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*1880年 - 35歳年上のサー・ウィリアム・グレゴリーの後妻となる。夫は元[[セイロン島|セイロン]]知事で、[[ゴールウェイ]]地方議会の一員だった。この当時は夫であるウィリアム同様、イングランドとの連合を支持していた。 |
*1880年 - 35歳年上のサー・ウィリアム・グレゴリーの後妻となる。夫は元[[セイロン島|セイロン]]知事で、[[ゴールウェイ]]地方議会の一員だった。この当時は夫であるウィリアム同様、イングランドとの連合を支持していた。 |
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*1881年 - 長男ロバート誕生。 |
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2020年8月30日 (日) 23:19時点における版
イザベラ・オーガスタ・グレゴリー(Lady Isabella Augusta Gregory, 1852年3月15日 - 1932年5月22日)は、アイルランドの劇作家・詩人。アイルランドのフォークロア収集にもあたった。日本ではグレゴリー夫人と紹介されている文献が多い。ケルト文学復興運動の中心的人物。
年表
- 1852年 - ゴールウェイ県の郷士パーシー家に生まれる。イングランドにルーツを持つ地主だった。乳母メアリー・シェリダン(カトリックでゲール語を話す生粋のアイルランド人)の影響を非常に受け、アイルランドの地方の歴史や伝説に興味を持つようになる。
- 1880年 - 35歳年上のサー・ウィリアム・グレゴリーの後妻となる。夫は元セイロン知事で、ゴールウェイ地方議会の一員だった。この当時は夫であるウィリアム同様、イングランドとの連合を支持していた。
- 1881年 - 長男ロバート誕生。
- 1882年 - 処女詩作“Arabi and His Household”を記す。
- 1892年 - 夫のウィリアムが亡くなる。これ以降、次第にナショナリズムに影響を受けるようになる。[1]
- 1899年 - ウィリアム・バトラー・イェイツと初めて出会う。アイルランド文学劇場協会設立。
- 1901年 - 資金不足によりアイルランド文学劇場閉鎖。
- 1904年 - イェイツ、エドワード・マーティン、ジョン・ミリントン・シングらとともにアイルランド国立劇場協会設立。劇場がアベイ通りに面していたためアベイ座として知られる。
- 1918年 - 長男ロバート、第一次世界大戦で戦死。
- 1927年 - クール・パークを含む不動産をアイルランド内戦のあとの政府に売却。ただし生涯入居権を維持した。
- 1928年 - 病気を理由に、劇場のディレクター職を退く。
- 1932年 - クール・パーク・ハウスで死去。
作品
- A Phantom's Pilgrimage,or Home Ruin (1893) 詩
- Ulster (1902)
- 「うわさのひろまり」 Spreading the News (1904) 劇
- Hyacinth Halvey (1906) 劇
- Dervorgilla (1907) 劇
- The Rising of the Moon (1907) 劇
- The Rogueries of Scapin (1908) 劇
- McDonough's Wife (1913) 劇
- An Old Woman Remembers (1923) 劇
脚注
- ^ 杉山寿美子『レイディ・グレゴリ--アングロ・アイリッシュ一貴婦人の肖像』(国書刊行会、2010)、p. 102。