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2020年9月11日 (金) 22:09時点における版
東郷 実乙(とうごう さねくに、元文3年10月7日(1738年11月18日) - 文化元年11月8日(1804年12月9日))は、江戸時代中期の薩摩藩士、剣術示現流7代目師範。幼名は弥十郎。通称は藤兵衛。家格小番。
経歴
- 安永4年(1775年):父の隠居につき家督相続。
- 寛政元年(1789年):御目付に就任。役料銀6枚30目をもらう。
- のち物頭兼鎗奉行に就任。役料米73俵をもらう。
- 文化元年(1804年)11月8日:死去。法名得明院劒山活道居士。墓所は曹洞宗松原山南林寺。
人物
実乙は流祖重位以来と言われるほどの達人であり、「示現流中興の祖」と言われる。物頭は兵具奉行が改名した職であるから東郷重利以来、4世代ぶりの就任であった。なお、鑓奉行と物頭は兼職するのが決まりであった[1]。
しかしながら目附就任時には役料銀をもらっていたが、これは「薩藩政要録」によれば、石高50石以下の者に支給されるものであり、家格小番の割に持高が少なめであったことが伺える。なお、幕末の御小姓与西郷隆盛の石高は41石余りであったので、これと大して変わらなかったことが分かる。