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'''デイヴィッド・ジョナサン・ヒーリー'''('''David Jonathan Healy''', [[1979年]][[8月5日]] - )は、[[北アイルランド]]・[[ダウン県]][[キリーレイ]]出身の元[[サッカー北アイルランド代表|同国代表]][[サッカー選手]]、現サッカー指導者。現役時代のポジションは[[フォワード (サッカー)|フォワード]]。 |
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== 経歴 == |
== 経歴 == |
2020年8月31日 (月) 00:07時点における版
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フラム時代(2007年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
デイヴィッド・ジョナサン・ヘーリー David Jonathan Healy | |||||
ラテン文字 | David HEALY | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 北アイルランド | |||||
生年月日 | 1979年8月5日(45歳) | |||||
出身地 | キリーレイ | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 68kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (CF) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1995-1999 | マンチェスター・U | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1999-2001 | マンチェスター・U | 1 | (0) | |||
2000 | → ポート・ヴェイル (Loan) | 16 | (3) | |||
2000-2001 | → プレストン (Loan) | 2 | (1) | |||
2001-2004 | プレストン | 137 | (44) | |||
2003 | → ノリッジ (Loan) | 5 | (1) | |||
2003 | → ノリッジ (Loan) | 8 | (1) | |||
2004-2007 | リーズ | 111 | (29) | |||
2007-2008 | フラム | 30 | (4) | |||
2008-2011 | サンダーランド | 13 | (1) | |||
2010 | → イプスウィッチ (Loan) | 12 | (1) | |||
2010-2011 | → ドンカスター (Loan) | 8 | (2) | |||
2011-2012 | レンジャーズ | 19 | (4) | |||
2012-2013 | ベリー | 16 | (1) | |||
1999-2013 | 通算 | 378 | (92) | |||
代表歴2 | ||||||
1993-1994 | 北アイルランド U-15 | 10 | (6) | |||
1994-1995 | 北アイルランド U-16 | 2 | (1) | |||
1995-1997 | 北アイルランド U-18 | 5 | (2) | |||
1998-1999 | 北アイルランド U-21 | 8 | (4) | |||
1999 | 北アイルランド B | 1 | (0) | |||
2000-2013 | 北アイルランド[1] | 95 | (36) | |||
監督歴 | ||||||
2015- | リンフィールド | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2017年9月7日現在。 2. 2017年9月7日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
デイヴィッド・ジョナサン・ヒーリー(David Jonathan Healy, 1979年8月5日 - )は、北アイルランド・ダウン県キリーレイ出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。
経歴
クラブ
1999年8月、19歳でマンチェスター・ユナイテッドFCと契約。しかしユナイテッドでの出場は1試合しかなく、2000年2月にポート・ヴェイルFCにレンタル移籍。その後に完全移籍したプレストン・ノースエンドFCで結果を残し、2004年にリーズ・ユナイテッドAFCに移籍。当時、膨大な負債に苦しんでいたリーズでは本来のポジションで起用されない事も多かったが、わずか2年で昇格好機・そして降格危機を味わった古豪のクラブで、ヒーリーは苦しみながらも戦い抜いた。破産により勝ち点が剥奪されたことによってリーズが降格すると、シーズン終了後に当時ローリー・サンチェズが監督を務めていたフラムFCに移籍。だがフラムでは自己の能力を全て発揮できたとは言い難く、以降はクラブを転々とした。現役として最後の所属クラブとなったベリーFCを離れて以降はフリーの立場となる。それでも北アイルランド代表の招集候補であったが、2013年12月に現役引退を表明した。引退後は解説者としても活躍している。
2015年10月14日、ウォーレン・フィーニーの後任としてNIFLプレミアシップに所属するリンフィールドFCの指揮官に就任した[2]。
代表
北アイルランド代表史上、ナンバー1の得点数を誇るストライカーである。
2005年9月7日、ウィンザー・パークでのW杯予選・イングランド戦に出場。スティーヴン・デイヴィスからのロブパスをハーフボレーで決めて、チームを同カード1972年5月23日以来Aマッチ19試合ぶりの勝利へと導いた。
2006年9月6日のEURO2008予選では、後にEURO2008を制することになるスペイン相手に北アイルランド代表史上15年ぶりとなるハットトリックを達成しチームを勝利に導いた。また2007年のEURO2008予選のリヒテンシュタイン戦にてハットトリック、続くスウェーデン戦でもドロップの効いたボレーシュートで同点、右からのデイヴィスのクロスを難しい体勢であわせて逆転と2点を決めた。結果、同予選史上最多となる13ゴールを決め予選得点王に輝いた。しかし、北アイルランド代表の予選突破は果たせなかった。
エピソード
結婚して2児の父親でもある。 3年間所属したリーズではカルト・ヒーローと呼ばれ、高い人気を得ている。
タイトル
クラブ
- レンジャーズ
- スコティッシュ・プレミアリーグ : 2010-11
- スコティッシュ・リーグカップ : 2011
個人
- プレストン年間最優秀選手 : 2013-14
指導者
- NIFLプレミアシップ : 2016-17
- アイリッシュ・カップ :2017
- カウンティ・アントリム・シールド: 2017
脚注
- ^ “David Healy - Goals in International Matches” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ “David Healy appointed as new Linfield manager”. BBC Sport (2015年10月14日). 2017年9月7日閲覧。
外部リンク
- David Healy - player profile Transfermarkt
- David Healy - manager profile Transfermarkt