「菩提院大御堂」の版間の差分
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大御堂前庭では、[[春日大社|春日]]神鹿をあやまって殺した少年である三作を[[石子詰]]の刑に処したと伝わる塚がある。[[元禄時代]]、[[近松門左衛門]]の草した[[浄瑠璃]]『[[十三鐘]]』は、この伝説に取材したものである。 |
2020年9月11日 (金) 22:08時点における版
菩提院大御堂 | |
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菩提院大御堂 | |
所在地 | 奈良県奈良市高畑町1126 |
位置 | 北緯34度40分54.18秒 東経135度50分0.83秒 / 北緯34.6817167度 東経135.8335639度座標: 北緯34度40分54.18秒 東経135度50分0.83秒 / 北緯34.6817167度 東経135.8335639度 |
院号 | 菩提院 |
宗旨 | 法相宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
別称 | 十三鐘 |
札所等 | 大和北部八十八ヶ所霊場62番霊場 |
文化財 | 阿弥陀如来坐像(重要文化財) |
法人番号 | 6150005000405 |
興福寺 > 菩提院大御堂
菩提院大御堂(ぼだいいんおおみどう)は、奈良県奈良市の興福寺の子院である。十三鐘(じゅうさんかね)という通称で親しまれる。本尊は阿弥陀如来。
概要
菩提院大御堂は、興福寺から見て五重塔の南、三条通りを渡ったところに建つ。本尊は阿弥陀如来坐像(鎌倉時代作・重要文化財)で、他に児(ちご)観音立像が安置される。
鐘楼にかかる梵鐘は永享8年(1436年)の鋳造で、かつては昼夜十二時(とき)[1]だけではなく、明け七つと六つの間の早朝勤行の時にも打たれたことから、「十三鐘」の通称を持つ。
大和北部八十八ヶ所霊場の62番霊場。
歴史と伝承
当院は社伝では奈良時代、玄昉僧正により創建されたと伝わるが、実際には玄昉の菩提を弔う一院として造営されたとの見方もある。現在の堂は天正8年(1580年)の再建である。
大御堂前庭では、春日神鹿をあやまって殺した少年である三作を石子詰の刑に処したと伝わる塚がある。元禄時代、近松門左衛門の草した浄瑠璃『十三鐘』は、この伝説に取材したものである。
参考文献
- 興福寺設置 現地案内板記事より
脚注
- ^ 一時(いっとき)は今でいう二時間
外部リンク
- 菩提院大御堂 興福寺Webサイト内