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[[703年]]、[[新羅]]の出身の僧の[[智鳳]]は[[智雄]]、[[智鸞]]とともに入唐し、智周に師事して[[唯識]]を学んだ。
[[703年]]、[[新羅]]の出身の僧の[[智鳳]]は[[智雄]]、[[智鸞]]とともに入唐し、智周に師事して[[唯識]]を学んだ。


[[717年]]、日本の僧[[玄ボウ|玄昉]]、[[遣唐使]]留学僧として入唐し、智周に師事して法相を修めた。在唐して学ぶこと18年。
[[717年]]、日本の僧[[玄昉]]、[[遣唐使]]留学僧として入唐し、智周に師事して法相を修めた。在唐して学ぶこと18年。


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2020年9月11日 (金) 22:08時点における版

智周(ちしゅう、668年 - 723年)は、中国唐代高僧法相宗の第三祖ともされる。江蘇泗州の出身である。俗姓は徐氏。濮陽大師(ぼくようだいし)と尊称される。

主な著作

  • 『成唯識論演秘』(7巻 - 唯識三箇疏の一つ)
  • 『法華經玄贊攝釋』(4巻)
  • 『梵網菩薩戒本疏』(5巻)
  • 『成唯識論了義燈記』(2巻)
  • 『大乗法苑義林章決擇記』(4巻)

弟子

658年(斉明天皇4年)、入唐した日本の僧である智通と智達は、玄奘および智周に師事して法相を修め、帰国して法相宗を広めた。

703年新羅の出身の僧の智鳳智雄智鸞とともに入唐し、智周に師事して唯識を学んだ。

717年、日本の僧玄昉遣唐使留学僧として入唐し、智周に師事して法相を修めた。在唐して学ぶこと18年。

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