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「五蘊盛苦」の版間の差分

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略説するに五蘊取蘊は苦なり。
略説するに五蘊取蘊は苦なり。
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== 脚注 ==
== 脚注 ==

2020年9月6日 (日) 04:42時点における版

五蘊盛苦(ごうんじょうく)、五蘊苦(ごうんく)とは、仏教の説く四苦八苦の一つ。元のパーリ語は、パンチャ・ウパーダーナ・カンダ・ドゥッカ(pañcupādānakkhandhā dukkha)[1]。釈迦は初転法輪にて五比丘に五蘊苦を説いた[1]

パーリ語の組み合わせは、「パンチャ」は「五つ」、「ウパーダーナ」は「執着する、固執する」、「カンダ」は「要素()」、「ドゥッカ」は「苦」という意味なので、 「五つの要素に執着する苦しみ」というのが原文の意味である。 日本仏教においては五蘊盛苦を漢訳の訳語から解説する場合が多いが、漢訳の五蘊盛苦では「ウパーダーナ」、つまり「執着する」という意味が入っておらず、原文のニュアンスが伝わりにくい訳となっている。

もともとの釈尊のパーリ仏典で言っているのは、五つの要素(五蘊)、つまり色・受・想・行・識(身体・感覚・概念・心で決めたこと・記憶)のそれぞれに執着することが苦しみと説いているのであり、この五つの要素そのものが苦だと説いているわけではない。

自分自身が生きている(心身の活動をしている)だけで苦しみが次から次へと湧き上がってくることであり、五蘊とは以下の五つを指す。

  • (しき) =すべての物質を指し示す。この場合、「身体」機能が活発であるために起こる苦しみ
  • (しゅ) =物事を見る、外界からの刺激を受ける「心」の機能
  • (そう) =見たものについて何事かをイメージする「心」の機能
  • (ぎょう)=イメージしたものについて、何らかの意志判断を下す「心」の機能
  • (しき) =外的作用(刺激とイメージ)、内的作用(意志判断)を総合して状況判断を下す「認識作用」の機能[1]

抜粋

初転法輪においては苦諦が述べられた。

Saṅkhittena pañcupādānakkhandhā dukkhā.

略説するに五蘊取蘊は苦なり。

—  パーリ仏典, 大犍度, Sri Lanka Tripitaka Project

脚注

  1. ^ a b c アルボムッレ・スマナサーラ 2015, Kindle版、位置No.全2025中 1225 / 60%.

参考文献

  • アルボムッレ・スマナサーラ『苦の見方』サンガ (出版社)、2015年。ISBN 978-4865640199 

関連項目