コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「台湾国際放送」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Yhknf (会話 | 投稿記録)
枕頭山追加
Cewbot (会話 | 投稿記録)
98行目: 98行目:
*[[1936年]][[1月23日]] - 中央広播電台、[[短波]]による海外放送開始(呼出符号:XGOX)。[[広東語]]・[[アモイ語]]・[[英語]]・[[マレー語]]による[[東南アジア]]の[[華僑]]向け放送(英称は“The Central Broadcasting Station”)。
*[[1936年]][[1月23日]] - 中央広播電台、[[短波]]による海外放送開始(呼出符号:XGOX)。[[広東語]]・[[アモイ語]]・[[英語]]・[[マレー語]]による[[東南アジア]]の[[華僑]]向け放送(英称は“The Central Broadcasting Station”)。
*1936年1月 - 中央広播無線電台監督処、中央広播事業管理処に改称。
*1936年1月 - 中央広播無線電台監督処、中央広播事業管理処に改称。
*[[1937年]][[7月17日]] - 中央広播電台、[[介石]]の対日抗戦声明を短波で全世界に放送。
*[[1937年]][[7月17日]] - 中央広播電台、[[介石]]の対日抗戦声明を短波で全世界に放送。
*1937年[[11月23日]] - 中央広播電台、南京からの放送を停止し、政府とともに西方に撤退([[漢口]]を経て、[[重慶市|重慶]]に移転)。
*1937年[[11月23日]] - 中央広播電台、南京からの放送を停止し、政府とともに西方に撤退([[漢口]]を経て、[[重慶市|重慶]]に移転)。
*[[1938年]][[3月10日]] - 中央広播電台、重慶から放送再開。
*[[1938年]][[3月10日]] - 中央広播電台、重慶から放送再開。

2020年9月15日 (火) 13:17時点における版

台湾国際放送
運営 (財)中央広播電台(中央放送局)
設立 1928年
在籍国 中華民国の旗 中華民国台湾
所在地 中華民国の旗 中華民国 台北市北安路55號
演奏所 同上
外部リンク 財団法人中央広播電台

特記事項:
かつては行政院新聞局、現在は中華民国文化部所管

台湾国際放送
各種表記
繁体字 中央廣播電台
簡体字 中央广播电台
日本語読み: ちゅうおうこうはでんたい
英文 Radio Taiwan International(RTI)
テンプレートを表示

台湾国際放送(たいわんこくさいほうそう、中国語(国語):中央廣播電台・台灣之音英語: Radio Taiwan International. 略称:RTI)とは、中華民国台湾)の国際放送である。国営放送局である財団法人中央広播電台(中央放送局・中国語(国語):中央廣播電台)が、台北を拠点として、中国大陸(中華人民共和国)を含む海外に向けて、13言語で短波ラジオ放送及びデジタルラジオ放送を行っている。

概要

RTI本部(白の建物)手前は円山大飯店

起源は、1928年中華民国国民政府)が中国・南京で放送を開始した「中央広播電台」(英語: The Central Broadcasting System:CBS)。国共内戦に敗れた中国国民党が台湾・台北市に移転した1949年以後は、党営会社「中国広播公司」が事業主となり、48年間にわたって、「自由中國之聲」(英語: The Voice of Free China、日本語名:自由中国の声)という名称で放送された。この間、中国大陸向け放送部門が独立して国防部の所管に移されたが、民主化が進んだ1998年、再統合されて「財団法人中央広播電台」が発足し、「中央広播電台・台北国際之声」(Radio Taipei International:RTI、日本語名:台北国際放送)として再スタートした。中国向け放送は「中央広播電台・台湾之音」と呼ばれている。2003年には現在の「英語: Radio Taiwan International:RTI、日本語名:台湾国際放送」に改称した。

放送局は、台北市円山大飯店の隣に位置し、28のスタジオを備えるほか、放送文物館を併設している。台湾の3つの送信所(以前は9つ)に送られ、総出力量は1万50kWに達し、アジア1位、世界的にも上位10位以内に入るとされる。使用言語は、中国語台湾語客家語広東語英語フランス語ドイツ語スペイン語ロシア語日本語インドネシア語タイ語ベトナム語韓国語で、一週間あたりの放送時間数は2200時間を上回るという。短波放送が主であるが、一部は国内・近隣地域向けに中波でも放送される。また、「RTI FM」としてインドネシア語・タイ語・ベトナム語による国内向けFM放送も行われている。さらに12言語でホームページを開設し、デジタルラジオ放送(DAB)にも力を入れている。

ボイス・オブ・アメリカ(VOA)、ドイチェ・ベレラジオ・フランス・インターナショナルファミリーラジオラジオ・スプートニクラジオ・オーストラリアラジオ・カナダ・インターナショナルラジオ・フリー・アジアなどと協力関係を結んでいる。

なお、台湾在住のジャーナリスト本田善彦は、台湾国際放送の前身「自由中国の声」の記者アナウンサーとして中国広播公司に所属していた。

歴史

Wiki 中央廣播電臺(中国語)参照[1]

  • 1928年8月1日 - 国民政府中央広播電台、南京で放送開始(呼出符号:XKM、後にXGZに変更)。
  • 1932年夏 - 国民政府、放送局を管理、運用する機関として中央広播無線電台管理処を設置。
  • 1932年11月13日 - 中央広播電台、出力75kW中波による大出力放送を正式に開始(日本語放送も開始し、「南京の鶯」による怪放送と騒がれる)。呼出符号をXGOAに変更。
  • 1936年1月23日 - 中央広播電台、短波による海外放送開始(呼出符号:XGOX)。広東語アモイ語英語マレー語による東南アジア華僑向け放送(英称は“The Central Broadcasting Station”)。
  • 1936年1月 - 中央広播無線電台監督処、中央広播事業管理処に改称。
  • 1937年7月17日 - 中央広播電台、蔣介石の対日抗戦声明を短波で全世界に放送。
  • 1937年11月23日 - 中央広播電台、南京からの放送を停止し、政府とともに西方に撤退(漢口を経て、重慶に移転)。
  • 1938年3月10日 - 中央広播電台、重慶から放送再開。
  • 1939年2月6日 - 中央短波広播電台、重慶から海外放送開始(呼出符号:XGOX、XGOY)。使用言語は英語・ドイツ語フランス語スペイン語ロシア語日本語など(最大時には、中国語方言を含むと20言語に拡大)。
  • 1940年1月 - 中央短波広播電台の名称、中国国際広播電台(英称は“The Chinese International Broadcasting Station”、通称は“The Voice of China”)と決定。
  • 1946年5月5日 - 中央広播電台、政府の南京還都と共に南京に移転。
  • 1946年12月 - 中央広播事業管理処を改組して中国広播公司を設立する案、国民政府行政院の批准を経て成立。
  • 1949年 - 中央広播電台、4月23日の南京陥落に伴い、政府とともに広州を経て、台湾地区に移転。
  • 1949年6月 - 中国広播公司、台湾に出力20kWの短波送信機を完成。
  • 1949年10月10日 - 中国広播公司、「自由中國之聲」(英称は“The Voice of Free China”、略称はVOFC、日本語による呼称は「自由中国の声」)の呼称で国際放送を開始。当初の使用言語は中国語・日本語・英語。
  • 1949年11月 - 中国広播公司(英称は“The Broadcasting Corporation of China”、略称はBCC)、最初の株主総会を開催し、株式会社として正式に発足。中央広播事業管理処から中央広播電台の業務を引き継ぐ。
  • 1950年7月 - 「自由中国之声」、フランス語・朝鮮語アラビア語・ロシア語放送開始。
  • 1950年11月 - 政府が中波送信機の一部を調達し、「中央広播電台」の呼称で中国大陸向け放送開始(12月18日、正式に放送開始)。
  • 1951年8月6日 - 中国広播公司、大陸向け放送を強化するため、「大陸広播組」を設立。
  • 1953年7月 - 「自由中国之声」、ベトナム語放送開始。
  • 1954年5月20日 - 中国広播公司、「大陸広播組」を「大陸広播部」に拡充、チベット語モンゴル語ウイグル語・ロシア語による放送を開始。
  • 1957年3月 - 「自由中国之声」、東南アジア向け放送を強化。インドネシア語放送を開始。
  • 1972年 - 中国広播公司、「大陸広播部」の正式名称を「中央広播電台」に変更。
  • 1976年12月 - 中央広播電台、大陸向け放送専用として中国広播公司から独立し、国民党中央大陸工作委員会の所属に変更。
  • 1976年 - 「自由中国之声」、中南米向けスペイン語放送を正式に開始。
  • 1979年1月 - 中国広播公司、「亞洲之聲」(英称は“The Voice of Asia”、日本語による呼称は「アジアの声」)の呼称で中国、東南アジア向け放送開始。使用言語は中国語、英語、タイ語、インドネシア語。※自由中国の声とは別系統
  • 1980年7月 - 中央広播電台、国防部総政戦部に所属変更。
  • 1996年1月 - 「財団法人中央広播電台設置条例」、立法院を通過。
  • 1997年12月31日 - 中国国民党所管のラジオ局である中国広播公司が運営し、48年間続いた台北からの国際放送「自由中國之聲」(The Voice of Free China)終了。
  • 1998年1月1日 - 中国広播公司海外部と国防部所属の中央広播電台が合併し、国営放送局としての「財団法人中央広播電台」発足。国際放送は「中央広播電台台北国際之声」(英称は“The Central Broadcasting System:CBS, Radio Taipei International:RTI”)に改称(「亜洲之声」はそのまま継続)。日本語による呼称は「台北国際放送」に変更。
  • 2001年12月31日 - 「亞洲之聲」の呼称の使用を終了。
  • 2002年1月1日 - 中国向け、国際放送とも呼称を「中央広播電台台北国際之声」に統一。
  • 2003年1月1日 - 中国語による呼称を「中央広播電台来自台湾的声音」に変更。
  • 2003年7月1日 - 外国語放送の英称を“Radio Taiwan International”に変更(略称はRTIのまま)。日本語による呼称は「台湾国際放送」に変更。
  • 2004年10月1日 - 中央広播電台の英語名称を、台湾国際放送と同じRadio Taiwan International(RTI)に統一(CBSの名称は原則使用停止)。
  • 2005年1月1日 - 中国語による呼称を「中央広播電台台湾之音」に変更。
  • 2013年7月1日 - 予算削減のため、フロリダ WYFR Okeechobeeからの北米への中継放送を終了
  • 2016年12月4日- DRM送信テストをインド向け英語放送で4日間実施。
  • 2018年3月15日 - 韓国語のインターネットでの提供が正式に開始。
  • 2018年3月25日 - フランス語・スペイン語放送が終了。日本語放送一日4回の放送が再放送無しの1回(1時間)に縮小。
  • 2018年7月30日 - 中央放送局開局90周年を祝う作品応募の受賞者発表(一等賞金9,000NT$)。[2]
  • 2018年8月26日 - ドイツ向けDRM送信テストを淡水から実施。9月9日にも実施。
  • 2019月8月16日 - ドイツ向けDRM送信テストを淡水から実施。9月1日、15日にも実施。
  • 2020年1月6日 - 冬場の受信状態を改善するため1日2回の放送となり、17:00(JST)から9705kHzで番組の再放送を開始し、20:00(JST)からは9740kHzとなる。
  • 2020年3月13日 - RTIにCOVID感染者が出て放送出来ない場合に備え予備の番組を準備していることを「お便りありがとう」の番組内でアナウンス。
  • 2020年3月29日 - 経費節減のため休止していたスランス語が再開。RTI-français revient sur les OC (RTIフランス語短波放送再開)と記載された送信アンテナ写真の特別QSLカードが発行された。
  • 2020年4月6日 - 経費削減のため休止していたスペイン語が再開。スペイン語も放送復活を祝った特別QSLカードが発行された。
  • 2020年7月31日 - 8月23日迄の金土日に淡水送信所からドイツ語の直接送信が行われた。受信報告には特別QSLカードが発行された。
  • 2020年9月27日 - «Гугун дома»( おうちで故宮) 写真コンテスト9/20締切り 9/27受賞者発表予定(ロシア語)[3]

放送時間及び周波数(2020.8.25現在)

日本語放送は北東アジア向けに以下の周波数で実施されている。

時間(JST 周波数(kHz 出力(kW) 送信方向 送信所 備考
17:00-18:00 11695[4] 100 45度 褒忠 再放送番組
20:00-21:00 9740[5] 100 45度 同上

ストリーミング放送が行われており短波受信機がなくてもパソコンまたは携帯から聞くことが可能。

 1年以上はオン・デマンドによる視聴も可。携帯の場合、Rti台湾国際放送のアプリを入れるとよい。

 短波受信機で聞く場合、放送前約2分間無音の後、言語種別案内(聽听日語節目)直後に番組が始まるため周波数直読受信機が望ましい。

 終了2~3分前に電波切替のため停波する場合がある。

 2020年前後は太陽活動が不活発な年であり電波伝搬に影響を与える電離層の状況は中央氣象局太空天氣資訊も参照。

 

  • 日本時間 JST=UTC+9 , 台湾時間=UTC+8
  • YoutubeにRTIのチャンネルが各言語毎にあり映像ニュース、過去の音声もアップロードされており気軽に放送内容が視聴できるようになっている。
  • facebookでも写真、動画ニュースを見ることが出来る。
  • 月~金は始めその日のニュース(月金は10分,火水木は5分)を放送し、そのあと「アーカイブの時間」(月金は5分,火水木は10分)では聞き逃した人のために過去の番組からピックアップしたものを再度放送している。残りの時間間帯は、時事・語学(観光中国語・生活中国語)・文化・音楽・芸能などの話題を5分~30分の区切りで放送する。金曜日の後半30分は「お便りありがとう」の番組で届いた手紙・メールの内容を紹介している。土曜日は「GOGO台灣」「スポーツオンライン」「宝島再発見」、日曜日は「ミュージアム台湾」「台湾お気楽レポート」を放送する。
  • アナウンサー:王淑卿、早田健文、駒田英、曾輿婷[6] 中野理絵[7]
  • メールマガジンに登録するとニュースの内容が翌日メールで配信される。
  • 受信レポートにIRC(国際返信切手券)不要。COVIDの影響もありホームページからレポートした方が早いが、手書きの手紙も喜ばれる。(台湾ではIRCが使用出来ないためQSLカードと共に返送されます)
  • 第2日曜日に放送していた玉山クイズ(台湾に関するクイズ)は、2018年2月11日を最後に休止中である。

送信所

台湾送信所

  • 褒忠送信所:北緯23度43分00秒 東経120度18分00秒 / 北緯23.71667度 東経120.30000度 / 23.71667; 120.30000 2016年6月に送信所建屋が新しくなり送信機300KW6台、100KW4台、HR2/2/0.3アンテナ10基、対周期アンテナ5基を使用。
  • 淡水送信所:2014年に設備更新が完了しDRM送信機4台、アンテナ6基(HR2/2/0.3 2基増設)となる。中国大陸華南、華中、ロシア語極東シベリア向けに使用。淡水に行く予定があれば淡水漁人碼頭近くの情人塔(高さ100m)から見るとよい。淡水は台湾のベニスとも言われ夕日が綺麗なので日没の時刻と方角は事前にインターネットで調べておくとよい。淡水は旧称「滬尾」(閩南語Hōo-bué)と呼ばれ「滬」は河口の意味を持つ。「滬尾」の名称は工程部のfacebookでも使用されている。時間があれば紅毛城、滬尾炮台もお勧めである。淡水海水浴場は外国人新婚写真撮影場所ベスト5であるが、海水浴に不適で暗流(13年で21人死亡)があり十大死亡水域となっている。
  • 口湖送信所:中波2台(300kW 299度,315度)、短波3台、中国大陸華北、華中、華南向けに使用されている。湿地帯で地盤地下により送電電柱が湖水の中にあり海に近いことから維持修理が上記送信所に比べ非常に難しくなっている。2019年 塩害等により腐食が進んでいた1098kHz用アンテナ鉄塔2本を更新。
  • 民雄送信所(國家廣播文物館):現在放送博物館となっており、建物内部の様子、送信機についた弾痕等が、Youtubeでも見ることが出来る。
  • 枋寮送信所(廃止):1979年1月1日放送開始、アンテナ鉄塔9本、最長116m、送出方向は217度、247度で600kW東南アジア向けに約40年間放送が行われた。2010年に放送局の効率化を図るため、虎尾、台南と共に立法院が決議し2013年に政府が廃止。2018年9月アンテナ撤去。乃木将軍登陸記念公園の北西側にアンテナがあった。
  • 台南送信所(廃止):2013年4月停止。台南駅から北西約9km安南區に位置する。
  • 虎尾送信所(廃止):台灣新幹線の東側窓から雲林縣通過時送信アンテナを見ることが出来た。台灣新幹線で新しく出来た雲林駅の南側に位置していた。2014年送信所が取り壊され縣政府は「文化殺手」との批判を受ける。[8]
  • 鹿港送信所(廃止):2014年道路拡幅により2つの中波放送のうち1つを停止。また2016年9月27日4人の死者を出した台風17号(梅姬颱風)により中波アンテナ受損し口湖送信所から送信。1969年放送開始から50年近く経過しており再建困難となる。2018年に中央廣播電臺鹿港分臺暨周遭廣播設施地景文化景觀[9]となる
  • 長治送信所(廃止):2007年10月停止。2009年台灣で700人近い死者を出した台風8号(莫拉克颱風八八水災)豪雨被災民(屏東縣山間部落阿禮、大武、霧台、佳暮四村207人)の避難所となる。宿舎が熱く扇風機では涼しくならず昼間木陰では蚊に刺されるのを耐え、また電波による身体への影響を心配していた。[10]現在は被災民の住宅地となっている。[11]

海外中継所

  • Kostinbrod送信所(Radio Bulgaria Sofia):フランス、ドイツ、ロシア向けブルガリア中継局として使用。
  • Okeechobee送信所(Florida WRMI):スペイン、中米/キューバ、南米向けスペイン語放送の中継局として使用。

マイクロ波中継所

  • 圓山  中継所は2001年死者114人(含不明者)を出した台風16号納莉により影響を受けたため建て直され、臺北市府水位情報伝送機能も担う。劍潭山(153m)山頂から景色は見れないが、劍潭山觀景台は飛行機と台北101を望遠レンズで攝影する場所として知られている。圓山中継所はRTI紹介映像でドローンから攝影されている。[12]
  • 陽明山 2月中旬からの花季は人が多いため陽明山観光は平日がお勧めである。海芋の見ごろは3末からである。陽明山擎天崗草原で牛に体当たりされ1人が亡くなっているので注意が必要。
  • 火炎山 苗栗縣の火炎山(596m)は、アメリカのグランドキャニオンに行かなくても台灣で楽しめると人気が出ている登山歩道であるが、2020年4月写真を撮ろうとして墜落死者が出ている。「恐怖死亡三角」とも言われる空域であり1981年向田邦子さんを含め日本人18人(70年間で少なくとも120人)が亡くなっている。
  • 枕頭山 近くにある水火同源、關子温泉は日本のテレビでもよく紹介されておりアジア以外の観光客も訪れている。ふもと台南白河から見ると枕のように見えることから枕頭山と名付けられている。

※褒忠、淡水、圓山はYoutubeチャネル 央廣1422臺灣臺でカメラ映像のライブ配信が行われており鉄塔からの映像を楽しみながら放送を聞くこともできる。口湖は録画映像を見ることが出来る。口湖送信所の送電線メンテナンス、枋寮送信所は、Youtubeチャネル 中央廣播電臺『聽~來自家鄉、歲月、夢想的聲音!』央廣90週年紀錄片 で見ることが出来る。

リスナー組織

台湾国際放送のリスナーで組織されるリスナーズクラブがある。

日本リスナー

  • 玉山クラブ(ぎょくさんくらぶ)東京を拠点とする。かつては、稲川英雄が日本帰国後会長を務めていた。
  • 玉山会(ぎょくさんかい)大阪を拠点とする。

海外リスナーの集い

  • 泰語聽友會 タイ語 ※2019/8には100名近くが台湾各地からリスナーミーティングに参集。[13]
  • 徳語聽友會 ドイツ語圏  ※2018/5 ドイツ オッテナウ,ベルリン オーストリア ウィーンでリスナーミーティングを開催
  • 西語聽友會 スペイン語圏 ※2019/11 アルゼンチン ブエノスアイレス,ロザリオでリスナーミーティングを開催  (南米でも受信可能。台灣「美麗島(フォルモサ島)」の地球裏側には、アルゼンチン フォルモサ州がある)

※2020年はCOVIDの影響によりオンラインでの開催になる。[14][15] 日本もオンラインで開催。

※台湾国際放送の歴史については、山田充郎氏の研究内容も参照(台湾博物館(2019-11-03)台湾国際放送のリスナーとして60年――放送研究者・山田充郎)[16]

※DRM放送を受信するには、DRM受信機またはIF(12kHz)が出力できるSDR受信機/無線機が必要。[17]

脚注

外部リンク