経済は急激に悪化した。1930年には首相に選出されたハインリヒ・ブリューニングが財政規律を重視し、不況の最中にもかかわらず政府支出を抑制した。その結果、景気悪化が加速したために政府は減収となり、1932年には失業率は約30%にまで達した[6][注釈 1]浜矩子のように、この時期のドイツ国の失業率は40%を越えていた[7]とするエコノミストもいる)。不況の深刻化と平行してナチ党への投票傾向が強まり、1930年の総選挙ではナチ党の得票率は19.2%に上昇、その2年後の選挙では32.4%の得票率で大躍進した。既存政党が政局に明け暮れ、景気回復のための経済政策をとる責任を事実上放棄していたのとは対照的に、ナチ党はその不況から脱するための策を講ずると有権者に約束していた。そしてナチ党はそのための理論を有していた。経済運営の責任所在の明確化、景気対策の具体的な計画、議会での議論よりも計画の実践に比重を置く、などである。ヒトラーはアウトバーン建設といった公共事業をはじめとする大規模な財政支出によって、ドイツ経済を完全雇用の水準にまで回復させた。

歴史

歴史的には、プラトン民主主義衆愚政治と考え、フランス革命ではジャコバン派恐怖政治を行ったが、当時は「全体主義」との用語は存在しなかった。

充実した全体主義

充実した全体主義(totalitarianism on satisfaction)は、ある集団の構成者皆が全体のために自発的に奉仕して、それを自然に受け入れる状態を言う[要出典]。太平洋戦争中の日本に外国人記者として滞在したフランス人ジャーナリストは、日本人を観察して、自分達、西欧人の個人主義と違う点として、「日本の個人主義は、集団の思想との対立をつねに避け、集団と闘うよりは集団に仕えることの方が多い。」[8]と述べ、全体主義に対抗するはずの個人主義を観察して、日本社会の充実した全体主義的な傾向を指摘している。

多くはカリスマ的指導者の下に、ある目的のために一丸となっているので、それが外から見て過酷な環境下にあっても、構成者は苦痛や不満などは生じない。

充実した全体主義の下での集団の多くは排他的であり、異なる考えを持つ者を、集団内多数の意思によって排斥する。

また、他の集団に対して優越意識があり、他より優秀な指導者の下にいると思うことで充実感を持つ。

また逆に状況が変化すると、集団が同じ方向を向いているので、脆くも体制が崩壊する面も持つ。

例えば、日本企業においてはサービス残業の風潮があり、残業をするのは自分が仕事が遅いからとして受け止め、集団に迷惑をかけたくないと言うことで残業代を返上するような事であるが、一旦労働者がそれが労働基準法に違反する事に気づけば、労働争議に発展して、体制は崩壊の危機に直面する事件も起きている。

この状態を利用する指導者は、構成者の多数が反対の意思を示すことが無い為、自在に構成者を利用することが可能である。

また、少数の反対者を差別する事によって、多数の構成者に優越意識を持たせるのも常套手段となる。

エンツォ・トラヴェルソは著書「全体主義」で、「全体主義」という用語と概念の歴史を以下のように整理し、時代によりさまざまな異なる概念を入れる「容器」として機能した、と記した[9]

「全体主義」と呼ぶ範囲は、さまざまな立場がある。

「全体主義」の用語と概念は、個人主義や自由主義の反対概念から発生しており[要出典]、個人主義的自由主義を批判する立場からは肯定的に、個人主義的自由主義を支持する立場からは批判的に使用されている。フリードリヒ・ハイエク右翼も左翼も一見正反対に見える政治思想も実は同じ全体主義であるとした。

19世紀後半から顕在化した社会問題に対して、当時の自由民主主義による自由主義国家は有効な対応を立てられなかった。このためカール・マルクスブルジョワ民主主義を否定して暴力革命プロレタリア独裁を掲げ、ロシア革命ソビエト連邦共産党による一党独裁体制が誕生し、秘密警察粛清が行われた。特にスターリン体制下では極端な個人崇拝恐怖政治大粛清が行われた。

またイタリア王国では国家主義コーポラティズムを掲げたファシズム、ドイツ国では民族主義反ユダヤ主義を掲げたナチズムが政権を獲得した。なお同時期の日本大政翼賛会軍部の影響力が強い国家総動員体制が、同様に全体主義と呼ばれることもある。フランコ体制下のスペインエスタド・ノヴォポルトガルなどの権威主義体制は厳密にはファシズムとは異なるが、言論の自由に対する抑制が行われるなど全体主義と類似する特徴があった。

各国の全体主義体制は、従来は国家や党が積極的に介入してこなかった社会、経済文化の諸領域にまで干渉し、「不毛な」選挙議会政治を否定して、直接的な民意形成を採用すると主張した。このため、全体の利益や権利が、個人の利益や自由に優先する、と主張した。

ドイツでは全体主義は特定の政治体制だが、それに対し、日本では、日本文化そのものが、徹底的に全体主義と、分析するアメリカ人が存在する[13]

精神科医の土居健郎は、「日本人の集団志向性は、オーウェルの一九八四に見られるような全体主義的なものとは異なる。それは個人にとって集団の支えが絶対欠かせないという本能的感覚に基づいている。」と述べている[14]

第二次世界大戦後は、「全体主義」を自称する国家や体制は消滅したため、以後は通常、個人主義や自由主義の立場から相手を批判する用法のみで使用されている[要出典]

参照

注釈

  1. ^ 統計上の数字に現れていない失業者数も考慮すれば、実際の失業率はさらに悪かったと考えられる。

出典

  1. ^ Longman Dictionaries
  2. ^ Robert Conquest Reflections on a Ravaged Century (2000) ISBN 0-393-04818-7, page 74
  3. ^ Weblio国語辞典  三省堂 大辞林 第三版
  4. ^ C.C.W. Taylor. “Plato's Totalitarianism.” Polis 5 (1986): 4-29. Reprinted in Plato 2: Ethics, Politics, Religion, and the Soul, ed. Gail Fine (Oxford: Oxford University Press, 1999), 280-296.
  5. ^ "Sondrol, Paul C. "Totalitarian and Authoritarian Dictators: A Comparison of Fidel Castro and Alfredo Stroessner." Journal of Latin American Studies 23(3): October 1991, pp. 449-620.
  6. ^ Slouching Towards Utopia?: The Economic History of the Twentieth Century -XV. Nazis and Soviets- J. Bradford DeLong, University of California Berkeley, February 1997
  7. ^ 浜矩子 ユニクロ型デフレと国家破産、文春新書、2010
  8. ^ ロベール・ギラン、「日本人と戦争」、朝日文庫、1990年、234ページ
  9. ^ 「全体主義」(平凡社新書、2010年)185-187p
  10. ^ 「全体主義」エンツォ・トラヴェルソ(平凡社新書、2010年)63p
  11. ^ ジョージ・F・ケナン『アメリカ外交50年』岩波現代文庫、2000年、114ページ、219ページ
  12. ^ 村上和也「中華民国 (台湾) における政治体制の移行: 権力闘争と 「統独」 問題を中心にして」(北大法学研究科)
  13. ^ C・ダグラス・ラミス、『内なる外国「菊と刀」再考』、昭和56年、時事通信社、155ページ
  14. ^ 土居健郎、「表と裏」、弘文堂、昭和60年、95ページ

関連項目

類似概念
研究者・小説など
関連概念
対立概念および、その関連概念