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ハミルトン侯爵[[ジェイムズ・ハミルトン (第4代アバコーン公爵)|ジェイムズ・ハミルトン]]の長男(第2子)として[[ロンドン]]で生まれる<ref name="thepeerage">{{ Cite web | last = Lundy | first = Darryl | url = http://thepeerage.com/p11283.htm#i112823 | title = James Hamilton, 5th Duke of Abercorn | work = thepeerage.com | language = 英語 | accessdate = 2012-2-12 }}</ref>。母親の{{仮リンク|キャスリーン・ハミルトン|en|Kathleen Hamilton, Duchess of Abercorn}}はクリントン子爵ヘンリー・クリントン(第4代[[アーン伯爵]]{{仮リンク|ジョン・クリントン (第4代アーン伯爵)|en|John Crichton, 4th Earl Erne|label=ジョン・クリントン}}の長男で第5代アーン伯爵{{仮リンク|ジョン・クリントン (第5代アーン伯爵)|en|John Crichton, 5th Earl Erne|label=ジョン・クリントン}}の父)の娘<ref name="thepeerage" /><ref name ="Cracroft">{{ Cite web | last = Cracroft-Brennan | first = Patrick | url = http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/index348.htm#ABERCORN_1868_5 | title = James <nowiki>[Hamilton]</nowiki>, 5th Duke of Abercorn, KG | work = Cracroft's Peerage | language = 英語 | accessdate = 2012-2-12 }}</ref>。父親が第4代アバコーン公爵となった[[1953年]]から自身が襲爵する[[1979年]]までは「ハミルトン侯爵」({{lang|en|Marquess of Hamilton}})の[[儀礼称号]]を称した<ref name="thepeerage" />。 |
ハミルトン侯爵[[ジェイムズ・ハミルトン (第4代アバコーン公爵)|ジェイムズ・ハミルトン]]の長男(第2子)として[[ロンドン]]で生まれる<ref name="thepeerage">{{ Cite web | last = Lundy | first = Darryl | url = http://thepeerage.com/p11283.htm#i112823 | title = James Hamilton, 5th Duke of Abercorn | work = thepeerage.com | language = 英語 | accessdate = 2012-2-12 }}</ref>。母親の{{仮リンク|キャスリーン・ハミルトン|en|Kathleen Hamilton, Duchess of Abercorn}}はクリントン子爵ヘンリー・クリントン(第4代[[アーン伯爵]]{{仮リンク|ジョン・クリントン (第4代アーン伯爵)|en|John Crichton, 4th Earl Erne|label=ジョン・クリントン}}の長男で第5代アーン伯爵{{仮リンク|ジョン・クリントン (第5代アーン伯爵)|en|John Crichton, 5th Earl Erne|label=ジョン・クリントン}}の父)の娘<ref name="thepeerage" /><ref name ="Cracroft">{{ Cite web | last = Cracroft-Brennan | first = Patrick | url = http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/index348.htm#ABERCORN_1868_5 | title = James <nowiki>[Hamilton]</nowiki>, 5th Duke of Abercorn, KG | work = Cracroft's Peerage | language = 英語 | accessdate = 2012-2-12 }}</ref>。父親が第4代アバコーン公爵となった[[1953年]]から自身が襲爵する[[1979年]]までは「ハミルトン侯爵」({{lang|en|Marquess of Hamilton}})の[[儀礼称号]]を称した<ref name="thepeerage" />。 |
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[[イートン・カレッジ]]を経て[[イギリス王立農業大学]]({{interlang|en|Royal Agricultural College}})で学び<ref name="thepeerage" />、[[1952年]]に[[グレナディアガーズ]]に入隊。[[1964年イギリス総選挙]]に{{仮リンク|ロバート・グローヴナー (第5代ウェストミンスター公爵)|en|Robert Grosvenor, 5th Duke of Westminster|label=ロバート・グローヴナー卿}}(後の第5代[[ウェストミンスター公爵]])の後継として[[ファーマナ県|ファーマナ]]・アンド・{{仮リンク|ダンガノン・南ティロン自治体郡議会|en|Dungannon and South Tyrone Borough Council|label=サウス・ティロン}}選挙区から立候補、政界入り。以後[[1970年イギリス総選挙]]で落選するまで[[アルスター統一党]]所属の[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]議員<ref name ="Cracroft" />。[[1979年]]に父親の死去により爵位を相続、[[グレートブリテン貴族]]「アバコーン侯爵」として[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]に議席を得る。貴族院改革のあった1999年11月11日まで在職した<ref name="HANSARD">{{Cite web |url=http://hansard.millbanksystems.com/people/mr-james-hamilton-1/ |title=Mr James Hamilton|accessdate= 2014-10-16 |author= [[イギリス議会|UK Parliament]] |work= [http://hansard.millbanksystems.com/index.html HANSARD 1803–2005] |language= 英語 }}</ref>{{#tag:ref|[[トニー・ブレア]]政権による貴族院改革により、[[1999年]][[11月11日]]に世襲貴族の議席は92議席を残して削除され、アバコーン公爵を含む大半の世襲貴族が議席を失った。以降の貴族院は爵位を世襲できない[[一代貴族]]が議員の大半を占めている<ref>[[#田中(2009)|田中(2009)]] p.229/241</ref>。|group=注釈}}。 |
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[[1970年]]に[[ティロン州長官]]{{訳語疑問点|date=2012年2月}}({{interlang|en|High Sheriff of Tyrone}})となり<ref>{{LondonGazette |issue = 2596 |date = 9 January 1970 |startpage = 13 | city = b | accessdate = 2012-02-12 }}</ref>、[[1987年]]から[[2009年]]までは[[ティロン州知事]]{{訳語疑問点|date=2012年2月}}({{interlang|en|Lord Lieutenant of Tyrone}})も務めた<ref>{{Cite web2 | url = http://www.history.ac.uk/publications/office/lieutenants-ire | title = Lieutenants and Lords-Lieutenants (Ireland) 1831- | publisher = [[:en:Institute of Historical Research|Institute of Historical Research]] ([[ロンドン大学|University of London]]) | language = en | accessdate = 12 February 2012 |url-status=dead |archive-date=23 July 2018|archive-url=http://web.archive.org/web/20180723003639/http://www.history.ac.uk/publications/office/lieutenants-ire }}</ref><ref name ="Cracroft" />。[[1999年]]、[[ガーター勲章]]を受勲<ref name="lg090423">{{LondonGazette |issue = 55466 |date = 23 April 1999 |startpage = 4575 | accessdate = 2012-02-12 }}</ref>。[[2000年]]から[[2008年]]まで[[アイリッシュガーズ]]の名誉職の隊長に任じられており<ref>{{LondonGazette |issue = 56020 |date = 7 November 2000 |startpage = 12480 |supp = yes | accessdate = 2012-02-12 }}</ref>、加えて[[2001年]]から[[2009年]]まで[[王室家政長官]]の職にあった。 |
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2020年8月31日 (月) 00:14時点における版
第5代アバコーン公爵ジェイムズ・ハミルトン(英: James Hamilton, 5th Duke of Abercorn, KG、1934年7月4日 - )は、イギリスの貴族、政治家。
襲爵前にアルスター統一党所属の庶民院議員を2期務め、後に王室家政長官(Lord Steward; 王室家令長)[訳語疑問点]に任命された。
経歴
ハミルトン侯爵ジェイムズ・ハミルトンの長男(第2子)としてロンドンで生まれる[1]。母親のキャスリーン・ハミルトンはクリントン子爵ヘンリー・クリントン(第4代アーン伯爵ジョン・クリントンの長男で第5代アーン伯爵ジョン・クリントンの父)の娘[1][2]。父親が第4代アバコーン公爵となった1953年から自身が襲爵する1979年までは「ハミルトン侯爵」(Marquess of Hamilton)の儀礼称号を称した[1]。
イートン・カレッジを経てイギリス王立農業大学(Royal Agricultural College)で学び[1]、1952年にグレナディアガーズに入隊。1964年イギリス総選挙にロバート・グローヴナー卿(後の第5代ウェストミンスター公爵)の後継としてファーマナ・アンド・サウス・ティロン選挙区から立候補、政界入り。以後1970年イギリス総選挙で落選するまでアルスター統一党所属の庶民院議員[2]。1979年に父親の死去により爵位を相続、グレートブリテン貴族「アバコーン侯爵」として貴族院に議席を得る。貴族院改革のあった1999年11月11日まで在職した[3][注釈 1]。 1970年にティロン州長官[訳語疑問点](High Sheriff of Tyrone)となり[5]、1987年から2009年まではティロン州知事[訳語疑問点](Lord Lieutenant of Tyrone)も務めた[6][2]。1999年、ガーター勲章を受勲[7]。2000年から2008年までアイリッシュガーズの名誉職の隊長に任じられており[8]、加えて2001年から2009年まで王室家政長官の職にあった。
2012年10月17日からガーター騎士団長に就任した[9]。
アバコーンは15,000エーカー(61平方キロメートル)以上の土地を所有するアイルランド島最大の地主の一人であり、北アイルランド・ティロン州ニュータウンスチュワートのバロンズコートを邸宅としている。
栄典
爵位/準男爵位
1979年6月4日の父ジェイムズ・ハミルトンの死により以下の爵位を継承した[1][10]。
- 第5代アバコーン公爵 (5th Duke of Abercorn)
- 第6代アバコーン侯爵 (6th Marquess of Abercorn)
- (1790年10月15日創設グレートブリテン貴族爵位)
- ティロン州におけるストラバンの第5代ハミルトン侯爵 (5th Marquess of Hamilton, of Strabane in the county of Tyrone)
- (1868年8月10日創設アイルランド貴族爵位)
- 第14代アバコーン伯爵 (14th Earl of Abercorn)
- 第9代ストラバン子爵 (9th Viscount Strabane)
- 第7代ハミルトン子爵 (7th Viscount Hamilton)
- レンフルー州における第14代ペイズリー卿 (14th Lord Paisley, in the County of Renfrew)
- リンリスゴー州における第14代アバコーン卿 (14th Lord Abercorn, in the County of Linlithgow)
- 第14代ペイズリー、ハミルトン、マウントカシェルおよびカークパトリック卿 (14th Lord of Paisley, Hamilton, Mountcastell and Kilpatrick)
- (1606年7月10日創設スコットランド貴族爵位)
- ティロン州における第15代ハミルトン卿、ストラバン男爵 (15th Lord Hamilton, Baron of Strabane in the County of Tyrone)
- ティロン州における第9代マウントキャッスル男爵 (9th Baron Mountcastle, in the County of Tyrone)
- (1701年9月2日創設アイルランド貴族爵位)
- (ダナロングの)第15代準男爵 (15th Baronet, "of Dunalong")
- (1660年頃創設アイルランド準男爵位)
勲章
家族
1966年10月20日にウェストミンスター寺院でアレグザンドラ・アナスタシア・“サーシャ”・フィリップスと結婚した[1]。彼女の妹ナタリアは第6代ウェストミンスター公爵ジェラルド・グローヴナーの夫人となっている。
- ハミルトン侯爵ジェイムズ・ハロルド・チャールズ・ハミルトン (1969年 - )
- レディ・ソフィア・アレグザンドラ・ハミルトン (1973年 - ) - ジャーナリストのアンソニー・ロイドと結婚、後に離婚
- ニコラス・エドワード・ハミルトン卿 (1979年 - )
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g Lundy, Darryl. “James Hamilton, 5th Duke of Abercorn” (英語). thepeerage.com. 2012年2月12日閲覧。
- ^ a b c d Cracroft-Brennan, Patrick. “James [Hamilton], 5th Duke of Abercorn, KG” (英語). Cracroft's Peerage. 2012年2月12日閲覧。
- ^ UK Parliament. “Mr James Hamilton” (英語). HANSARD 1803–2005. 2014年10月16日閲覧。
- ^ 田中(2009) p.229/241
- ^ "No. 2596". The Belfast Gazette (英語). 9 January 1970. 2012年2月12日閲覧。
- ^ "Lieutenants and Lords-Lieutenants (Ireland) 1831-" (英語). Institute of Historical Research (University of London). 2018年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月12日閲覧。
- ^ a b "No. 55466". The London Gazette (英語). 23 April 1999. 2012年2月12日閲覧。
- ^ "No. 56020". The London Gazette (Supplement) (英語). 7 November 2000. 2012年2月12日閲覧。
- ^ a b "No. 60301". The London Gazette (英語). 17 October 2012.
- ^ Heraldic Media Limited. “Abercorn, Duke of (I, 1868)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年11月2日閲覧。
参考文献
- 田中嘉彦『英国ブレア政権下の貴族院改革 第二院の構成と機能』(PDF)一橋大学、2009年 。
外部リンク
- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Mr James Hamilton
- Duke of Abercorn - IMDb
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ガーター騎士団騎士団長 2012年 - 現在 |
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