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== 著名な脱北者一覧 ==
== 著名な脱北者一覧 ==
* [[黄長ヨプ|黄長燁]](元・[[金日成総合大学]]総長、[[朝鮮労働党]]中央委員会委員)
* [[黄長燁]](元・[[金日成総合大学]]総長、[[朝鮮労働党]]中央委員会委員)
* [[安明進]](元・[[スパイ|工作員]])
* [[安明進]](元・[[スパイ|工作員]])
* [[安明哲]](元・[[朝鮮民主主義人民共和国の強制収容所|強制収容所]]警備兵)
* [[安明哲]](元・[[朝鮮民主主義人民共和国の強制収容所|強制収容所]]警備兵)

2020年9月14日 (月) 22:56時点における版

脱北民(脱北者・帰順者)
各種表記
ハングル 탈북민(탈북자・귀순자)/북한이탈주민
漢字 脫北民(脫北者・歸順者)/北韓離脫住民
発音 タルプンミン
(タルプクチャ・クィスンジャ)/プッカン=ニタルチュミン
日本語読み: だっぽくみん
(だっぽくしゃ・きじゅんしゃ)/ほっかんりだつじゅうみん
2000年式
MR式
英語表記:
Talbukja (Gwisunja)
T'albukcha (Kwisuncha)
North Korean defectors
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脱北民(だっぽくみん、だつほくみん、朝鮮語: 탈북민)あるいは脱北者(だっぽくしゃ、朝鮮語: 탈북자)とは、朝鮮民主主義人民共和国から逃げ出した人のこと。大韓民国(韓国)における法律上の用語は北韓離脱住民(ほっかんりだつじゅうみん、韓国語: 북한이탈주민)である。

脱北者は韓国や中華人民共和国のほか、日本アメリカ合衆国ヨーロッパなどに居住する人々もいる[1]

2018年時点で韓国へ亡命して定着した約3万1500人は外国籍を除いて韓国国民となっている。しかし、韓国政府が北朝鮮に融和政策をとる度に南北両側から「銃を撃たれる」ように邪魔者扱いや差別が激しくなることが問題になっている[2][3][4]

名称

1993年以前の大韓民国(韓国)では、北朝鮮から国外へ脱した人々に対する決まった呼称は特になく、北朝鮮から韓国へ亡命してきた人を帰順者(きじゅんしゃ、귀순자)または帰順勇士(きじゅんゆうし、귀순용사)と呼ぶだけであった。これは、北朝鮮からの国外脱出者が当時はほとんどおらず、脱出が判明した者のほとんどが韓国への亡命(帰順)を希望していたからである。

だが、1994年頃から北朝鮮国外への脱出者が急増すると、少なくない脱出者が中華人民共和国等の韓国国外に留まり続けるなど、脱出者の行動が亡命以外にも多様化し始めた。そのため韓国では、北朝鮮国外へ脱出した北朝鮮住民全体を指す呼称が必要とされ、まずは1994年に「脱北者」、次いで1997年に「北韓離脱住民」という用語が公の場で使われ始めた。また、北朝鮮からの住民脱出の増加は日本でも注目されるところとなり、日本のマスコミも韓国にならって「脱北者」を使い始めた。特に瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件などに見られる第三国への亡命を求める行動は衝撃を与え、「脱北者」という用語の浸透に影響を与えた。

2005年1月9日韓国政府は脱北者の呼び名を「セト民」(새터민)に改めると発表した。セト民は韓国語で「新しい土地で人生への希望を抱いて生きる人」の短縮。しかし反発を受け、12日にはこの改称は撤回された。2008年11月21日韓国統一部はセト民の名称を今後は使用しないと発表した[5]。しかし、現在でも民間では一部で「セト民」の名称を使っており、セト民を冠する脱北者の団体も存在する[6]

なお、北朝鮮側では韓国への亡命者を「越南逃走者」と見做しており、祖国を裏切り自分ひとり生き延びようとした「この世でもっとも汚くて憎むべきくずの中のくず」と最大級の反逆者とされている。

脱北者の亡命ルート

兵士の一部には38度線軍事境界線)を直接越境するものもいるが、衛兵や高圧電線、地雷原に阻まれ、途中で命を落とす事が多いため、決して主流ではない。漁船での集団亡命も朝鮮戦争直後は数多く行われていたが、長く姿を消していた。

主なルートは、中華人民共和国への脱出が多いとされる。中国と北朝鮮の国境には、国境警備兵と呼ばれる兵士がかなりの数で見張っているが、大半の兵士は自身も生活が苦しいので賄賂などを渡したり、あるいは彼らの目を盗んで脱出する者が多いとされる。大抵は川幅が狭く、冬季に凍結する豆満江(図們江)を渡り、延辺朝鮮族自治州の朝鮮族に匿われる。

しかし中国当局は北朝鮮との外交関係を重視して、脱北者を難民とは認めておらず、発見次第不法入国者として北朝鮮に送還する協定を両国で結んでおり、これにより脱北者は中国内では潜伏生活を送る。摘発され、北朝鮮に送り返されると、初犯の場合は労働や思想改造などの処置を受け、再犯では死刑となる場合もあると語られている。

うまく中国への潜入に成功した者の中の一部は、韓国などから支援があったり、各国大使館や外国人学校などに逃げ込み、助けを求める(外国メディアはこれを「劇場型亡命」と名づけた)。その後、多くが同胞の韓国に亡命する。

モンゴル経由の亡命もあったが、近年は国境付近での中国側の摘発が厳しくなっており、中国には長く潜伏せずに通過し、東南アジア経由(ベトナムタイラオスミャンマー等)やカザフスタン経由で第三国に亡命する人が増えている。

他にも船を使い、黄海または日本海を通って韓国に向かうルートがある。ただし、韓国へ行く場合は海軍の厳しい警備を潜り抜けなければならない。また、脱北の意思がない者でも、船が故障するなどして日本に漂着するケースがある。中国船で出港し、黄海で協力者の韓国船に乗り換えて韓国に亡命するケースも複数見られる。さらには、韓国軍の警備をすり抜けて韓国の仁川広域市まで泳ぎ、民家に駆け込むケースもある。

なお、脱北者を支援する団体が韓国、日本をはじめ西欧にもいくつか存在し、代表的なものは北朝鮮難民救援基金である。彼らは脱北者と接触し、大使館や外国人学校への駆け込みを準備する一方、その様子をビデオカメラで撮影し、韓国や海外メディアに提供することが多い。この動きに警戒感を示しているのは中国の公安当局で、中国内で活動する支援団体を次々と摘発している。

2006年5月には韓国籍を取得した脱北者がアメリカで初めて「政治亡命」を認められた。韓国政府に政治的弾圧を受けたと主張する脱北者は他にもおり、今後の動向が注目されている。

チベットウイグル台湾香港ロシアインドパキスタンネパールブータンキルギスフィリピンに亡命した脱北者は非常に少ない。

韓国への脱北者

脱北理由

かつて北朝鮮を脱出して韓国に亡命してくる者は、大抵が政治的な理由で故郷を追われた人々であった。特に1945年連合軍による分割占領から1953年朝鮮戦争休戦協定締結までの混乱期にはおびただしい数の移動があり、1000万人とも言われる離散家族が生まれることとなった。その後、冷戦下で北朝鮮の政治体制は安定化し、亡命者は激減した。なお、韓国は1980年代まで厳しい反共産主義軍部独裁政権が国を統治していたため、北から逃れてきた人はまず偽装亡命してきたスパイでないか徹底的に取り調べられ(現実に多数のスパイ対南工作のため韓国に潜入していた)、拷問もされたという。

1990年代から、脱北者に対する措置が寛大化すると、次第に脱北者の韓国亡命が増えていく。1993年に北朝鮮で大水害が発生し、以降水害旱魃が毎年のように発生、深刻な食糧難が報じられるようになると、大飢饉が報じられた1995年から徐々に亡命者が増え始め、2002年には遂に年間1,000人を超えた。2004年には韓国に亡命した脱北者が朝鮮戦争後からの累計で6,000人を超え、2007年2月16日には遂に1万人を超えたと韓国統一部当局者が明らかにした[7]。ただし、2011年に北朝鮮最高指導者の金正日が死去し金正恩が最高指導者の座についてからは亡命者の数が減少傾向にある[8]

また脱北後、いったん韓国で生活してから、韓国人として日本に入国し、日本で生活する者もいるという。ほとんどが女性でその数1000人以上だといわれている。日本に直接渡った脱北者は、2013年2月時点で、約200人と考えられている[9]

なお、脱北者の潜在的な数は数十万人になると推測されているが、正確な数は不明である。

2016年、韓国統一部は、韓国に入国した脱北者の累計が3万人を突破したと発表した。また、経済的な理由から脱北を決意した脱北者の割合は年々低下しているとされる。核兵器を開発する北朝鮮での生活水準が中級もしくは上級であったと答える脱北者の割合も、2005年まででは13.7%だったのが、2014年から2016年にかけては66.8%に伸びた[10]。また、近年では海外でYouTubeを見て脱北を決断する者も出てきている[11]

韓国に到達した脱北者の推移

数値出典:

  1. 1989年以前:韓国戦争後の脱北入国者、6000人超える中央日報2004年12月19日付記事)
  2. 1990年~2001年:脱北者発生の背景と今後の展望(著:李琴順)(地域研究コンソーシアム発行「地域研究論集Vol. 7 No.2」掲載;2006年2月15日発行)
  3. 2002年~2018年:북한이탈주민 입국 현황 (e-나라지표)統計庁の運営サイトより引用)
資料によっては年毎に微妙な数値の誤差がある。

韓国到達後の脱北者

脱北者の社会適応

多くの脱北者の受け入れ先である韓国では、1997年7月14日に制定された「北韓離脱住民の保護及び定着支援に関する法律」と言う法律があり、脱北者の生活支援を行っている。彼らは、まずハナ院하나원、北韓離脱住民定着支援事務所)と呼ばれる教育施設に収容され、資本主義社会の習慣を教授する。その後数週間から数か月程度で一般市民と変わらない生活に移行する。

彼らの多くは北朝鮮出身者のコミュニティを形成し、新しい亡命者の手助けをしている者もいる。その中で、韓国社会で目覚しい活躍をする者もいる一方、目標を自ら設定する資本主義社会に馴染めず、暴走族などの非行に走る者もいる。また北朝鮮で要職、高位にいた脱北者は常に暗殺の危険に晒され、改名や整形手術を余儀なくされる者もいる。

加えて、韓国で住民登録を行うときは、漢字名も決める必要がある。北朝鮮は、建国後、日常生活から漢字の完全な廃止や族譜作成の禁止を行った[12]。そのため、多くの脱北者は、自分の名前を漢字で正確に表すことや、自分の祖先が誰であるかを知ることができない。チョン(鄭または丁)やシン(辛または申)などのように、北朝鮮では、漢字廃止の結果、同音異字の姓がいくつか現れたからである。

韓国政府は2005年より脱北者に入国審査を厳しくする旨を発表した。これは脱北者の中に北朝鮮で政治的ではない重罪を犯した人間が含まれているからとしているが、年々増える傾向の脱北者支援は既に韓国の財政を圧迫し始めているため、とも言われる。社会適応に対する社会的支援は韓国の課題となっている。

韓国での生活

暮らしぶりは厳しい。脱北者は支援金を政府から受け取るが、5人に1人が支援金を狙う詐欺の被害に遭っている(韓国全体での詐欺に遭う確率は、0.5%)。定職に就ける者の割合も5人に1人に過ぎない。また、脱北者の子供を巡る環境も厳しい。進学については、子供の多数が退学しており、高校への進学率は10%と非常に低い割合となっている[13]。学校ではいじめにも遭っているという[14]

こうした状況の中で、北朝鮮に戻りたいという脱北者も現れるようになった。

「昨年11月、あるテレビ局が行った世論調査で、脱北者の33%が「北朝鮮が処罰しないなら帰りたい」と答えた。」[14] より引用。「昨年11月」は、「2006年11月」を指す。

偽装脱北者の露呈

2004年、脱北者として韓国国籍を取得後、2年間スパイ活動を行ってきた工作員が心境の変化を理由に関係機関に自首。脱北者を偽装してスパイ活動が行われている一端が明らかになった[15]

脱北を認めずに強制送還

2019年11月6日 - 韓国は北朝鮮の漁船内で同僚16人を殺害して脱北、帰順を求めた2名を板門店経由で北朝鮮へ強制送還した。休戦以降、韓国が帰順を認めずに北朝鮮へ強制送還した初の事例となった[16][17]

中国東北部の脱北者

中国東北部に潜伏する脱北者は、30万人〜40万人と見積もられている。2009年の中国への脱北者は2万5千人〜3万人。4割は中国にとどまるが、6割はベトナムやモンゴルなどの第三国に渡り、うち女性の大半は売春婦になる。人身売買に関する2009年の米国務省報告書によると、脱北者の8割が人身売買の犠牲になり、大半が売春させられたり中国人の妻となる。妻が不要になった夫が別の男性に転売する事例も起きている。脱北を商売にする仲介業者は少なくとも150人ほど存在しており、ほとんどが朝鮮族とされる[18]。大飢饉が起きた1990年代から違法に国境を越えて中国に逃れる者が急増したと伝えられる。脱北者は中国朝鮮族が多く住む延辺朝鮮族自治州に隠れ住んだ。同族の境遇を哀れんだ中国朝鮮族がこれを援助したが、その後も脱北者は増え続け、犯罪も頻発して治安に影響を与えるようになった。当初は放置していた中国政府も脱北者の厳しい摘発に乗り出した。中国政府は脱北者を難民(保護を義務づけられる)とは認定せず、不法入国者としている。本来は国連の難民条約33条には、「難民を迫害の待つ国に送還してはならない」という規定があるが、中国は「中朝間に難民問題は存在しない」、「経済難から国境を越えたごく少数の朝鮮の不法越境者がいる」という立場である。これは長年の友好国である北朝鮮との関係も考慮した措置である。中国警察に摘発された脱北者は北朝鮮へ強制送還されている。北朝鮮では許可のない出国は厳しく禁じられており、強制送還された人々は死刑を含む厳しい処罰を課せられる。拷問など非人道的行為が数多く伝えられており、脱北者を強制送還する中国政府に対して国際社会から厳しい非難が寄せられているが、中国政府は脱北者に対する姿勢を改めていない。難民と認定して脱北者が急増すると中国東北部に混乱が生じかねないことと、北朝鮮の体制を揺るがしかねないためである。

脱北者の多くは中国東北部で低賃金労働に従事しているが、摘発を逃れるために住居を転々とすることを余儀なくされ、その生活は安定していない。嫁不足の中国人農家と結婚する女性や売春婦に身を落とす女性も数多い。路上で物乞いをする孤児(コッチェビ)もいる。[19]その一方で北朝鮮との密貿易で財をなす者もいる。

脱北女性は人身売買の対象となっており、20-24歳の女性は7000元、25-30歳の女性は5000元、30歳以上は3000元で中国などに売られている[20]

ヨーロッパの脱北者

ヨーロッパに居住する脱北者には、東南アジア経由でヨーロッパに渡った人々や、一度は韓国に逃れたものの韓国社会に溶け込めずヨーロッパに渡った人々がいる[1]。イギリスのニューモルデンには2000年代から脱北者が多く移住するようになり、2019年現在500人前後が暮らしており「リトル・ピョンヤン」とも呼ばれている[1]

日本での報道

日本で脱北者が大きく取り上げられるきっかけとなったのが、瀋陽の日本領事館に朝鮮人親子5人が駆け込んだ事件である。5人を逮捕しようとした中国の公安警察が、治外法権が認められている領事館の敷地に侵入したにもかかわらず、日本領事側はそれに抗議することも無く、5人を武装警察に引き渡したため、国内外から批判が集中した。なお、彼らは後にフィリピン経由で韓国入りした。

2007年、青森県日本海沖で4名の脱北者が漁船を使い日本海を渡り亡命し、後に韓国に渡った。このように直接に日本に入国しようとするケースは稀である。

2011年、元最高人民会議議長白南雲の孫を名乗る男性をリーダーとする脱北者グループ9人が、石川県沖で海上保安庁により保護された。韓国を目指していたが能登半島沖まで流されたものである。

著名な脱北者一覧

脚注

  1. ^ a b c リトル・ピョンヤン in ロンドン」 - NHK 2019年6月24日
  2. ^ [1]「脱北女性従業員」北送議論。震えている3万の脱北者たち、南北和解の時点で「邪魔者」扱いされる脱北者たち
  3. ^ 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版. “【社説】北朝鮮の顔色をうかがい脱北者を見殺しにした韓国外交部”. www.chosunonline.com. 2019年4月7日閲覧。
  4. ^ INC, SANKEI DIGITAL. “【久保田るり子の朝鮮半島ウオッチ】韓国を避ける脱北者 文在寅政権が嫌がらせ”. 産経ニュース. 2019年4月7日閲覧。
  5. ^ 脱北者:韓国政府が呼称変更、「セト民」不使用へ - 朝鮮日報 2008年11月23日[リンク切れ]
  6. ^ “<アジア大会>あす南北サッカー決勝…脱北者「金メダル分け合えれば」”. 中央日報. (2014年10月1日). http://japanese.joins.com/article/809/190809.html 2014年10月4日閲覧。 
  7. ^ 韓国:脱北した入国者が通算1万人超える 朝鮮戦争以来 - 毎日新聞 2007年2月17日付(2007年2月18日時点のアーカイブ
  8. ^ アングル:脱北者が大幅減、金正恩政権の監視体制強化で - ロイター通信 2015年5月25日付)
  9. ^ Marie-Laure Michel (2013年2月9日). “脱北者の私、ブログなら話せた 初めて日本の大学を卒業”. 朝日新聞. http://www.asahi.com/international/update/0209/TKY201302090033.html 2013年2月9日閲覧。 
  10. ^ “韓国でも性的搾取、脱北女性の厳しい現実”. ニューズウィーク. (2016年11月17日). http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/11/post-6353.php 2016年11月20日閲覧。 
  11. ^ “東欧の海外労働者だった北朝鮮人女性が一発で脱北を決心したキッカケ(2/2)”. コリアワールドタイムズ. (2019年10月10日). https://www.koreaworldtimes.com/topics/news/6131/ 2020年5月10日閲覧。 
  12. ^ したがって2013年現在、北朝鮮において漢字はあくまで外国語扱いである。
  13. ^ 脱北者の青少年90%が高校へ通わず」 - 朝鮮日報 2005年9月20日付[リンク切れ]
  14. ^ a b 「人間らしい生活」を夢見た脱北者に絶望を与える韓国』 - 朝鮮日報 2007年2月5日付配信[リンク切れ]
  15. ^ 北朝鮮工作員、脱北者を装ってスパイ活動” (2004年12月2日). 2019年11月13日閲覧。
  16. ^ 同僚16人殺害の北朝鮮人らの強制送還、人権団体が韓国を非難”. AFP (2019年11月13日). 2019年11月13日閲覧。
  17. ^ 宮塚利雄 (2019年12月28日). “また韓国の失敗。脱北希望漁師を北に戻す冷徹政治に非難殺到”. まぐまぐニュース!. 2020年5月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月3日閲覧。
  18. ^ 朝日新聞 2010年2月11日朝刊
  19. ^ 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―(新潮社、2012年 ISBN 978-4-10-333011-0
  20. ^ 脱北者の悲痛な訴え、弁護士協会が人権白書 - 朝鮮日報、2008年10月13日(2008年10月13日時点のアーカイブ

関連項目