「フェル・ディアド」の版間の差分
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アルスターの戦士の中でただ一人この呪いの影響を受けないクー・フーリンは<ref group="†">女性と子供は影響を受けず、少年たちによる戦士団が結成される ()。またクー・フーリンの父親スアルタウもこの呪いの影響を受けなかったが、年老いており戦力として数えられなかった。父子が呪いの影響を受けなかった理由は、スアルタウがアルスターの人間ではなかったためであるとする説がある{{harv|Hull|1911|page=353-354}}。</ref>同胞の呪いが解けるまでの間、略奪を繰り返すアイルランド連合軍に一人きりで対抗する必要があった。彼は罠を仕掛け、投石器で狙撃を行い、野営地に夜襲を敢行し、連合軍から1日あたり百人もの戦死者を出した。彼が殺したのは基本的には殺す価値があると認めた戦士たちであったが、逆に「殺す価値がある」と判断すれば戦闘員でなくとも容赦なく殺した。誤射で侍女が殺されることもあった。殺戮の手はメイヴらが遠征に連れていたペットにも及び、その中でも特にオコジョはメイヴの肩に乗って彼女に甘えている最中に投石器の狙撃を受けた。 |
アルスターの戦士の中でただ一人この呪いの影響を受けないクー・フーリンは<ref group="†">女性と子供は影響を受けず、少年たちによる戦士団が結成される ()。またクー・フーリンの父親スアルタウもこの呪いの影響を受けなかったが、年老いており戦力として数えられなかった。父子が呪いの影響を受けなかった理由は、スアルタウがアルスターの人間ではなかったためであるとする説がある{{harv|Hull|1911|page=353-354}}。</ref>同胞の呪いが解けるまでの間、略奪を繰り返すアイルランド連合軍に一人きりで対抗する必要があった。彼は罠を仕掛け、投石器で狙撃を行い、野営地に夜襲を敢行し、連合軍から1日あたり百人もの戦死者を出した。彼が殺したのは基本的には殺す価値があると認めた戦士たちであったが、逆に「殺す価値がある」と判断すれば戦闘員でなくとも容赦なく殺した。誤射で侍女が殺されることもあった。殺戮の手はメイヴらが遠征に連れていたペットにも及び、その中でも特にオコジョはメイヴの肩に乗って彼女に甘えている最中に投石器の狙撃を受けた。 |
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この惨状に連合軍はクー・フーリンとの休戦を模索し始めた。休戦の条件をめぐって彼との調整が難航する中、コナハトの客将[[フェルグス・マク・ロイヒ]]が「毎日連合軍は一人の戦士を出し、クー・フーリンと一騎打ちを行う」との条件を提言した。フェルグスの条件は、連合軍を足止めしてヴァハの呪いが解けるのを待っていたクー・フーリンには都合がよく、彼の意図を見抜いていた連合軍も背に腹は代えられず、ひとまずは合意に至った。連合軍は次々に戦士を一騎打ちの場に送り出し、時には協定を破って複数人をクー・フーリンにけしかけもしたが、その殆どが生きて帰ってくることは無かった。決闘で殺された戦士たちの中にはフェル・ディアドの叔父マン・ムレスキ<ref group="†">Mand Muresci.極めて粗野で暴力的な人物。組み打ちでクー・フーリンを三度投げ飛ばすなどと健闘してみせるが、本気を出した彼に立石めがけて投げ飛ばされ死亡した{{harv|O'Rahilly|1976|pages=194-195}}{{harv|カーソン|2011|pages=164-166}}。「ムレスキ」は地名であり、イルス・ドウナン同様[[メイヨー |
この惨状に連合軍はクー・フーリンとの休戦を模索し始めた。休戦の条件をめぐって彼との調整が難航する中、コナハトの客将[[フェルグス・マク・ロイヒ]]が「毎日連合軍は一人の戦士を出し、クー・フーリンと一騎打ちを行う」との条件を提言した。フェルグスの条件は、連合軍を足止めしてヴァハの呪いが解けるのを待っていたクー・フーリンには都合がよく、彼の意図を見抜いていた連合軍も背に腹は代えられず、ひとまずは合意に至った。連合軍は次々に戦士を一騎打ちの場に送り出し、時には協定を破って複数人をクー・フーリンにけしかけもしたが、その殆どが生きて帰ってくることは無かった。決闘で殺された戦士たちの中にはフェル・ディアドの叔父マン・ムレスキ<ref group="†">Mand Muresci.極めて粗野で暴力的な人物。組み打ちでクー・フーリンを三度投げ飛ばすなどと健闘してみせるが、本気を出した彼に立石めがけて投げ飛ばされ死亡した{{harv|O'Rahilly|1976|pages=194-195}}{{harv|カーソン|2011|pages=164-166}}。「ムレスキ」は地名であり、イルス・ドウナン同様[[メイヨー県]]に位置する。現代では{{仮リンク|マリスク男爵領|en|Barony of Murrisk}}と呼ばれる。([http://www.dil.ie/32780 eDIL - muiresc])</ref>の姿もあった。 |
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=== クー・フーリンとの決闘 === |
=== クー・フーリンとの決闘 === |
2020年8月30日 (日) 23:31時点における版
フェル・ディアド (アイルランド語: Fer Diad)は『クーリーの牛争い』に登場する戦士。フェル・ディア、フェルディアド、フェルディア、フェルディア・マク・ダマンなどとも。 イルス・ドウナンのフィル・ドーナン族の出であり、コナハトの王の一人ダワーンの息子。 かつての里子兄弟[† 1]であるクー・フーリンとは固い友情で結ばれていたが、メイヴの姦計によって二人は決闘することになり、ゲイ・ボルグにより命を落とす。武装として紅玉をちりばめた兜、黄金で飾られた剣、50の突起のある青銅の盾、戦車などを所有する。ゲイ・ボルグの対策方法として、本人に硬化の能力があるとされることもあれば、腹に平らな石を詰め何重にも胴衣を身に着けて対策したという場合もある。前者の場合は硬化出来ない肛門を貫かれ、後者の場合は防ぎきれず貫通してしまう。
挿話『フェル・ディアドとの戦い』
『フェル・ディアドとの戦い』は『クーリーの牛争い』(以後『牛争い』)の中盤の山場であり、『牛争い』の中で最も良く知られている挿話でもある。
Ó Fiannachta はこの挿話は『牛争い』の最古の校訂本には含まれているものの、更に時代をさかのぼり、失われた『牛争い』の原型には含まれていなかったとする。彼によれば『フェル・ディアドとの戦い』は、少なくとも現存する形になったのは『牛争い』が書き止められた後の事であり、その内容には『牛争い』のモチーフが大いに借用されている。[1]
後に『フェル・ディアドとの戦い』がモチーフの借用元である『牛争い』に取り込まれたことによって、 極めて似通った粗筋[† 2]を持つ『フェル・ディアドとの戦い』と『ローホ・マク・エモニシュの最期』が共に『牛争い』の中で語られることになる。一見奇妙にも思えるが、『牛争い』を時系列の順に整理された叙事詩的文学ではなく種本もしくは資料集として編纂されたものとする説[2]を援用すれば不自然とも言えない。
人物
少年時代
フェル・ディアドとクー・フーリンは同時期にスカータハに師事する兄弟弟子の関係にあった。 フェル・ディアドは年下のクー・フーリンをまるで自分の小間使いのように扱っていたが[3]、クー・フーリンの側も特にそれを問題とせず、両者の関係は極めて良好であった。二人は寝食を共にし、常に連れ立って行動していた。
とは言え、幼いクー・フーリンは戦士としてフェル・ディアドの後塵を拝していたわけではなかった。フェル・ディアドとクー・フーリンはゲルマーン・ガルヴクラスとの戦いに参加したが[† 3]、この戦いでフェル・ディアドは敵に剣を奪われるという失態を犯す。彼の苦境にクー・フーリンは百人もの敵兵を殺し、奪われた剣を取り戻した。戦いの後、フェル・ディアドらはスカータハの給仕係の家で泊まることになったが、フェル・ディアドは給仕係に扉の外へ放り投げられてしまった。この無礼に対し、クー・フーリンはその場で給仕係を殺して報いた。後のフェル・ディアドはこうしたクー・フーリンの恐ろしさを少年時代の曖昧な記憶として半ば忘れ去ってしまい、彼の実力を低く見積もっていた。これが彼らの対決の遠因となる。[4]
クーリーの牛争い
二人の修業時代から10年後。アイルランド上王の娘でありコナハトの女王メイヴが夫への虚栄心から褐牛「ドン・クアルンゲ」を欲して引き起こした「クーリーの牛争い」は、 アイルランドをメイヴ率いる連合軍とアルスターの二つに割った大戦争となり、コナハトのフェル・ディアドとアルスターのクー・フーリンも敵味方に分かれる事となった。
勇猛果敢な戦士団を抱え本来なら連合軍に引けを取ることはないアルスターであったが、折り悪くこの戦争が起きたのは彼らがヴァハの呪いを受ける時期であり、その戦闘能力をことごとく失っていた。 アルスターの戦士の中でただ一人この呪いの影響を受けないクー・フーリンは[† 4]同胞の呪いが解けるまでの間、略奪を繰り返すアイルランド連合軍に一人きりで対抗する必要があった。彼は罠を仕掛け、投石器で狙撃を行い、野営地に夜襲を敢行し、連合軍から1日あたり百人もの戦死者を出した。彼が殺したのは基本的には殺す価値があると認めた戦士たちであったが、逆に「殺す価値がある」と判断すれば戦闘員でなくとも容赦なく殺した。誤射で侍女が殺されることもあった。殺戮の手はメイヴらが遠征に連れていたペットにも及び、その中でも特にオコジョはメイヴの肩に乗って彼女に甘えている最中に投石器の狙撃を受けた。
この惨状に連合軍はクー・フーリンとの休戦を模索し始めた。休戦の条件をめぐって彼との調整が難航する中、コナハトの客将フェルグス・マク・ロイヒが「毎日連合軍は一人の戦士を出し、クー・フーリンと一騎打ちを行う」との条件を提言した。フェルグスの条件は、連合軍を足止めしてヴァハの呪いが解けるのを待っていたクー・フーリンには都合がよく、彼の意図を見抜いていた連合軍も背に腹は代えられず、ひとまずは合意に至った。連合軍は次々に戦士を一騎打ちの場に送り出し、時には協定を破って複数人をクー・フーリンにけしかけもしたが、その殆どが生きて帰ってくることは無かった。決闘で殺された戦士たちの中にはフェル・ディアドの叔父マン・ムレスキ[† 5]の姿もあった。
クー・フーリンとの決闘
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次のクー・フーリンの対戦相手には満場一致でフェル・ディアドが選ばれた。彼の持つ胼胝状の皮膚[† 6]には尋常の刃が通ることは無く、その可能性があるとすればクー・フーリンの持つ槍「ゲイ・ボルグ」のみであろうが、それすらも跳ね返されるだろうと期待されたのだ。この里子兄弟同士の対決は双方にとって望むところではなく、フェル・ディアドは友との戦いを拒絶し召喚を無視するが、メイヴは自身の娘フィンダルをあてがい、酔わせ、決闘の約束をさせる。その後、酔いが醒めたことで渋るフェル・ディアドを吟遊詩人に臆病者と侮辱させると脅し、最後には言葉巧みにクー・フーリンがフェル・ディアドを誹っていたと騙して対決へと誘導した。一方、フェルグス・マク・ロイヒと密会し[† 7]次の対戦相手にフェル・ディアドが選ばれたことを知ったクー・フーリンも、旧友を殺さねばならない運命に悄然とした様子を見せた。
翌日、両雄は川の浅瀬を決闘場所に選ぶと、スカータハから授かった武術の全てを尽くして激突した。投げ槍、剣、長槍と武器を変えつつ3日間互角の戦いを繰り広げる。 最後の戦いとなる4日目、フェル・ディアドは優勢に戦いを進めていたが、クー・フーリンの御者ライグが主人に対して野次を飛ばすと、彼は怒りで膀胱のように膨れ上がりフェル・ディアドを圧すほどの体格となった[† 8]。 次に、ライグは川の上流からゲイ・ボルグを流して彼へと渡した。クー・フーリンはつま先で槍を捕らえると、これをまずフェル・ディアドの肛門へ、次に胸へと放った[† 9]。最初の一撃でフェル・ディアドの肛門に突き刺さったゲイ・ボルグは彼の体内で24もの棘を開いてこれを引き裂き、二撃目は彼のあばらを砕き心臓を貫いた。クー・フーリンが「これ以前の対戦はみな遊びのようなものであった」と評するほどの激闘はこうして幕を下ろした[† 10]。フェル・ディアドはゲイ・ボルグを肛門に受けるという伝承が有名だが、鎧や鉄のエプロンを貫かれるといった胴体をゲイ・ボルグで貫かれる資料もある。
この戦いの場となった浅瀬は、彼の名からアート・イル・ディアと名付けられる。
脚注
- ^ スカータハを里親とした里子兄弟(Brown 1921, p. 155)。
- ^ 「刃を通さない堅固な皮膚を持つ戦士がメイヴに無理強いされ川の浅瀬で里子兄弟クー・フーリンとの決闘を行う。戦士の肉親がこれに先立ってクー・フーリンに殺害されている。クー・フーリンの闘争心を搔き立てるために味方から野次が飛ばされる。彼の御者が川の上流から流して寄越したゲイボルグという槍を受け取ったクー・フーリンはこれを戦士の肛門に突き立てて勝利を収める。決闘の地には敗死した戦士に由来した名がつけられる。」というもの。
- ^ 戦いその物の描写は『レンスターの書』所収の版に詳しい。フェル・ディアド、クー・フーリン、ルギド、フェル・バイスといったスカータハの里子たちの活躍や、戦いが勝利に終わりゲルマーンが生け捕りにされたことが記されている。(O'Rahilly 1967, pp. 232–233)(カーソン 2011, p. 230-232)
- ^ 女性と子供は影響を受けず、少年たちによる戦士団が結成される ()。またクー・フーリンの父親スアルタウもこの呪いの影響を受けなかったが、年老いており戦力として数えられなかった。父子が呪いの影響を受けなかった理由は、スアルタウがアルスターの人間ではなかったためであるとする説がある(Hull 1911, p. 353-354)。
- ^ Mand Muresci.極めて粗野で暴力的な人物。組み打ちでクー・フーリンを三度投げ飛ばすなどと健闘してみせるが、本気を出した彼に立石めがけて投げ飛ばされ死亡した(O'Rahilly 1976, pp. 194–195)(カーソン 2011, pp. 164–166)。「ムレスキ」は地名であり、イルス・ドウナン同様メイヨー県に位置する。現代ではマリスク男爵領と呼ばれる。(eDIL - muiresc)
- ^ ローホ同様、彼の皮膚は戦闘時に硬化する(O'Rahilly 1976, p. 199)。『レンスターの書』では「浅瀬で戦う時に」とされる(O'Rahilly 1967, p. 211)。
- ^ フェルグスは元々はアルスターの人間であり、クー・フーリンの間には里親として彼を養育したという縁もある。里子クー・フーリンへの家族愛から、敵対する立場ながら数々の便宜を図っている。
- ^ この野次はクー・フーリンの闘争心を掻き立てるためのものであり、事前の打ち合わせでクー・フーリンから命じられていた。
- ^ 『ローホ・マク・エモニシュの最期』では、刃を通さない胼胝状の皮膚を持つローホの弱点である肛門を狙ったことが説明されるが、『フェル・ディアドとの戦い』では特に理由は説明されない。
- ^ 戦いの描写は校訂本1より。一方、『レンスターの書』所収の版では校訂本1に比べ大いに加筆されている。この版では両雄の戦いは四日間に及び、一日の終わりにフェル・ディアドとクー・フーリンが互いの健闘を称えて接吻を交わすといった同性愛的とも取れる描写が加わっている。ゲイ・ボルグについても細かな説明がされている。この版によるとクー・フーリンはフェル・ディアドに対し2本のゲイ・ボルグを使用しており、また突き刺さったゲイ・ボルグは犠牲者の肉を切り取らない限り回収ができず、クー・フーリンは胸と肛門にこの槍が刺さったフェル・ディアドの遺体を切開して槍を回収するようライグに命じている。
エジャートン写本209及び106所収の版はフェル・ディアドの戦車御者について詳しい。この版によればフェル・ディアドの御者はアイドという名であり、クー・フーリンの御者ライグの兄弟であった。アイドは主人の危機に対して手をこまねいていた訳ではなく、ゲイ・ボルグを川に流そうとするライグを妨害したが、最終的にライグに殺されてしまった。(Nettlau 1890, p. 339)
出典
- ^ Ó Fiannachta 1973.
- ^ カーソン 2011, p. 316.
- ^ O'Rahilly 1967, p. 219、カーソン 2011, p. 196
- ^ O'Rahilly 1976, p. 203、カーソン 2011, p. 196
参考文献
一次資料
- O'Rahilly, Cecile (1976), Táin bó Cúailnge: Recension I
- O'Rahilly, Cecile (1967), Táin bó Cúalnge: from the Book of Leinster
- カーソン, キアラン 著、栩木伸明 訳『トーイン クアルンゲの牛捕り』東京創元社、2011年。ISBN 9784488016517。
- 校訂本1をベースとして、レンスターの書の記述を補ったカーソンの現代英語訳を栩木が日本語へと重訳したもの。
二次資料
- Brown, Arthur C. L. [in 英語] (1921). "The Grail and the English "Sir Perceval"". Modern Philology. 18 (12).
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: 引数|ref=harv
は不正です。 (説明) - Hull, Eleanor [in 英語] (1911). "Cúchulainn cycle". In James Hastings [in 英語] (ed.). Encyclopaedia Of Religion And Ethics. Vol. 4. pp. 353–357.
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: 引数|ref=harv
は不正です。 (説明) - Nettlau, Max [in 英語] (1890). "The Fer Diad episode of the Táin Bó Cúailnge". Revue Celtique. 11: 23–32, 318–343.
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: 引数|ref=harv
は不正です。 (説明) - Ó Fiannachta, Pádraig [in 英語] (1973). "The fight with Fer Diad". Journal of the County Louth Archaeological and Historical Society. 18 (1): 62–68.
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