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古代の[[百越]]の地。[[秦]]の[[始皇帝]]が中国を統一して現在の広州に南海郡番禺県を設置したのが始まり。秦帝国の崩壊後、[[趙佗]]が[[南越国]]を樹立して自立したが、[[前漢]]の[[武帝 (漢)|武帝]]によって滅ぼされた。漢代には[[交州]]に属し、三国[[呉 (三国)|呉]]が広州を分置した。古代から中国の南海貿易の中心地として発展し、[[唐]]代半ばの[[741年]]には最初の[[市舶司]]が設置され、多数の[[イスラム]]教徒や[[ユダヤ人]]や[[ゾロアスター教]]徒が訪れ、外国人居留区である[[蕃坊]]もおかれたが、アブー・ザイド({{lang|en|Abu Zayd Hasan As-Sirafi}})の『東邦誌』によると[[878年]]の[[広州大虐殺 (唐代)|広州大虐殺]]でコミュニティーが消滅した。唐末の[[黄巣の乱]]に際して襲撃を受けて多大な打撃を受けたが復興し、[[五代十国]]時代には[[南漢]]王国の首都となった。[[海禁]]政策を取った[[明]]代でも広州は南海諸国の朝貢船入港地となり、[[清]]代半ばの[[1757年]]からは広州のみが対外開放されて欧米諸国と[[広東貿易]]が行われた。この構図は近代に入り西欧列強の圧力に屈するまで続く。 |
古代の[[百越]]の地。[[秦]]の[[始皇帝]]が中国を統一して現在の広州に南海郡番禺県を設置したのが始まり。秦帝国の崩壊後、[[趙佗]]が[[南越国]]を樹立して自立したが、[[前漢]]の[[武帝 (漢)|武帝]]によって滅ぼされた。漢代には[[交州]]に属し、三国[[呉 (三国)|呉]]が広州を分置した。古代から中国の南海貿易の中心地として発展し、[[唐]]代半ばの[[741年]]には最初の[[市舶司]]が設置され、多数の[[イスラム]]教徒や[[ユダヤ人]]や[[ゾロアスター教]]徒が訪れ、外国人居留区である[[蕃坊]]もおかれたが、アブー・ザイド({{lang|en|Abu Zayd Hasan As-Sirafi}})の『東邦誌』によると[[878年]]の[[広州大虐殺 (唐代)|広州大虐殺]]でコミュニティーが消滅した。唐末の[[黄巣の乱]]に際して襲撃を受けて多大な打撃を受けたが復興し、[[五代十国]]時代には[[南漢]]王国の首都となった。[[海禁]]政策を取った[[明]]代でも広州は南海諸国の朝貢船入港地となり、[[清]]代半ばの[[1757年]]からは広州のみが対外開放されて欧米諸国と[[広東貿易]]が行われた。この構図は近代に入り西欧列強の圧力に屈するまで続く。 |
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[[阿片戦争]]中の[[1841年]]には一時[[イギリス]]軍に占領され、[[1911年]]には[[孫文]]が広州蜂起を行い、[[辛亥革命]]の先駆けとなった。[[袁世凱]]の没落後、孫文は[[1921年]]に越秀山南麓で{{仮リンク|広州中華民国政府|zh|廣州中華民國政府/广州中华民国政府}}非常(時期)大総統に就任した。[[1924年]]には軍閥割拠の中国を統一するため[[国共合作]]を行い、[[黄埔軍官学校]]を設立、[[ |
[[阿片戦争]]中の[[1841年]]には一時[[イギリス]]軍に占領され、[[1911年]]には[[孫文]]が広州蜂起を行い、[[辛亥革命]]の先駆けとなった。[[袁世凱]]の没落後、孫文は[[1921年]]に越秀山南麓で{{仮リンク|広州中華民国政府|zh|廣州中華民國政府/广州中华民国政府}}非常(時期)大総統に就任した。[[1924年]]には軍閥割拠の中国を統一するため[[国共合作]]を行い、[[黄埔軍官学校]]を設立、[[蔣介石]]が校長となり、[[周恩来]]が政治部主任を務めた。この時期には[[毛沢東]]も農民運動講習会をこの地で開催している。孫文没後、蔣介石の国民党は共産党と決裂し、[[1927年]]共産党は[[広州コミューン]]を樹立したが、間もなく国民党軍の攻撃を受けた([[広州起義]])。蔣介石は[[1928年]]に首都を[[南京市|南京]]に移転している。[[1938年]]日本軍が占領。終戦まで占領状態が維持される。 |
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[[中華人民共和国]]成立後も[[香港]]に近い広州は中国の対外貿易港として機能し、毎年春秋には[[広州交易会]](カントン・フェアー)が開催され続けている。[[1979年]]、[[鄧小平]]が[[改革開放|対外経済開放政策]]を取ると、[[深圳市|{{JIS2004フォント|深圳}}]]・[[珠海市|珠海]]の経済特区を経済圏に収める広州は経済的に急速に発展を遂げた。しかし、多数の人口が農村から流入し、治安の悪化が社会問題となっている。 |
[[中華人民共和国]]成立後も[[香港]]に近い広州は中国の対外貿易港として機能し、毎年春秋には[[広州交易会]](カントン・フェアー)が開催され続けている。[[1979年]]、[[鄧小平]]が[[改革開放|対外経済開放政策]]を取ると、[[深圳市|{{JIS2004フォント|深圳}}]]・[[珠海市|珠海]]の経済特区を経済圏に収める広州は経済的に急速に発展を遂げた。しかし、多数の人口が農村から流入し、治安の悪化が社会問題となっている。 |
2020年9月15日 (火) 13:19時点における版
中華人民共和国 広東省 広州市 | |||
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上から時計回り: 珠江新城のスカイライン、越秀山の五羊石像、石室聖心大聖堂、鎮海楼、夜の広州塔、中央: 珠江・海珠橋の夜景(上)と中山記念堂(下) | |||
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略称:穂 | |||
別称:羊城、省城、花城、穂城 | |||
旧称:粤東省城、番禺、楚庭 | |||
広州市の位置 | |||
中心座標 北緯23度07分43.67秒 東経113度15分32.31秒 / 北緯23.1287972度 東経113.2589750度 | |||
簡体字 | 广州 | ||
繁体字 | 廣州 | ||
拼音 | Guăngzhōu | ||
カタカナ転写 | クワンチョウ(普通話) クオンツァウ(広東語) | ||
粤拼 | Gwong2zau1 si5 | ||
国家 | 中華人民共和国 | ||
省 | 広東 | ||
行政級別 | 副省級市 | ||
政府所在地 | 越秀区 | ||
建城 | 紀元前214年 | ||
成立市役所 | 1921年 | ||
市委書記 | 張碩輔 | ||
市長 | 温国輝 | ||
面積 | |||
総面積 | 7,434.4 km² | ||
市区 | 3,718.8 km² | ||
海抜 | 0 - 1,210 m | ||
人口 | |||
総人口(2018) | 1,490.44[1] 万人 | ||
人口密度 | 0.20万[2] 人/km² | ||
戸籍人口(2018) | 927.69[1] 万人 | ||
戸籍人口密度 | 1,084 人/km² | ||
市区人口(2010) | 1,107.81 万人 | ||
経済 | |||
GDP(2018) | 22,859.35億[1]元 | ||
一人あたりGDP | 155,491[1]元 | ||
電話番号 | 020 | ||
郵便番号 | 510000 | ||
ナンバープレート | 粤A | ||
行政区画代碼 | 440100 | ||
市樹 | 木棉 | ||
市花 | 木棉 | ||
市鳥は画眉鳥 | |||
公式ウェブサイト: http://japanese.gz.gov.cn (日本語) http://www.gz.gov.cn (中国語) |
広州市 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
繁体字 | 廣州 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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簡体字 | 广州 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
郵政式 | Canton | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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フランス語 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フランス語 | Canton |
広州市(こうしゅう-し、繁体字中国語: 廣州市、簡体字中国語: 广州市、拼音: 、英語: Canton/Kwangchow/Guangzhou)は、中華人民共和国広東省に位置する副省級市で、広東省人民政府が置かれる省都。
概要
広東省のみならず、華南地域全体の経済、文化、教育、交通などの中心都市の一つであり、国務院により、国家中心都市の一つに指定されている。2010年の常住人口は1,270万人、市内総生産は1兆0604億元(約13兆円)[3]であり、昔から羊城と愛称され、花城、穂城の名もあり、穂(拼音: )と略称される。地下鉄、高速道路網が発達している。
一般に北京市、上海市と共に、中国本土の三大都市の一つに数えられる。また、深圳市を含めた4都市は「一線都市」に分類されており、「北上広深」として四大都市に数えられることもある[4]。アメリカのシンクタンクが2017年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界71位の都市と評価された[5]。中国本土では北京市、上海市に次ぐ3位である。
歴史
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古代の百越の地。秦の始皇帝が中国を統一して現在の広州に南海郡番禺県を設置したのが始まり。秦帝国の崩壊後、趙佗が南越国を樹立して自立したが、前漢の武帝によって滅ぼされた。漢代には交州に属し、三国呉が広州を分置した。古代から中国の南海貿易の中心地として発展し、唐代半ばの741年には最初の市舶司が設置され、多数のイスラム教徒やユダヤ人やゾロアスター教徒が訪れ、外国人居留区である蕃坊もおかれたが、アブー・ザイド(Abu Zayd Hasan As-Sirafi)の『東邦誌』によると878年の広州大虐殺でコミュニティーが消滅した。唐末の黄巣の乱に際して襲撃を受けて多大な打撃を受けたが復興し、五代十国時代には南漢王国の首都となった。海禁政策を取った明代でも広州は南海諸国の朝貢船入港地となり、清代半ばの1757年からは広州のみが対外開放されて欧米諸国と広東貿易が行われた。この構図は近代に入り西欧列強の圧力に屈するまで続く。
阿片戦争中の1841年には一時イギリス軍に占領され、1911年には孫文が広州蜂起を行い、辛亥革命の先駆けとなった。袁世凱の没落後、孫文は1921年に越秀山南麓で広州中華民国政府非常(時期)大総統に就任した。1924年には軍閥割拠の中国を統一するため国共合作を行い、黄埔軍官学校を設立、蔣介石が校長となり、周恩来が政治部主任を務めた。この時期には毛沢東も農民運動講習会をこの地で開催している。孫文没後、蔣介石の国民党は共産党と決裂し、1927年共産党は広州コミューンを樹立したが、間もなく国民党軍の攻撃を受けた(広州起義)。蔣介石は1928年に首都を南京に移転している。1938年日本軍が占領。終戦まで占領状態が維持される。
中華人民共和国成立後も香港に近い広州は中国の対外貿易港として機能し、毎年春秋には広州交易会(カントン・フェアー)が開催され続けている。1979年、鄧小平が対外経済開放政策を取ると、深圳・珠海の経済特区を経済圏に収める広州は経済的に急速に発展を遂げた。しかし、多数の人口が農村から流入し、治安の悪化が社会問題となっている。
地理
広州は珠江デルタ地帯の北部、西江、北江、東江の合流地点に位置する港湾都市である。海からは虎門を入り、獅子洋を遡る。隣接する行政市は仏山市、東莞市、中山市、清遠市、恵州市である。
気候
中国の気候区分による南亜熱帯海洋性季節風気候であり、年間平均気温は摂氏22.4度、最も暑い7月の平均気温は摂氏28.9度、最も寒い1月の平均気温は13.9度である。年間降水量は1,801.4ミリメートルであり、年間日照時間は1,538.8時間である。最高気温極値は摂氏39.1度。最低気温極値は摂氏0度。
広州市(1981〜2010年平均、極値1951〜2013年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 28.4 (83.1) |
29.4 (84.9) |
32.1 (89.8) |
33.5 (92.3) |
36.2 (97.2) |
38.9 (102) |
39.1 (102.4) |
38.7 (101.7) |
37.6 (99.7) |
36.2 (97.2) |
33.4 (92.1) |
29.6 (85.3) |
39.1 (102.4) |
平均最高気温 °C (°F) | 18.7 (65.7) |
19.2 (66.6) |
21.8 (71.2) |
26.0 (78.8) |
29.8 (85.6) |
31.7 (89.1) |
33.2 (91.8) |
33.2 (91.8) |
31.8 (89.2) |
29.3 (84.7) |
25.1 (77.2) |
20.8 (69.4) |
26.7 (80.1) |
日平均気温 °C (°F) | 13.9 (57) |
15.2 (59.4) |
18.1 (64.6) |
22.4 (72.3) |
25.8 (78.4) |
27.8 (82) |
28.9 (84) |
28.8 (83.8) |
27.5 (81.5) |
24.7 (76.5) |
20.1 (68.2) |
15.5 (59.9) |
22.4 (72.3) |
平均最低気温 °C (°F) | 10.7 (51.3) |
12.5 (54.5) |
15.4 (59.7) |
19.7 (67.5) |
23.0 (73.4) |
25.0 (77) |
25.9 (78.6) |
25.7 (78.3) |
24.4 (75.9) |
21.3 (70.3) |
16.5 (61.7) |
11.8 (53.2) |
19.3 (66.7) |
最低気温記録 °C (°F) | 0.1 (32.2) |
0.0 (32) |
3.2 (37.8) |
7.7 (45.9) |
14.6 (58.3) |
18.8 (65.8) |
21.6 (70.9) |
20.9 (69.6) |
15.5 (59.9) |
9.5 (49.1) |
4.9 (40.8) |
0.0 (32) |
0.0 (32) |
雨量 mm (inch) | 44.1 (1.736) |
71.1 (2.799) |
93.4 (3.677) |
184.6 (7.268) |
286.8 (11.291) |
318.6 (12.543) |
238.2 (9.378) |
233.8 (9.205) |
194.4 (7.654) |
68.7 (2.705) |
38.4 (1.512) |
29.3 (1.154) |
1,801.4 (70.921) |
平均降雨日数 | 7.0 | 10.8 | 14.9 | 16.2 | 16.9 | 18.3 | 16.0 | 16.4 | 12.2 | 6.0 | 5.3 | 4.8 | 144.8 |
% 湿度 | 70 | 77 | 80 | 82 | 81 | 82 | 79 | 79 | 75 | 68 | 65 | 65 | 75.3 |
平均月間日照時間 | 113.2 | 67.3 | 57.0 | 60.5 | 100.9 | 125.9 | 185.0 | 166.8 | 160.1 | 176.4 | 165.8 | 159.9 | 1,538.8 |
出典:中国气象局 国家气象信息中心 2014-01-01 |
行政区画
11区を管轄する。2005年に東山区(越秀区へ編入)・芳村区(茘湾区へ編入)を廃止するとともに南沙区・蘿崗区を新設した(「十区二市」の総数に変化はない。同時に一部の区において境界線も変更された)。
2014年2月12日,黄埔区、蘿崗区を廃止するとともに黄埔区を新設した;県級市従化市、増城市を廃止,従化区、増城区を新設した。今回の行政区域を調整した後、広州市の行政区域の面積は上海市を超え、中国で一番広い都市になった。
広州市の地図 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
行政区画 | 面積 | 人口 | 行政区番号 | 政府所在地 | 街道 | 鎮 |
越秀区(エツシュウ く) | 33km2 | 118万人 | 440104 | 北京街道 | 18 | |
茘湾区(ライワン く) | 62km2 | 97万人 | 440103 | 金花街道 | 22 | |
海珠区(カイシュ く) | 91km2 | 169万人 | 440105 | 江海街道 | 18 | |
天河区(テンカ く) | 137km2 | 175万人 | 440106 | 天園街道 | 21 | |
白雲区(はくうん く) | 730km2 | 271万人 | 440111 | 景泰街道 | 18 | 4 |
黄埔区(コウホ く) | 484km2 | 111万人 | 440112 | 蘿崗街道 | 16 | 1 |
番禺区(バング く) | 530km2 | 178万人 | 440113 | 市橋街道 | 10 | 6 |
花都区(カト く) | 969km2 | 109万人 | 440114 | 花城街道 | 4 | 6 |
南沙区(ナンシャ く) | 544km2 | 75万人 | 440115 | 黄閣鎮 | 3 | 6 |
増城区(ゾウジョウ く) | 1,616km2 | 122万人 | 440118 | 茘城街道 | 6 | 7 |
従化区(ジュウカ く) | 1,975km2 | 65万人 | 440117 | 街口街道 | 3 | 5 |
年表
広州市
- 1949年10月14日 - 中華人民共和国広州市が発足。逢源区・黄沙区・西禅区・長寿区・沙面区・陳塘区・太平区・恵福区・靖海区・小北区・徳宣区・西山区・東堤区・漢民区・前鑑区・大東区・東山区・洪徳区・蒙聖区・海幢区・珠江区・南岸区・沙河区・竜洞区・芳村区・崇文区・石牌区・冼猟区・彬社区・車陂区・公和区・敦和区・瀝滘区・恩洲区が成立(34区)。
- 1949年11月(28区)
- 1950年6月17日(16区)。
- 1951年10月22日(13区)
- 1952年9月(10区)
- 1953年3月13日 - 白雲区の一部が東区に編入(10区)。
- 1953年4月20日 - 広東省粤中行政区南海県の一部が西区に編入(10区)。
- 1953年5月15日(10区)
- 西村区の一部が白雲区に編入。
- 西村区の残部・新滘区の一部が合併し、黄埔区が発足。
- 1953年5月29日 - 広東省粤中行政区番禺県の一部が黄埔区に編入(10区)。
- 1953年6月24日 - 広東省粤中行政区番禺県の一部が黄埔区に編入(10区)。
- 1954年6月12日(9区)
- 芳村区が河南区・新滘区に分割編入。
- 新滘区の一部が黄埔区に編入。
- 1954年6月19日 - 広東省に編入され、広東省広州市となる。
広東省広州市
- 1956年12月29日 - 白雲区・黄埔区・新滘区が合併し、郊区が発足(7区)。
- 1958年9月13日 - 珠江区の一部が西区に編入(7区)。
- 1959年4月 - 西区の一部が郊区に編入(7区)。
- 1960年4月 - 中区・郊区の各一部が西区に編入(7区)。
- 1960年8月(7区)
- 1960年9月20日 - 仏山専区従化県・花県を編入(7区2県)。
- 1960年9月30日 - 花県の一部が仏山専区番順県・中山県の各一部と合併し、仏山専区番禺県となる(7区2県)。
- 1960年12月14日(7区2県)
- 1961年10月5日 - 従化県の一部が分立し、仏岡県が発足(7区3県)。
- 1962年12月1日 - 芳村区・黄埔区・江村区が合併し、郊区が発足(5区3県)。
- 1963年7月3日 - 仏岡県が韶関専区に編入(5区2県)。
- 1973年2月 - 郊区の一部が分立し、黄埔区が発足。(6区2県)
- 1975年3月24日 - 仏山地区番禺県、恵陽地区増城県・竜門県、韶関地区新豊県を編入。(6区6県)
- 1983年12月22日 - 韶関地区清遠県・仏岡県を編入。(6区8県)
- 1985年5月24日 - 番禺県の一部が分立し、天河区・芳村区が発足。(8区8県)
- 1987年1月23日 - 郊区が白雲区に改称(8区8県)。
- 1988年1月7日(8区4県)
- 1992年5月20日 - 番禺県が市制を施行し、番禺市となる(8区1市3県)。
- 1993年6月18日 - 花県が市制を施行し、花都市となる(8区2市2県)。
- 1993年12月8日 - 増城県が市制を施行し、増城市となる(8区3市1県)。
- 1994年3月26日 - 従化県が市制を施行し、従化市となる(8区4市)。
- 2000年5月21日 (10区2市)。
- 2001年11月13日 - 白雲区の一部が茘湾区に編入(10区2市)。
- 2005年4月28日(10区2市)
- 2012年9月30日 - 番禺区の一部が南沙区に編入。(10区2市)
- 2014年1月25日(11区)
景観
経済
広州市の2012年の市内総生産は1兆2303億元であり[6]、上海市、北京市に次ぎ、中国大陸で3位の都市である。
特別行政区である香港と密接な貿易関係にある広州市は深圳市などともに中国では比較的裕福な地域である。
とりわけ自動車産業が盛んであり、広州汽車集団の本社が置かれている他、日系メーカーも多数進出している。2017年には広州市で生産された自動車台数は310万台と中国最大であった[7]。また、IT産業やバイオテクノロジーにも力を入れている。
深圳市と共に広東省における金融センターとして機能している。2019年にはその競争力は世界23位と評価された[8]。
文化
食文化
「食は広州に在り」といわれる広東料理の中心地[9]。香港の方が洗練されているかもしれないが、歴史的には広州が本場である。朝などに、点心を食べながら喫茶する飲茶の習慣がある。
現在は、中国各地の料理店も林立しており、ハンバーガー、フライドチキン、ピザなどの欧米系ファストフード店やコーヒーショップ、香港風の茶餐廳、回転寿司店なども多い。
言語
共通語である普通話も通用しないわけではないが、広東語使用の中心地であり、広州方言(広州話、広府話)は広東語の標準として扱われる。中国国内の他の地域と同様に簡体字を用いるが、一部で繁体字を用いようとする傾向が強い。広東語を話す地元住民の間で、普通話に対する反発が広がっており、1997年の中国への返還以後急速に標準語の普及が進む香港でも同様の反発が起こっている。ただし広州市自体が移住制限を設けていないため、他省からの移住者が実質市内人口の約半数を占めるようになり、普通話しか話せない者が増加の一途をたどっている。上海語の事例同様、普通話一辺倒での教育により、両親が広東語話者でも子供は普通話しか話せないケースが増えている。それに対し、学校教育側で広東語の時間を設けるなどし、広東語離れに歯止めをかけようと試みている。
2010年7月25日には広東語擁護を求める抗議集会が開かれ、広東語を話す地元住民2000人以上が参加、8月1日には広州と香港でほぼ同時に広東語擁護を求める住民デモが行われたが、どちらも警察隊によって解散させられた[10][11]。詳しくは広東語の項を参照。
演劇
広東語による伝統劇、粤劇が伝えられている。広東語による現代話劇も演じられることがある。
メディア
スポーツ
2006年レスリング世界選手権、第49回世界卓球選手権団体戦(2008年)が開催された。2010年11月12日から11月27日までアジア競技大会が開催された。
広州市を本拠地とするスポーツチームには次のものがある(所属リーグは2012年時点のもの)。
- サッカー
- バスケットボール
- 広州六穂(中国男子バスケットボール2部リーグ)
- バレーボール
- 広東恒大職業排球俱楽部(中国女子バレーボールリーグ)
- バドミントン
- 広州粤羽俱楽部(中国バドミントンクラブ超級リーグ)
- 野球
- 電子競技
教育
- 公立
- 私立
-
- 広東培正学院
- 広東白雲学院
- 私立華聯学院
- 広東嶺南職業技術学院
- 日本人学校
-
- 広州日本人学校
交通
航空
鉄道
- 中国国鉄では広州市最大の駅、広州駅と、天河区の広州東駅があり、広州駅の一日平均乗降客数は約7〜8万人。春節のピーク時は約20万人になるともいわれている。広州駅は北京、上海、内陸方面などとの長距離運行が多く、広州東駅は香港、深圳などとの短距離運行が多い。
- 2010年1月30日、番禺区に広州南駅が開業。武漢や深圳とを結ぶ高速鉄道や珠海、江門とを結ぶ広珠都市間鉄道等が発着している。
- 広州地下鉄
- 珠江新城新交通システム線
- 広州有軌電車
バス
道路
渡船
観光
「羊城八景」は広州市の中で著名な8景観を指したもので、2002年に選ばれた新八景は以下の通り。
- 雲山畳翠 … 白雲山
- 珠水夜韻 … 珠江夜景
- 越秀新暉 … 越秀公園
- 天河飄絹 … 広州東駅広場の水景瀑布
- 古祠流芳 … 陳家祠
- 黄花皓月 … 黄花崗七十二烈士墓
- 五環晨曦 … 広東オリンピック体育中心
- 蓮峰観海 … 番禺蓮花山
仏教建築
道教建築
キリスト教建築
イスラーム建築
- 懐聖寺(「光塔寺」とも)
遺跡・旧跡
- 秦漢造船遺址
- 南越国宮署遺址
- 南越国水閘遺址
- 西漢南越王墓
- 南海神廟
- 薬洲遺址
- 黄埔古港
- 北京路千年古道
- 沙面島
- 三元里人民抗英闘争紀念館
- 黄花崗七十二烈士墓
- 国民党一大旧址
- 黄埔軍校
- 広州中山紀念堂
- 広州起義烈士陵園
- 広州公社旧址(広州ソビエト政府旧址)
- 農民運動講習所旧址
その他
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光孝寺
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華林寺正門
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三元宮
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五仙観
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沙面露徳聖母堂
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懐聖寺礼拝殿
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西漢南越王墓博物館
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南海神廟
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沙面島
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黄花崗七十二烈士墓
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広州中山紀念堂
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広州起義烈士陵園
健康・医療・衛生
- 広州医科大学附属第一医院[12]
- 広州市第一人民医院
- 広州市第八人民医院
- 広州市女性児童医療中心
姉妹都市
広州は以下の都市と姉妹都市である。
類似都市名
- 韓国の京畿道には広州市があり、ハングルでは광주、ローマ字転記(文化観光部2000年式)ではGwangju、カナ転記ではクァンジュと表記する。
- 同じく韓国の光州とは、漢字を韓国語読みした場合は同音(광주、クァンジュ)、中国語では普通話・広東語ともに声調のみが違う発音になる。韓国では常に本市を漢字の韓国語読みではなく音訳で「광저우(クァンジョウ)」と呼び習わす。光州と本市は姉妹都市でもある。
- 口頭の日本語では、杭州市と同音で区別がつかないため、中国音や省名で区別するほか、「広い広州」「杭(くい)の杭州」などと呼び分けられることがある。歴史地名の「交州」、山東省の「膠州」などと音読みで同じ。
ギャラリー
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広州上空からの夜景
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広州のスカイライン
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広州のスカイライン
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花城大道駅付近
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花城広場と超高層ビル群
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天河区の夜景
脚注
- ^ a b c d “2018年广州市国民经济和社会发展统计公报” (中国語). 广州市统计局. 2019年4月2日閲覧。
- ^ “2018年越秀区国民经济和社会发展统计公报” (中国語). 越秀区统计局. 2019年7月8日閲覧。
- ^ Guangzhou GDP exceeds 1 trillion RMB GDBusiness www.newsgd.com
- ^ 中国の「新一線都市」、蘇州と寧波が仲間入り―中国紙 レコードチャイナ 2017年6月16日閲覧。
- ^ Global Cities 2017 AT Kearney 2017年公表 2017年8月4日閲覧。
- ^ 2012年の中国の都市の市内総生産
- ^ “2017年广州汽车产量超310万辆 居全国城市之首_央广网”. www.cnr.cn. 2020年1月27日閲覧。
- ^ “The Global Financial Centres Index - Long Finance”. www.longfinance.net. 2020年2月5日閲覧。
- ^ 食在広州から見る広東人のこだわり田中郁未 global Studies program 2016 2020年2月15日閲覧
- ^ 「広東語を守れ!」地元2000人が参加 広州で抗議集会
- ^ 広東語を擁護 広州と香港で異例の同時デモ
- ^ 広州医科大学附属第一医院 HP(中文)
関連項目
- 広州市長の一覧
- 広州国際金融センター
- CITICプラザ(中信広場)
外部リンク
- 公式
- 日本政府
- 教育
- 経済
- その他
- 広州市に関連する地理データ - オープンストリートマップ
座標: 北緯23度07分43.67秒 東経113度15分32.31秒 / 北緯23.1287972度 東経113.2589750度