「ジェイムズ・ハミルトン (第3代アバコーン公爵)」の版間の差分
m bot: 解消済み仮リンクロイヤル・ヴィクトリア頸飾を内部リンクに置き換えます |
m Bot作業依頼: アイルランド島における32県の改名に伴うリンク修正依頼 (ドニゴール県) - log |
||
28行目: | 28行目: | ||
[[イートン・カレッジ]]で教育を受けた後<ref name="Cokayne" />、大尉として第1[[ライフガーズ]]連隊で軍務に就き、次いで少佐として{{interlang|en|North Irish Horse}}{{訳語疑問点|date=2012-1}}に参加<ref name="thepeerage" /><ref name="Whitaker">[[File:PD-icon.svg|12px| ]] {{Citation | last= | first= | author-link= | year= 1923 | title=ABERCORN, Duke of. | periodical= Whitaker's Peerage, Baronetage, Knightage, and Companionage | place = [[ロンドン|London]] | publisher = [[:en:Joseph Whitaker (publisher)|J. Whitaker]] & sons | page= 109 | url= http://www.archive.org/stream/whitakerspeerage1923lond#page/108/mode/2up | accessdate= 2012-1-28 | language= 英語 }}</ref><ref name="Paul" />。 |
[[イートン・カレッジ]]で教育を受けた後<ref name="Cokayne" />、大尉として第1[[ライフガーズ]]連隊で軍務に就き、次いで少佐として{{interlang|en|North Irish Horse}}{{訳語疑問点|date=2012-1}}に参加<ref name="thepeerage" /><ref name="Whitaker">[[File:PD-icon.svg|12px| ]] {{Citation | last= | first= | author-link= | year= 1923 | title=ABERCORN, Duke of. | periodical= Whitaker's Peerage, Baronetage, Knightage, and Companionage | place = [[ロンドン|London]] | publisher = [[:en:Joseph Whitaker (publisher)|J. Whitaker]] & sons | page= 109 | url= http://www.archive.org/stream/whitakerspeerage1923lond#page/108/mode/2up | accessdate= 2012-1-28 | language= 英語 }}</ref><ref name="Paul" />。 |
||
[[1900年]]から[[1913年]]まで[[ロンドンデリー]]選挙区選出の[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]議員<ref name="thepeerage" />。[[1901年]]には父ジェイムズのエドワード8世即位を伝える[[ヨーロッパ]]歴訪に同行した<ref name="Paul" />。所属していた{{interlang|en|Irish Unionist Alliance}}{{訳語疑問点|date=2012-1}}は[[保守党 (イギリス)|保守党]]を中心とする連立政権に参加しており、[[1903年]]から[[1910年]]まで{{仮リンク|院内幹事|en|Whip (politics)}}を務め<ref name="thepeerage" />、[[1905年]]に下野するまで与党の院内幹事が任命される[[王室会計局長官]]({{interlang|en|Treasurer of the Household}}){{訳語疑問点|date=2012-1}}でもあった<ref name="thepeerage" /><ref name="Cokayne" />。また[[ドニゴール |
[[1900年]]から[[1913年]]まで[[ロンドンデリー]]選挙区選出の[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]議員<ref name="thepeerage" />。[[1901年]]には父ジェイムズのエドワード8世即位を伝える[[ヨーロッパ]]歴訪に同行した<ref name="Paul" />。所属していた{{interlang|en|Irish Unionist Alliance}}{{訳語疑問点|date=2012-1}}は[[保守党 (イギリス)|保守党]]を中心とする連立政権に参加しており、[[1903年]]から[[1910年]]まで{{仮リンク|院内幹事|en|Whip (politics)}}を務め<ref name="thepeerage" />、[[1905年]]に下野するまで与党の院内幹事が任命される[[王室会計局長官]]({{interlang|en|Treasurer of the Household}}){{訳語疑問点|date=2012-1}}でもあった<ref name="thepeerage" /><ref name="Cokayne" />。また[[ドニゴール県]]副知事({{lang|en|[[:en:Deputy Lieutenant|Deputy Lieutenant]] (D.L.) of Donegal}}){{訳語疑問点|date=2012-1}}や[[ティロン州統監]]({{interlang|en|Lord Lieutenant of Tyrone}}){{訳語疑問点|date=2012-1}}に任じられていた<ref name="thepeerage" /><ref name="Whitaker" />。 |
||
[[1913年]]に父親の死去により[[アバコーン公爵]]([[アイルランド貴族]])・アバコーン侯爵([[グレートブリテン貴族]])・アバコーン伯爵([[スコットランド貴族]])などの爵位を相続、「第4代アバコーン侯爵」として[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]議員となる<ref name="Whitaker" /><ref group="註">アイルランド貴族やスコットランド貴族は[[貴族代表議員]]に選出されないと貴族院に出席できないが、グレートブリテン貴族は全員が貴族院に出席できるため。</ref>。[[1921年]]から翌年まで、[[北アイルランド議会]]の{{仮リンク|北アイルランド元老院|en|Senate of Northern Ireland|label=元老院}}議員<ref>{{Cite web |last= Whyte |first = Nicholas |url = http://www.ark.ac.uk/elections/hnisen.htm |title = The Northern Ireland Senate, 1921-72 |work = Northern Ireland Elections |language = 英語 |accessdate = 2012-1-28 }}</ref>。 |
[[1913年]]に父親の死去により[[アバコーン公爵]]([[アイルランド貴族]])・アバコーン侯爵([[グレートブリテン貴族]])・アバコーン伯爵([[スコットランド貴族]])などの爵位を相続、「第4代アバコーン侯爵」として[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]議員となる<ref name="Whitaker" /><ref group="註">アイルランド貴族やスコットランド貴族は[[貴族代表議員]]に選出されないと貴族院に出席できないが、グレートブリテン貴族は全員が貴族院に出席できるため。</ref>。[[1921年]]から翌年まで、[[北アイルランド議会]]の{{仮リンク|北アイルランド元老院|en|Senate of Northern Ireland|label=元老院}}議員<ref>{{Cite web |last= Whyte |first = Nicholas |url = http://www.ark.ac.uk/elections/hnisen.htm |title = The Northern Ireland Senate, 1921-72 |work = Northern Ireland Elections |language = 英語 |accessdate = 2012-1-28 }}</ref>。 |
2020年8月30日 (日) 23:46時点における版
第3代アバコーン公爵 ジェイムズ・ハミルトン James Hamilton, 3rd Duke of Abercorn | |
---|---|
1899年、『ヴァニティ・フェア』誌に描かれたハミルトン侯(後の3代アバコーン公) | |
生年月日 | 1869年11月30日 |
出生地 | イギリス、ロンドン、ピカデリー |
没年月日 | 1953年9月12日 (満83歳没) |
死没地 | イギリス、ロンドン |
所属政党 | 統一党 |
称号 |
ガーター勲章勲爵士 (KG) 聖パトリック勲章勲爵士 (KP) 枢密顧問官 (PC) |
在任期間 | 1922年 - 1945年7月 |
国王 |
ジョージ5世 エドワード8世 ジョージ6世 |
第3代アバコーン公爵ジェイムズ・アルバート・エドワード・ハミルトン(英: James Albert Edward Hamilton, 3rd Duke of Abercorn、1869年11月30日 - 1953年9月12日)は、イギリスの貴族、政治家。ガーター勲章勲爵士、聖パトリック勲章勲爵士、イギリスの枢密顧問官、北アイルランドの枢密顧問官。1922年から1945年まで初代北アイルランド知事(Governor of Northern Ireland; 総督)[訳語疑問点]を務めた。
経歴
ロンドン・ピカデリーのハミルトン・プレイスで、ハミルトン侯爵ジェイムズ・ハミルトン(後の第2代アバコーン公爵)と初代ハウ伯爵リチャード・カーゾン=ハウの娘メアリ・アンナの間に長男として生まれる[1][2][3]。名付け親の中に、ウェールズ公アルバート・エドワード(後のイギリス王エドワード7世)がいる[1][2][3]。出生時は祖父ジェイムズが公爵であり、次々代の継承者として「ハミルトン子爵」の、1885年に父が襲爵してからは「ハミルトン侯爵」の儀礼称号を称した[1]。
イートン・カレッジで教育を受けた後[2]、大尉として第1ライフガーズ連隊で軍務に就き、次いで少佐としてNorth Irish Horse[訳語疑問点]に参加[1][4][3]。
1900年から1913年までロンドンデリー選挙区選出の庶民院議員[1]。1901年には父ジェイムズのエドワード8世即位を伝えるヨーロッパ歴訪に同行した[3]。所属していたIrish Unionist Alliance[訳語疑問点]は保守党を中心とする連立政権に参加しており、1903年から1910年まで院内幹事を務め[1]、1905年に下野するまで与党の院内幹事が任命される王室会計局長官(Treasurer of the Household)[訳語疑問点]でもあった[1][2]。またドニゴール県副知事(Deputy Lieutenant (D.L.) of Donegal)[訳語疑問点]やティロン州統監(Lord Lieutenant of Tyrone)[訳語疑問点]に任じられていた[1][4]。
1913年に父親の死去によりアバコーン公爵(アイルランド貴族)・アバコーン侯爵(グレートブリテン貴族)・アバコーン伯爵(スコットランド貴族)などの爵位を相続、「第4代アバコーン侯爵」として貴族院議員となる[4][註 1]。1921年から翌年まで、北アイルランド議会の元老院議員[5]。
1922年、聖パトリック勲章を授けられる[1]。同年新設された北アイルランド知事に任じられ[6]、以後20年以上にわたって北アイルランドにおけるイギリス王の名代を務めた。
1928年にガーター勲章を[7]、1945年にロイヤル・ヴィクトリア頸飾を授けられ[8]、また1945年にイギリスの枢密顧問官に列せられた[9][1]。1928年にはクイーンズ大学ベルファストから名誉法学博士号を授与された[1]。
家族
第4代ルーカン伯爵チャールズ・ビンガムの娘であるレディ・ロザリン・ビンガムとロンドン・ナイツブリッジのセント・ポール教会で結婚した[1][2]。二人の間には2男3女が生まれた。
- レディ・メアリ・セシリア・ローデシア・ハミルトン (1896年 - 1984年) - ロバート・オーランド・ルドルフ・ケニヨン=スレイニー夫人、次いでサー・ジョン・ギルモア準男爵夫人
- レディ・シンシア・エリノア・ビアトリクス・ハミルトン (1897年 - 1972年) - 第7代スペンサー伯爵アルバート・スペンサー夫人
- レディ・キャサリン・ハミルトン (1900年 - 1985年)
- 第4代ハミルトン公爵ジェイムズ・エドワード・ハミルトン (1904年 - 1979年) - 1953年襲爵
- クロード・デイヴィッド・ハミルトン卿 (1907年 - 1968年)
註釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l Lundy, Darryl. “James Albert Edward Hamilton, 3rd Duke of Abercorn” (英語). thepeerage.com. 2012年1月28日閲覧。
- ^ a b c d e Cokayne, George Edward [in 英語], ed. (1910). "ABERCORN". The Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain, and the United Kingdom Extant, Extinct, or Dormant (英語). Vol. 1 (1 ed.). London: The St. Catherine Press, ltd. p. 10. 2012年1月28日閲覧。
- ^ a b c d Paul, James Balfour, Sir [in 英語], ed. (1904). "HAMILTON, EARL OF ABERCORN". The Scots peerage (英語). Vol. 1. Edinburgh: David Douglas. pp. 72–73. 2012年1月28日閲覧。
- ^ a b c “ABERCORN, Duke of.” (英語), Whitaker's Peerage, Baronetage, Knightage, and Companionage (London: J. Whitaker & sons): p. 109, (1923) 2012年1月28日閲覧。
- ^ Whyte, Nicholas. “The Northern Ireland Senate, 1921-72” (英語). Northern Ireland Elections. 2012年1月28日閲覧。
- ^ "No. 32776". The London Gazette (英語). 12 December 1922. 2012年1月28日閲覧。
- ^ "No. 33376". The London Gazette (英語). 17 April 1928. 2012年1月28日閲覧。
- ^ "No. 37216". The London Gazette (英語). 10 August 1945. 2012年1月28日閲覧。
- ^ Rayment, Leigh. “PRIVY COUNSELLORS 1915 - 1968” (英語). Leigh Rayment's Peerage Page. 2012年1月28日閲覧。
外部リンク
- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Marquess of Hamilton
- James Albert Edward Hamilton, 3rd Duke of Abercorn - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
|
|
|
|