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「工藤美知尋」の版間の差分

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'''工藤 美知尋'''(くどう みちひろ、[[1947年]][[4月29日]]<ref>『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.258</ref> - )は、日本の戦史研究者、[[青山IGC学院]]学院長。
'''工藤 美知尋'''(くどう みちひろ、[[1947年]][[4月29日]]<ref>『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.258</ref> - )は、日本の戦史研究者






==人物==
==人物==
1947年、[[山形県]][[長井市]]に生まれる。[[山形県立長井高等学校]]を経て、1970年3月、[[日本大学]]法学部政治経済学科卒業。1972年3月、日本大学大学院政治学研究科修士課程修了。1972年~1974年、[[オーストリア]]、[[ウィーン大学]]留学。1979年、[[東海大学]]大学院政治学研究科博士課程単位取得退学。1985年、東海大学より政治学博士号を取得。博士論文は「日本海軍 太平洋戦争開戦原因論」。
1947年、[[山形県]][[長井市]]に生まれる。[[山形県立長井高等学校]]を経て、1970年3月、[[日本大学]]法学部政治経済学科卒業。1972年3月、日本大学大学院政治学研究科修士課程修了。1972年~1974年、[[オーストリア]]、[[ウィーン大学]]留学。1979年、大学院政治学研究科博士課程単位取得。1985年、政治学博士号を取得。博士論文は「日本海軍 太平洋戦争開戦原因論」。


日本大学法学部助手、日本大学法学部専任講師の後1992年3月、社会人入試・大学院入試のための本格的な予備校青山IGC学院を主宰。社会人入試・大学院入試予備校の先駆者として多くの著を手がける。また、[[大日本帝国海軍]]の研究者としても著名で、帝国海軍史の著作もある。
日本大学法学部助手、日本大学法学部助手、専任講師、助教授。日部退職後、作家業に専念する。[[大日本帝国海軍]]の研究者としても著名で、帝国海軍史の著作もある。


==著作==
==著作==

2020年10月18日 (日) 06:56時点における版

工藤 美知尋(くどう みちひろ、1947年4月29日[1] - )は、日本の戦史研究者



人物

1947年、山形県長井市に生まれる。山形県立長井高等学校を経て、1970年3月、日本大学法学部政治経済学科卒業。1972年3月、日本大学大学院政治学研究科修士課程修了。1972年~1974年、オーストリアウィーン大学留学。1979年、大学院政治学研究科博士課程単位取得。1985年、政治学博士号を取得。博士論文は「日本海軍 太平洋戦争開戦原因論」。

日本大学法学部助手、日本大学法学部助手、専任講師、助教授。日大法学部退職後、作家業に専念する。大日本帝国海軍の研究者としても著名で、帝国海軍史の著作もある。

著作

  • 「日本海軍と太平洋戦争」(上・下)、南窓社、1982年
  • 「東条英機暗殺計画」、PHP研究所、1986年
  • 「稜線 劇物語 山本五十六」、光人社、1990年
  • 「残照 劇物語 井上成美」、光人社、1990年
  • 「孤独 劇物語 裕仁天皇」、光人社、1991年
  • 「日本海軍の歴史がよくわかる本」、PHP研究所、2007年

脚注

  1. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.258

外部リンク

  • 青山IGC学院 - [1]