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「木牛」の版間の差分

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'''木牛'''(ぼくぎゅう、もくぎゅう)
'''木牛'''(ぼくぎゅう、もくぎゅう)
[[File:Wooden ox replica in the Ancient Chariot Museum in Zibo, China.JPG|thumb|right|[[シ博市|淄博市]]の中国古車博物館にある、木牛の復元模型]]
[[File:Wooden ox replica in the Ancient Chariot Museum in Zibo, China.JPG|thumb|right|[[淄博市]]の中国古車博物館にある、木牛の復元模型]]
*[[中国]]・[[三国時代_(中国)|三国時代]]に[[蜀]]の[[丞相]]・[[諸葛亮]]が発明したとされる輸送道具。'''木牛流馬'''(ぼくぎゅうりゅうば)とも称する。[[魏_(三国)|魏]]への[[北伐 (諸葛亮)|北伐]]に際して食糧輸送に用いられたとされる。[[西晋]]の[[陳寿]]が著した『[[三国志_(歴史書)|三国志]]』や『諸葛亮集』にも登場するが、その仕組みについては明らかにはされていない。北宋の高承は「木牛は即ち今の小車の前轅有るものなり。」と小車(単輪の手押し車)の一種であると主張する。また「流馬は今の独推(手押しソリの類か。未詳)なり」とする。(『事物紀原』)
*[[中国]]・[[三国時代_(中国)|三国時代]]に[[蜀]]の[[丞相]]・[[諸葛亮]]が発明したとされる輸送道具。'''木牛流馬'''(ぼくぎゅうりゅうば)とも称する。[[魏_(三国)|魏]]への[[北伐 (諸葛亮)|北伐]]に際して食糧輸送に用いられたとされる。[[西晋]]の[[陳寿]]が著した『[[三国志_(歴史書)|三国志]]』や『諸葛亮集』にも登場するが、その仕組みについては明らかにはされていない。北宋の高承は「木牛は即ち今の小車の前轅有るものなり。」と小車(単輪の手押し車)の一種であると主張する。また「流馬は今の独推(手押しソリの類か。未詳)なり」とする。(『事物紀原』)
*中国・[[明]]から[[清]]にかけて用いられた、人力で[[犂]]を動かすために使われた代耕機械。当時は[[ウシ|牛]]に犂を曳かせていたからだという。明の[[天啓_(明)|天啓]]年間に、[[イエズス会]]の[[ヨハン・テレンツ]](Johann Terrenz、中国名・鄧玉函)の説明を基に、[[王徴]]が「代耕(架)」という名称で中国に紹介した。木製の[[轆轤]](ろくろ)に犂本体と紐を取り付けて、紐を曳くことで轆轤を回転させて犂を前進させたという。
*中国・[[明]]から[[清]]にかけて用いられた、人力で[[犂]]を動かすために使われた代耕機械。当時は[[ウシ|牛]]に犂を曳かせていたからだという。明の[[天啓_(明)|天啓]]年間に、[[イエズス会]]の[[ヨハン・テレンツ]](Johann Terrenz、中国名・鄧玉函)の説明を基に、[[王徴]]が「代耕(架)」という名称で中国に紹介した。木製の[[轆轤]](ろくろ)に犂本体と紐を取り付けて、紐を曳くことで轆轤を回転させて犂を前進させたという。

2020年9月11日 (金) 20:54時点における版

木牛(ぼくぎゅう、もくぎゅう)

淄博市の中国古車博物館にある、木牛の復元模型
  • 中国三国時代丞相諸葛亮が発明したとされる輸送道具。木牛流馬(ぼくぎゅうりゅうば)とも称する。への北伐に際して食糧輸送に用いられたとされる。西晋陳寿が著した『三国志』や『諸葛亮集』にも登場するが、その仕組みについては明らかにはされていない。北宋の高承は「木牛は即ち今の小車の前轅有るものなり。」と小車(単輪の手押し車)の一種であると主張する。また「流馬は今の独推(手押しソリの類か。未詳)なり」とする。(『事物紀原』)
  • 中国・からにかけて用いられた、人力でを動かすために使われた代耕機械。当時はに犂を曳かせていたからだという。明の天啓年間に、イエズス会ヨハン・テレンツ(Johann Terrenz、中国名・鄧玉函)の説明を基に、王徴が「代耕(架)」という名称で中国に紹介した。木製の轆轤(ろくろ)に犂本体と紐を取り付けて、紐を曳くことで轆轤を回転させて犂を前進させたという。