コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「バジル・ブルック (初代ブルックバラ子爵)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: Category:大英帝国勲章内にある受章者項目のCategory貼り替え - log
Cewbot (会話 | 投稿記録)
3行目: 3行目:


== 経歴 ==
== 経歴 ==
[[1888年]][[6月9日]]に[[北アイルランド]]・[[ファーマナ]]・{{仮リンク|ブルックバラ|en|Brookeborough}}・コールブルック荘園(Colebrooke Estate)の地主である第4代[[ブルックバラ子爵|準男爵]]アーサー・ダグラス・ブルック(Sir Arthur Douglas Brooke, 4th Bt.)とその妻ガートルード・イザベラ(Gertrude Isabella 旧姓バトソン(Batson))の間の長男として生まれる<ref name="CP VB">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/brookeborough1952.htm|title=Brookeborough, Viscount (UK, 1952)|accessdate= 2018-04-30|last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/introduction.htm  Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage]  |language= 英語 }}</ref><ref name="thepeerage.com">{{Cite web |url=http://www.thepeerage.com/p18091.htm#i180906|title=Basil Stanlake Brooke, 1st Viscount Brookeborough|accessdate= 2018-04-30 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。
[[1888年]][[6月9日]]に[[北アイルランド]]・[[ファーマナ]]・{{仮リンク|ブルックバラ|en|Brookeborough}}・コールブルック荘園(Colebrooke Estate)の地主である第4代[[ブルックバラ子爵|準男爵]]アーサー・ダグラス・ブルック(Sir Arthur Douglas Brooke, 4th Bt.)とその妻ガートルード・イザベラ(Gertrude Isabella 旧姓バトソン(Batson))の間の長男として生まれる<ref name="CP VB">{{Cite web |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/brookeborough1952.htm|title=Brookeborough, Viscount (UK, 1952)|accessdate= 2018-04-30|last= Heraldic Media Limited |work= [http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/introduction.htm  Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage]  |language= 英語 }}</ref><ref name="thepeerage.com">{{Cite web |url=http://www.thepeerage.com/p18091.htm#i180906|title=Basil Stanlake Brooke, 1st Viscount Brookeborough|accessdate= 2018-04-30 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。


[[ウィンチェスター・カレッジ]]を卒業。[[1907年]]に父の死により第5代準男爵位を継承。{{仮リンク|サンドハースト王立陸軍大学|en|Royal Military Academy Sandhurst}}で学ぶ<ref name="thepeerage.com"/>。[[1908年]][[9月26日]]に{{仮リンク|王立フュージリアー連隊|en|Royal Fusiliers}}の少尉(second lieutenant)に任官<ref name="LG 25 September 1908">{{London Gazette |issue=28180 |date=25 September 1908 |startpage=6940}}</ref>。[[第一次世界大戦]]には{{仮リンク|第10軽騎兵連隊 (イギリス)|label=第10軽騎兵連隊|en|10th Hussars}}の大尉(Captain)として従軍した<ref name="thepeerage.com"/>。[[1920年]]に退役し、コールブルック荘園の農業経営に戻った。これが軍事から政治へキャリア変更するきっかけとなった<ref>Timothy Bowman, 'The Ulster Volunteer Force, 1910–1920: New Perspectives', in Boyce and O'Day (eds.), Ulster Crisis, pp.256–8.</ref>。
[[ウィンチェスター・カレッジ]]を卒業。[[1907年]]に父の死により第5代準男爵位を継承。{{仮リンク|サンドハースト王立陸軍大学|en|Royal Military Academy Sandhurst}}で学ぶ<ref name="thepeerage.com"/>。[[1908年]][[9月26日]]に{{仮リンク|王立フュージリアー連隊|en|Royal Fusiliers}}の少尉(second lieutenant)に任官<ref name="LG 25 September 1908">{{London Gazette |issue=28180 |date=25 September 1908 |startpage=6940}}</ref>。[[第一次世界大戦]]には{{仮リンク|第10軽騎兵連隊 (イギリス)|label=第10軽騎兵連隊|en|10th Hussars}}の大尉(Captain)として従軍した<ref name="thepeerage.com"/>。[[1920年]]に退役し、コールブルック荘園の農業経営に戻った。これが軍事から政治へキャリア変更するきっかけとなった<ref>Timothy Bowman, 'The Ulster Volunteer Force, 1910–1920: New Perspectives', in Boyce and O'Day (eds.), Ulster Crisis, pp.256–8.</ref>。

2020年8月31日 (月) 00:15時点における版

ファイル:Brookeborough 1963 UUC Yearbook.jpg
初代ブルックバラ子爵

初代ブルックバラ子爵バジル・スタンレイク・ブルック英語: Basil Stanlake Brooke, 1st Viscount Brookeborough, KGCBE, MC, TD, PC (Ire) 1888年6月9日 - 1973年8月18日)は、イギリス北アイルランドの政治家。アルスター統一党に所属し、1943年から1963年にかけて北アイルランド首相英語版を務めた。

経歴

1888年6月9日北アイルランドファーマナ県ブルックバラ英語版・コールブルック荘園(Colebrooke Estate)の地主である第4代準男爵アーサー・ダグラス・ブルック(Sir Arthur Douglas Brooke, 4th Bt.)とその妻ガートルード・イザベラ(Gertrude Isabella 旧姓バトソン(Batson))の間の長男として生まれる[1][2]

ウィンチェスター・カレッジを卒業。1907年に父の死により第5代準男爵位を継承。サンドハースト王立陸軍大学英語版で学ぶ[2]1908年9月26日王立フュージリアー連隊英語版の少尉(second lieutenant)に任官[3]第一次世界大戦には第10軽騎兵連隊英語版の大尉(Captain)として従軍した[2]1920年に退役し、コールブルック荘園の農業経営に戻った。これが軍事から政治へキャリア変更するきっかけとなった[4]

1921年北アイルランド元老院(上院)英語版の議員に選出されるが、アイルランド共和軍(IRA)と戦うアルスター特殊警察隊英語版(USC)の指揮官になるためすぐに辞職した。1921年に大英帝国勲章コマンダー(CBE)を受勲[5]

1929年リスナスケア選挙区英語版から選出されてアルスター統一党所属の北アイルランド庶民院(下院)英語版の議員となる。北アイルランド首相英語版ジェイムズ・クレイグ英語版の内閣において1929年から1933年まで北アイルランド財務大臣政務官補英語版を務めた。ついで1933年から1941年までクレイグとジョン・ミラー・アンドリューズ英語版の内閣において北アイルランド農業大臣英語版を務めた。この際にアイルランド枢密顧問官英語版に列する[5]。ついで1941年からアンドリューズ内閣の北アイルランド商工大臣英語版を務めた[2][1]

1943年5月2日にアンドリューズの跡を襲って北アイルランド首相英語版に就任[6]。以降1963年3月までの20年弱という長期にわたって同職に在職することになった[5]

1952年7月1日に連合王国貴族爵位ブルックバラ子爵に叙され、連合王国貴族院議員に列した[7]。北アイルランド議会でも引き続き庶民院議員の議席を保持した。

1950年代半ば以降北アイルランド経済の脱工業化の流れでプロテスタントの失業者が増大し、アルスター統一党のバックベンチャー議員の間でブルックバラ子爵は経済に無関心な首相との批判が強まった。この批判が高まるにつれて財務大臣英語版テレンス・オニール英語版を首相に推す声が強まった[8]

1963年に健康悪化により北アイルランド首相を辞した。首相辞任後も1969年の北アイルランド総選挙英語版までは庶民院議員の議席を維持した。1965年からは庶民院の父英語版となった。1973年8月18日に死去した。85歳没。長男は第二次世界大戦で戦死していたため、次男のジョン・ブルック英語版が爵位を継承した[2]

栄典

爵位

1907年11月27日に以下の準男爵位を継承した[1][2]

1952年7月4日に以下の爵位を新規に叙された[1][2]

勲章

家族

1919年6月3日にシンシア・メアリー・セージソン(Cynthia Mary Sergison)と結婚し、彼女との間に以下の3子をもうけた[1][2]

  • 長男バジル・ジュリアン・デイヴィッド・ブルック (Basil Julian David Brooke, 1920-1943) 第二次世界大戦で戦死
  • 次男ジョン・ウォーデン・ブルック英語版(John Warden Brooke, 1922-1987) 第2代ブルックバラ子爵を継承
  • 三男ヘンリー・アラン・ブルック(Henry Alan Brooke, 1923-1945) 第二次世界大戦で戦死

1970年にシンシアと死別したのち、1971年にサラ・アイリーン・ベル・ヒーリー(Sarah Eileen Bell Healey)と再婚した[1][2]

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d e f g h Heraldic Media Limited. “Brookeborough, Viscount (UK, 1952)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2018年4月30日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k Lundy, Darryl. “Basil Stanlake Brooke, 1st Viscount Brookeborough” (英語). thepeerage.com. 2018年4月30日閲覧。
  3. ^ "No. 28180". The London Gazette (英語). 25 September 1908.
  4. ^ Timothy Bowman, 'The Ulster Volunteer Force, 1910–1920: New Perspectives', in Boyce and O'Day (eds.), Ulster Crisis, pp.256–8.
  5. ^ a b c The Times, 20 August 1973
  6. ^ “NORTHERN IRELAND GETS NEW PREMIER”. The New York Times. (2 May 1943). https://www.nytimes.com/1943/05/02/archives/northern-ireland-gets-new-premier-sir-basil-brooke-54-named-to.html 23 January 2015閲覧. "resigned after criticism from his own Unionist party with regard to the government's unemployment policy." 
  7. ^ UK Parliament. “Mr Basil Brooke” (英語). HANSARD 1803-2005. 2019年1月29日閲覧。
  8. ^ MacDonald, Michael, Children of Wrath, Cambridge, UK: Polity Press, 1986, p. 71

外部リンク

公職
先代
ヘンリー・マルホランド英語版
北アイルランド財務大臣政務官補英語版
1929年–1933年
次代
サー・ウィルソン・ハンガーフォード英語版
先代
エドワード・アーチデール英語版
北アイルランド農業大臣英語版
1933年–1941年
次代
第2代グレントラン男爵英語版
先代
ジョン・ミルン・バーバー英語版
北アイルランド商業大臣英語版
1941年–1943年
次代
商工大臣に改組
先代
商業大臣から改組
北アイルランド商工大臣英語版
1943年–1945年
次代
ローランド・ニュージェント英語版
先代
ジョン・アンドリューズ英語版
北アイルランド首相英語版
1943年–1963年
次代
テレンス・オニール英語版
議会(北アイルランド議会)
新設選挙区 リスナスケア選挙区英語版選出
北アイルランド庶民院英語版議員

1929年–1968年
次代
ジョン・ブルック英語版
党職
先代
ヘンリー・マルホランド英語版
アルスター統一党院内幹事長英語版
1929年–1933年
次代
サー・ウィルソン・ハンガーフォード英語版
先代
ジョン・アンドリューズ英語版
アルスター統一党党首
1946年–1963年
次代
テレンス・オニール英語版
名誉職
先代
第5代エニスキレン伯爵英語版
ファーマナ統監
1963年–1969年
次代
トマス・スコット英語版
(次の就任者)
先代
ケア・ヒーリー英語版
庶民院の父英語版
1965年–1968年
次代
サー・ノーマン・ストロング英語版
イギリスの準男爵
先代
アーサー・ブルック
(コールブルックの)第5代準男爵
1907年–1973年
次代
ジョン・ブルック英語版
イギリスの爵位
爵位創設 初代ブルックバラ子爵
1952年–1973年
次代
ジョン・ブルック英語版