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'''サー・ハミルトン・ハーティ'''(Sir Hamilton Harty, [[1879年]][[12月4日]] - [[1941年]][[2月19日]])は、19世紀末から20世紀前半に活動した[[作曲家]]・[[指揮者]]。[[アイルランド島]]北部[[アルスター]]地方の[[ダウン]](当時から今日までイギリス領)ヒルズボローに生まれる。
'''サー・ハミルトン・ハーティ'''(Sir Hamilton Harty, [[1879年]][[12月4日]] - [[1941年]][[2月19日]])は、19世紀末から20世紀前半に活動した[[作曲家]]・[[指揮者]]。[[アイルランド島]]北部[[アルスター]]地方の[[ダウン]](当時から今日までイギリス領)ヒルズボローに生まれる。


== 略歴 ==
== 略歴 ==

2020年8月31日 (月) 00:06時点における版

サー・ハミルトン・ハーティ(Sir Hamilton Harty, 1879年12月4日 - 1941年2月19日)は、19世紀末から20世紀前半に活動した作曲家指揮者アイルランド島北部アルスター地方のダウン県(当時から今日までイギリス領)ヒルズボローに生まれる。

略歴

ピアノ伴奏者として音楽活動をスタートしたハーティは、1920年にハレ管弦楽団の指揮者に抜擢され、1933年まで同楽団の指揮者として活躍した。ハレ管弦楽団で大成功をおさめた彼は、その後オスロ他いくつかのヨーロッパのオーケストラを手がけるようになる。1935年にナイトに叙せられた。

イギリスの作曲家ウォルトン交響曲第1番の初演(1934年に第3楽章まで、1935年に全曲)や、アーノルド・バックス交響曲第6番の初演(1935年)を務めたことも知られる。その他、マーラー交響曲第9番のイギリス初演(1930年)、ショスタコーヴィチ交響曲第1番のイギリス初演(1932年)を行う。

作曲家としてはアイルランド人の作曲家フィールドのピアノ曲を管弦楽に編曲した「ジョン・フィールド組曲」を始め、ヘンデルの『水上の音楽』『王宮の花火の音楽』の編曲などの近代的なオーケストレーションを駆使した編曲や、アイルランド民俗音楽の伝統を反映させた「アイルランド交響曲」などで有名である。「アイルランド交響曲」はハーティの作品中もっとも知名度が高く、ハーティならではの民謡風で郷愁を帯びた作風である。他には「ピアノ協奏曲」「ヴァイオリン協奏曲」「ワイルドギースとともに」「アイルランドにて」といった作品が知られている。

指揮者としての録音は、ヨーゼフ・シゲティの独奏によるブラームスヴァイオリン協奏曲などがある。

参考文献