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「鍾離 (姓)」の版間の差分

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== 由来 ==
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[[鍾離]]は本来は地名で、[[春秋時代]]には[[楚 (春秋)|楚]]に属したが、[[呉 (春秋)|呉]]との国境近くにあったために紛争のもとになった。また[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]には[[鍾離の戦い]]の地となった。現在の[[安徽省]][[ジョ州市|滁州市]][[鳳陽県]]にあたる。
[[鍾離]]は本来は地名で、[[春秋時代]]には[[楚 (春秋)|楚]]に属したが、[[呉 (春秋)|呉]]との国境近くにあったために紛争のもとになった。また[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]には[[鍾離の戦い]]の地となった。現在の[[安徽省]][[滁州市]][[鳳陽県]]にあたる。


『[[史記]]』秦本紀の末に、[[秦]]の国姓である嬴姓から分かれたうちに終黎氏をあげており、その注には『世本』に(終黎を)鍾離に作る、とある。『[[水経注]]』淮水の注に引く『世本』でも鍾離を嬴姓とする。
『[[史記]]』秦本紀の末に、[[秦]]の国姓である嬴姓から分かれたうちに終黎氏をあげており、その注には『世本』に(終黎を)鍾離に作る、とある。『[[水経注]]』淮水の注に引く『世本』でも鍾離を嬴姓とする。

2020年9月11日 (金) 21:14時点における版

鍾離
各種表記
繁体字 鍾離
簡体字 钟离/锺离
拼音 Zhōnglí
注音符号 ㄓㄨㄥㄌㄧˊ
ラテン字 Chungli
広東語発音: Zung1lei4
上海語発音: Tson1li1
台湾語白話字 Chiong-lī, Chiong-lî
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鍾離(しょうり)は、漢姓のひとつ。『百家姓』の433番目。

由来

鍾離は本来は地名で、春秋時代にはに属したが、との国境近くにあったために紛争のもとになった。また南北朝時代には鍾離の戦いの地となった。現在の安徽省滁州市鳳陽県にあたる。

史記』秦本紀の末に、の国姓である嬴姓から分かれたうちに終黎氏をあげており、その注には『世本』に(終黎を)鍾離に作る、とある。『水経注』淮水の注に引く『世本』でも鍾離を嬴姓とする。

別の説では、春秋時代にに仕えた伯宗の子の伯州犂が楚に逃れ、鍾離の地を与えられたとする[1]

鍾離を一字にして「」ともいった[1]。現在「鍾離」という姓はきわめてまれだが、「鍾」は一般的な姓である。

簡体字表記が2種類あることについては、の記事を参照。

著名な人物

架空の人物

脚注

  1. ^ a b 通志』 氏族略https://archive.org/stream/06058576.cn#page/n24/mode/2up。「鍾氏、晋伯宗之後。伯宗、晋賢者也。為郤氏所譖、被殺。子伯州犂奔楚、邑于鍾離。今濠州也。子孫以邑為氏、或言鍾、或言鍾離。」 

関連項目