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しかし同[[1950年]]、レース中に先行するマシン同士の衝突に巻き込まれポストに激突、そのキャリアを終えることとなる。当該のクラッシュは[[ベルギー]]の[[スパ・フランコルシャン]]で行われた[[ベルギーグランプリ]]500ccレースで、先頭に立つ[[カルロ・バンディローラ]]を[[レスリー・グラハム]]やアーティらが追走する形の場面で発生した。この3人らの先頭集団がラ・ソース・ヘアピンに差し掛かった際、バンディローラのブレーキングがやや早めだったためか、グラハムの[[AJS (オートバイ)|AJS]] "Porcupine" がバンディローラの[[ジレラ]]後輪に追突、マシンが乗り上げた。グラハムは投げ出されたが、走行中のアーティが残されたマシンに突っ込み、転倒して絡まり合ったままラ・ソース・ヘアピンのポストに高速で激突した<ref> G.S.Davison著 『TT Special』、1954年</ref></small>。重傷を負ったアーティは一命こそ取り留めたが、よもやレースへの復帰は叶わず退いた。この年、彼は500cc年間7位、350cc年間4位にランクインした<ref>[http://www.motogp.com/en/riders/Artie+Bell Artie Bell - The Official MotoGP Website]</ref>。 |
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[[1972年]][[8月7日]]、[[アイルランド島]]北東部の[[アルスター]]地方[[ダウン |
[[1972年]][[8月7日]]、[[アイルランド島]]北東部の[[アルスター]]地方[[ダウン県]]の自宅で世を去った。没後20年を経た[[1996年]]には、[[アイルランド]]郵便局発行の偉大なアイルランド人ライダーを集めた[[特殊切手|切手]]シリーズになっている。 |
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== 戦歴 == |
== 戦歴 == |
2020年8月31日 (月) 00:07時点における版
アーティ・ベル | |
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グランプリでの経歴 | |
国籍 | アイルランド |
活動期間 | 1949 - 1950 |
チーム | ノートン |
レース数 | 9 |
優勝回数 | 1 |
表彰台回数 | 5 |
通算獲得ポイント | 47 |
ファステストラップ回数 | 1 |
初グランプリ | 1949 350cc マン島TT |
初勝利 | 1950 350cc マン島TT |
最終勝利 | 1950 350cc マン島TT |
最終グランプリ | 1950 350cc ベルギーGP |
アーサー・“アーティ”・ジェームス・ベル(Arthur 'Artie' James Bell、1915年‐1972年8月7日)は、イギリス・北アイルランド出身のオートバイレーサー。レースキャリアは短かったものの、第二次世界大戦後の1947年に出場したマン島TTレースでは全7周回中3ラップまでリードする活躍を見せたことで知られる[1]。
生涯
北アイルランドの首府、ベルファストの出身。父親はアーティがオートバイレースを始めることに反対しており、アーティのオートバイ(サンビーム社製の「モデル9」)を取り上げるほどだったが、これを押し切って10代から友人から借りたオートバイでレースを始めた。地方の小レースで腕を磨き、1938年にはノースウエスト200・北アイルランド戦で2位となり次第に頭角を現していく。
第二次世界大戦後は1939年製ノートンに乗り試合に出場、1946年のクックスタウン 100では時速76.6マイルのファーステストラップを記録した。また1947年のアルスターグランプリでは平均時速146km/h (91.25mph)・ファーステストラップ時の速度151.17km/h (94.79mph) で走破、2時間43分1秒のタイムで優勝した[2]。
1947年、アーティはノートンでマン島セニアTTに出場し、7周回中3ラップをリードする活躍を見せた。結果は2位に終わったものの中古の500ccマシンを駆るパフォーマンスで多くの関係者に知られることとなった[1]。同年のマン島TTレース後、翌シーズンを見据えたチーム・ノートンからワークス・ライダーとして迎えられる。1948年に出場したジュニアTTレースでは走破を果たせなかったものの、翌1949年のジュニアTTレースでは3位、さらにセニアTTでは優勝を果たした。
1949年、ロードレース世界選手権が初開催され、アーティもチーム・ノートンからエントリーした。マン島セニアTTレースを兼ねる第1戦での4位入賞を皮切りに、年間ランキング5位にも輝いた。1950年、ノートンは350ccジュニアレースと500ccセニアレースに合わせて傑作フレーム "Norton Featherbed"(「ノートンの羽毛ベッド」の意)を投入、これを得たアーティは開幕戦マン島TTで優勝を遂げ、また500ccでも2位に入る活躍を見せる[3]。さらに同年のオランダグランプリ、スイスグランプリでも好成績を残し、この年のロードレース世界選手権で500cc部門7位、350cc部門4位に入賞を果たした[4]。さらにこの年は自身3度目となるノースウエスト200への参戦を達成した。
しかし同1950年、レース中に先行するマシン同士の衝突に巻き込まれポストに激突、そのキャリアを終えることとなる。当該のクラッシュはベルギーのスパ・フランコルシャンで行われたベルギーグランプリ500ccレースで、先頭に立つカルロ・バンディローラをレスリー・グラハムやアーティらが追走する形の場面で発生した。この3人らの先頭集団がラ・ソース・ヘアピンに差し掛かった際、バンディローラのブレーキングがやや早めだったためか、グラハムのAJS "Porcupine" がバンディローラのジレラ後輪に追突、マシンが乗り上げた。グラハムは投げ出されたが、走行中のアーティが残されたマシンに突っ込み、転倒して絡まり合ったままラ・ソース・ヘアピンのポストに高速で激突した[5]。重傷を負ったアーティは一命こそ取り留めたが、よもやレースへの復帰は叶わず退いた。この年、彼は500cc年間7位、350cc年間4位にランクインした[6]。
1972年8月7日、アイルランド島北東部のアルスター地方ダウン県の自宅で世を去った。没後20年を経た1996年には、アイルランド郵便局発行の偉大なアイルランド人ライダーを集めた切手シリーズになっている。
戦歴
ロードレース世界選手権
1949年のポイントシステム
順位 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ファステストラップ |
---|---|---|---|---|---|---|
ポイント | 10 | 8 | 7 | 6 | 5 | 1 |
順位 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |
---|---|---|---|---|---|---|
ポイント | 8 | 6 | 4 | 3 | 2 | 1 |
- 凡例
- ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
年 | クラス | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | ポイント | 順位 | 勝利数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1949 | 350cc | ノートン | IOM 3 |
SUI 6 |
NED - |
BEL - |
ULS - |
7 | 10位 | 0 | |
500cc | ノートン | IOM - |
SUI 4 |
NED 4 |
BEL 4 |
ULS 2 |
ITA - |
20 | 5位 | 0 | |
1950 | 350cc | ノートン | IOM 1 |
BEL 2 |
NED - |
SUI - |
ULS - |
ITA - |
14 | 4位 | 1 |
500cc | ノートン | IOM 2 |
BEL - |
NED - |
SUI - |
ULS - |
ITA - |
6 | 7位 | 0 |
脚注
- ^ a b “Artie Bell”. ozebook.com. 2006年8月26日閲覧。
- ^ “1947 Ulster Grand Prix report” (英語). irishroadracing.co.uk. 2006年8月26日閲覧。
- ^ “Artie Bell TT record” (英語). iomtt.com. 2006年8月26日閲覧。
- ^ “motogp.com · Artie Bell”. MotoGP.com. 2009年5月16日閲覧。
- ^ G.S.Davison著 『TT Special』、1954年
- ^ Artie Bell - The Official MotoGP Website