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ジェイムズ・ハミルトン<small>(?-1644)</small>は[[スコットランド]]出身の封建領主であったが、17世紀に入ると[[アイルランド島]][[アルスター]]地方に入植して以降、定住した。<ref name=":1">{{Cite web|url=https://www.oxforddnb.com/view/10.1093/ref:odnb/9780198614128.001.0001/odnb-9780198614128-e-12086|title="Hamilton, James, first Viscount Claneboye (c.1560–1644)"|accessdate=2019年11月17日|publisher=Hunter, R. J. (2004). Oxford Dictionary of National Biography. Oxford University Press.}}</ref> |
ジェイムズ・ハミルトン<small>(?-1644)</small>は[[スコットランド]]出身の封建領主であったが、17世紀に入ると[[アイルランド島]][[アルスター]]地方に入植して以降、定住した。<ref name=":1">{{Cite web|url=https://www.oxforddnb.com/view/10.1093/ref:odnb/9780198614128.001.0001/odnb-9780198614128-e-12086|title="Hamilton, James, first Viscount Claneboye (c.1560–1644)"|accessdate=2019年11月17日|publisher=Hunter, R. J. (2004). Oxford Dictionary of National Biography. Oxford University Press.}}</ref> |
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彼は1613年に[[ダウン |
彼は1613年に[[ダウン県]]選出の[[アイルランド議会 (1297-1800)|アイルランド庶民院]]議員を務めたのち、[[1622年]][[5月4日]]に[[アイルランド貴族]]として'''ダウン州におけるクランボイ子爵'''(Viscount Claneboye, in the County of Down)に叙された。<ref name=":1" /> |
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その息子である2代子爵ジェイムズ<small>(1618-1659)</small>は[[1647年]][[6月7日]]に'''アーマー州におけるクランブラシル伯爵'''(Earl of Clanbrassil, in the County of Armagh)に昇叙したが<ref>James Seaton Reid, The history of the Presbyterian church in Ireland, Volume 2 (Waugh and Innes, 1837), 186.</ref><ref>{{Cite web|url=https://archive.org/details/peerageofireland03lodg/page/4|title=The peerage of Ireland : or, A genealogical history of the present nobility of that kingdom|accessdate=2019年11月17日|publisher=Lodge, John, Archdall, Mervyn, (1789),p=4}}</ref>、長男に先立たれていたため爵位は次男ヘンリーが相続した。<ref name=":0">{{Cite web|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/clanbrassill1647.htm|title=Clanbrassill, Earl of (I, 1647 - 1675)|accessdate=2019年11月17日|publisher=Cracroft's Peerage}}</ref> |
その息子である2代子爵ジェイムズ<small>(1618-1659)</small>は[[1647年]][[6月7日]]に'''アーマー州におけるクランブラシル伯爵'''(Earl of Clanbrassil, in the County of Armagh)に昇叙したが<ref>James Seaton Reid, The history of the Presbyterian church in Ireland, Volume 2 (Waugh and Innes, 1837), 186.</ref><ref>{{Cite web|url=https://archive.org/details/peerageofireland03lodg/page/4|title=The peerage of Ireland : or, A genealogical history of the present nobility of that kingdom|accessdate=2019年11月17日|publisher=Lodge, John, Archdall, Mervyn, (1789),p=4}}</ref>、長男に先立たれていたため爵位は次男ヘンリーが相続した。<ref name=":0">{{Cite web|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/clanbrassill1647.htm|title=Clanbrassill, Earl of (I, 1647 - 1675)|accessdate=2019年11月17日|publisher=Cracroft's Peerage}}</ref> |
2020年8月31日 (月) 00:11時点における版
クランブラシル伯爵(英:Earl of Clanbrassil)はかつて存在したイギリスの伯爵位。有史以来2度創設され、いずれもアイルランド貴族爵位としてハミルトン家に対する叙爵であった。
歴史
第1期
ジェイムズ・ハミルトン(?-1644)はスコットランド出身の封建領主であったが、17世紀に入るとアイルランド島アルスター地方に入植して以降、定住した。[1]
彼は1613年にダウン県選出のアイルランド庶民院議員を務めたのち、1622年5月4日にアイルランド貴族としてダウン州におけるクランボイ子爵(Viscount Claneboye, in the County of Down)に叙された。[1]
その息子である2代子爵ジェイムズ(1618-1659)は1647年6月7日にアーマー州におけるクランブラシル伯爵(Earl of Clanbrassil, in the County of Armagh)に昇叙したが[2][3]、長男に先立たれていたため爵位は次男ヘンリーが相続した。[4]
しかし2代伯ヘンリー(1641-1675)には男子がなかったため、彼の死を以てすべての爵位は廃絶した。[4][5]なお、2代伯の遺領は彼の義兄にあたる第3代ドロヘダ伯爵ヘンリー・ムーアが相続した。[註釈 1][5]
第2期
ダンドーク選挙区選出のアイルランド庶民院議員を務めたジェームズ・ハミルトン(1691-1758)は1719年5月3日にリメリック市子爵(Viscount of the City of Limerick)[註釈 2]及びダウン州におけるクランボイ男爵(Baron Claneboye, in the County of Down)に叙された。[6]。
彼はさらに、その最晩年にあたる1756年11月24日にアーマー州におけるクランブラシル伯爵(Earl of Clanbrassil, in the County of Armagh)に陛爵した。[6]なお、上記3爵位はいずれもアイルランド貴族としての叙爵である。
その後は長男である2代伯ジェイムズ(1730-1798)がその後を襲ったが、彼も嗣子無きにつき、すべての爵位は廃絶となった。[7]
一覧
クランボイ子爵(1622)
- 初代クランボイ子爵ジェイムズ・ハミルトン (?-1644)
- 第2代クランボイ子爵ジェイムズ・ハミルトン(1618-1659) (1647年にクランブラシル伯爵位創設)
クランブラシル伯爵(第1期;1647)
- 初代クランブラシル伯爵ジェイムズ・ハミルトン (1618-1659)
- クランボイ子爵ジェイムズ・ハミルトン(1642-1658)
- 第2代クランブラシル伯爵ヘンリー・ハミルトン (1647–1675)
クランブラシル伯爵(第2期;1756)
- 初代クランブラシル伯爵ジェイムズ・ハミルトン (1691頃-1758)
- 第2代クランブラシル伯爵ジェイムズ・ハミルトン (1730–1798)
脚注
註釈
出典
- ^ a b “"Hamilton, James, first Viscount Claneboye (c.1560–1644)"”. Hunter, R. J. (2004). Oxford Dictionary of National Biography. Oxford University Press.. 2019年11月17日閲覧。
- ^ James Seaton Reid, The history of the Presbyterian church in Ireland, Volume 2 (Waugh and Innes, 1837), 186.
- ^ “The peerage of Ireland : or, A genealogical history of the present nobility of that kingdom”. Lodge, John, Archdall, Mervyn, (1789),p=4. 2019年11月17日閲覧。
- ^ a b “Clanbrassill, Earl of (I, 1647 - 1675)”. Cracroft's Peerage. 2019年11月17日閲覧。
- ^ a b “The peerage of Ireland : or, A genealogical history of the present nobility of that kingdom”. Lodge, John,Archdall, Mervyn, (1789),p=6. 2019年11月17日閲覧。
- ^ a b Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 212.
- ^ The Peerage of England, Scotland, and Ireland: The peerage of Ireland (W. Owen [and 2 others], 1790), 89-90.
関連項目
- ダファリン=クランボイ男爵―初代子爵の兄弟の娘の子孫。
- ドロヘダ伯爵―2代伯ヘンリーの遺領を3代ドロヘダ伯爵が相続。
- ローデン伯爵―クランブラシル伯爵家と親族だったため、3代伯がクランブラシル男爵に叙されるも1897年に廃絶。