コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「ポール・ボードリー」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m style
Cewbot (会話 | 投稿記録)
21行目: 21行目:


==生涯==
==生涯==
フランス国立高等美術学校([[:fr:École nationale supérieure des beaux-arts|École nationale supérieure des beaux-arts]])で絵を学び、[[1850年]]、『[[アラス川]]の川岸で発見されたゼノビア』([[パルミラ国]]の女王ではなく、[[ラダミストゥス]]の妻のゼノビア)で[[ウィリアム・アドルフ・ブグロー]]と共に[[ローマ賞]]を受賞。[[イタリア]]では[[コレッジョ]]の絵に強く関心を持つ。主に壁画を描くが、肖像画や歴史画も描いた。[[ナポレオン3世]]から[[ガルニエ宮]]の装飾を依頼され、10年間、それに従事した。
フランス国立高等美術学校([[:fr:École nationale supérieure des beaux-arts|École nationale supérieure des beaux-arts]])で絵を学び、[[1850年]]、『[[アラス川]]の川岸で発見されたゼノビア』([[パルミラ国]]の女王ではなく、[[ラダミストゥス]]の妻のゼノビア)で[[ウィリアム・アドルフ・ブグロー]]と共に[[ローマ賞]]を受賞。[[イタリア]]では[[コレッジョ]]の絵に強く関心を持つ。主に壁画を描くが、肖像画や歴史画も描いた。[[ナポレオン3世]]から[[ガルニエ宮]]の装飾を依頼され、10年間、それに従事した。


[[1854年]]にはHôtel Fould、[[1863年]]にはオテル・マティニョン([[:fr:Hôtel Matignon|Hôtel Matignon]])<ref>Aujourd’hui hôtel Matignon.</ref>、さらにHôtel de la Pava、[[シャンティイ城]]の装飾を手掛けた。[[1870年]]には[[芸術アカデミー]]の会員となった。オリエントに旅行し、[[パンテオン (パリ)|パンテオン]]の装飾計画に参加するつもりだったが、死去。遺体は[[ペール・ラシェーズ墓地]]に埋葬された。
[[1854年]]にはHôtel Fould、[[1863年]]にはオテル・マティニョン([[:fr:Hôtel Matignon|Hôtel Matignon]])<ref>Aujourd’hui hôtel Matignon.</ref>、さらにHôtel de la Pava、[[シャンティイ城]]の装飾を手掛けた。[[1870年]]には[[芸術アカデミー]]の会員となった。オリエントに旅行し、[[パンテオン (パリ)|パンテオン]]の装飾計画に参加するつもりだったが、死去。遺体は[[ペール・ラシェーズ墓地]]に埋葬された。

2020年9月5日 (土) 00:26時点における版

ポール・ボードリー
Paul Baudry
生誕 1828年11月7日
フランス,ラ・ロッシュ=シュル=ヨン
死没 1886年1月17日
フランス,パり
運動・動向 アカデミック絵画
テンプレートを表示

ポール・ジャック・エメ・ボードリーPaul Jacques Aimé Baudry, 1828年11月7日 ヴァンデ県ラ・ロッシュ=シュル=ヨン[1] - 1886年1月17日 パリ)はフランス画家フランス第二帝政期を代表するアカデミック絵画の画家の一人。

生涯

フランス国立高等美術学校(École nationale supérieure des beaux-arts)で絵を学び、1850年、『アラス川の川岸で発見されたゼノビア』(パルミラ帝国の女王ではなく、ラダミストゥスの妻のゼノビア)でウィリアム・アドルフ・ブグローと共にローマ賞を受賞。イタリアではコレッジョの絵に強く関心を持つ。主に壁画を描くが、肖像画や歴史画も描いた。ナポレオン3世からガルニエ宮の装飾を依頼され、10年間、それに従事した。

1854年にはHôtel Fould、1863年にはオテル・マティニョン(Hôtel Matignon[2]、さらにHôtel de la Pava、シャンティイ城の装飾を手掛けた。1870年には芸術アカデミーの会員となった。オリエントに旅行し、パンテオンの装飾計画に参加するつもりだったが、死去。遺体はペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。

ギャラリー

代表作

ペール・ラシェーズ墓地のボードリーの墓
  • ミネルウァの持ち物を運ぶアモール(シャンティイ城コンデ美術館)
  • Alfred Beurdeley(オルセー美術館
  • シャルル・ガルニエ(オルセー美術館)
  • 休息するディアナ(シャンティイ城コンデ美術館)
  • プシューケーの誘拐(シャンティイ城コンデ美術館)
  • 運命の女神と幼子(オルセー美術館)
  • マラーの暗殺(ナント美術館
  • ウェヌスの化粧(ボルドー美術館
  • 真実(オルセー美術館)
  • 聖フーベルトゥスの幻視(シャンティイ城コンデ美術館)
  • ノアの酩酊(シャンティイ城コンデ美術館)
  • シャルル・ガルニエ夫人(オルセー美術館)
  • ベドワイエール伯爵夫人の肖像(コンピエーニュ城美術館)
  • アモールと戯れるウェヌス(シャンティイ城コンデ美術館)
  • アラス川の川岸で発見されたゼノビア(1850年) - ローマ賞受賞。

脚注

  1. ^ À l'époque, Bourbon-en-Vendée
  2. ^ Aujourd’hui hôtel Matignon.

外部リンク