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2020年9月11日 (金) 21:07時点における版
老干媽 | |
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ファイル:Lao Gan Ma on shelf 02.jpg | |
各種表記 | |
簡体字: | 老干妈 |
拼音: | Lǎogānmā |
発音: | ラオガンマー |
日本語読み: | ろうかんま |
英文: | Laoganma |
老干媽(ラオガンマー[1][2]、ローカンマ[3])は、中華人民共和国貴州省で生産される調味料のブランドであり、その製造企業。豆豉(トウチ)やピーナッツなどを用いた具入りラー油(辣醤油)などが知られる。1996年に陶華碧によって製造が始められ、翌1997年に会社組織となった。同社は中国最大のラー油メーカーとされる[4]。
沿革
創業者である陶華碧(陶华碧、タオ・ホァビ[2])は1947年生まれの女性である[5][注釈 1]。貴州省の農村[注釈 2]で貧困な家庭に生まれ[2][6]、家事の手伝い、弟妹の世話などのために学校に通えず[6]、会社設立まで自分の名前さえ書けなかったという[1][2]。
20歳で結婚し[6][2]子供2人を得たが[6][1][2]、夫に先立たれる[6][1][2]。彼女は生計を立てるためにまず行商に出た[6]。資金をためた彼女は1989年、貴陽市南明区龍洞堡に小さな食堂を開いた[1][2][注釈 3]が、本来のメニューである涼粉(ところてんの一種)や冷麺よりも、一緒に出していた自家製の麻辣醤が人気となった[1][2][注釈 4]。彼女は麻辣醤のみの販売もするようになり、この麻辣醤が他の食堂で使われるようになると、自分の食堂をやめて麻辣醤の工場を始めることとした[2]。1996年、40人の従業員を雇い[2]、「老干媽」と名付けた[6]麻辣醤[注釈 5]の製造を開始した[2]。
「老干媽」[注釈 6]は陶華碧のあだ名で、意訳すれば「おふくろさん」[2]である。彼女が食堂経営をしていた頃に、親元を離れて下宿暮らしをする学生たちの面倒を見たことから、こう呼ばれるようになったという[6]。
1997年、貴陽市南明区に貴陽南明老干媽風味食品有限責任公司(贵阳南明老干妈风味食品有限责任公司。以下「老干媽社」)を設立[2]。当初は無名のために商品が売れず、陶華碧自身が商店に持ち込むといった形で次第に販路を拡大した[6]。その後50種類の商品の生産・販売に乗り出して好評を博した[2]。企業家として成功し高額納税者となった陶華碧は、貴州省人民代表大会常務委員会委員、貴陽市政治協商会議委員となり、また2008年には全国人民代表大会の代表となる[5]など、公職も務めている。
老干媽社の2013年の年商は約37億2000万元で、収益は約5億1000万元[4]。8000ヘクタールのトウガラシ農園を持ち[4]、200万世帯に雇用機会を提供したという[4]。2014年時点の報道では、アメリカ合衆国、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなど30か国以上に輸出している[4]。日本にも総代理店として2002年に「有限会社老干媽(ローカンマ)日本」[3]が設立されているほか、いくつかの食品輸入業者によって輸入・販売されている。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f “中国一有名なラー油ブランドの創設者の女性、政府から「8888」のナンバープレートを贈られる―中国”. レコードチャイナ(エキサイト記事) (2014年11月17日). 2018年9月27日閲覧。(2014年11月29日時点のインターネットアーカイブ)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 中川正道. “中国で一番人気がある調味料、老干媽を作った陶華碧の感動物語”. 美味四川. 2018年9月27日閲覧。
- ^ a b “会社概要”. 有限会社老干媽(ローカンマ)日本. 2018年9月27日閲覧。
- ^ a b c d e “Guizhou's Laoganma achieves revenue of 510 million yuan” (英語). China daily. (2014年2月11日) 2018年9月27日閲覧。
- ^ a b c “全国人大代表信息-陶华碧”. 全国人大网 2018年9月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m “Story”. 有限会社老干媽(ローカンマ)日本. 2018年9月27日閲覧。
- ^ “老干妈公司簡介”. 贵阳南明老干妈风味食品有限责任公司. 2018年9月27日閲覧。