コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「ノックグラフトンの伝説」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
Cewbot (会話 | 投稿記録)
23行目: 23行目:
男は[[麦藁]]や[[イグサ科|イグサ]]で編んだ工芸品を売って生計を立てていたが、その藁編みもの商売で町に出た帰りに、ノックグラフトン{{Refn|group="注"|ノックグラフトンの「ノック」 "knock"は、アイルランド語「クノック」 "cnoc"に由来し、「丘、山」の意<ref name=joyce1869/><ref name=odonaill-cnoc/>。}}の古墳(モート)の近くで休憩した(この[[モット・アンド・ベーリー|モート]]は正しくは城跡だが<ref name=westropp/>、クローカーは「古墳」と解釈した{{sfn|Croker|1825|p=33}} )。夕方になると、この墳丘のなかから、「{{読み仮名|月曜日|ダルーアン}}、{{読み仮名|火曜日|ダモルト}}」という歌声が聞こえてきた{{Refn|group="注"|曜日のルビは、原則として井村訳にしたがった。より正確なアイルランド語の発音は神村朋佳の論文に詳しいが、月・火・水曜日は「ヂェルーン*」・「ヂェモウルチ*」・「ディけーディン*」とカナ表記される<ref name=kamimura/>。}}。ラズモアは、相手の声が途切れる拍子に、「それまた{{読み仮名|水曜日|ダダーデイン}}」と合いの手の具合で歌い返した。すると歌っていた妖精([[フェアリー]])たちは歓喜し、つむじ風がまきおこったかと思うとラズモアは墳丘の中に運ばれていた。ラズモアはもてなしを受け、背中の瘤を除去され、目を覚ましたときには新調した衣服を着せられていた。
男は[[麦藁]]や[[イグサ科|イグサ]]で編んだ工芸品を売って生計を立てていたが、その藁編みもの商売で町に出た帰りに、ノックグラフトン{{Refn|group="注"|ノックグラフトンの「ノック」 "knock"は、アイルランド語「クノック」 "cnoc"に由来し、「丘、山」の意<ref name=joyce1869/><ref name=odonaill-cnoc/>。}}の古墳(モート)の近くで休憩した(この[[モット・アンド・ベーリー|モート]]は正しくは城跡だが<ref name=westropp/>、クローカーは「古墳」と解釈した{{sfn|Croker|1825|p=33}} )。夕方になると、この墳丘のなかから、「{{読み仮名|月曜日|ダルーアン}}、{{読み仮名|火曜日|ダモルト}}」という歌声が聞こえてきた{{Refn|group="注"|曜日のルビは、原則として井村訳にしたがった。より正確なアイルランド語の発音は神村朋佳の論文に詳しいが、月・火・水曜日は「ヂェルーン*」・「ヂェモウルチ*」・「ディけーディン*」とカナ表記される<ref name=kamimura/>。}}。ラズモアは、相手の声が途切れる拍子に、「それまた{{読み仮名|水曜日|ダダーデイン}}」と合いの手の具合で歌い返した。すると歌っていた妖精([[フェアリー]])たちは歓喜し、つむじ風がまきおこったかと思うとラズモアは墳丘の中に運ばれていた。ラズモアはもてなしを受け、背中の瘤を除去され、目を覚ましたときには新調した衣服を着せられていた。


そのうち老婆が訪ねてきた。隣の[[ウォーターフォード]]、 {{仮リンク|デーシイ|en|Déisi}}の民の地から来たという{{Refn|group="注"|クローカーの原文は"Deici's country"であるが、"Déisi"人々の異綴りとして"Deici"があることが、例えば{{仮リンク|サミュエル・ルイス (出版者)|en|Samuel Lewis (publisher)|label=サミュエル・ルイス}}の地理参考書で確認できる<ref name=lewis/> 。井村の解釈は「ディシスの田舎」である。}}。この老婆は、自分の茶飲み友達(あるいは名付け親)の息子にせむしの男がいて、背瘤が治った話の詳細を聞きにきたのである{{Refn|group="注"|クローカーの原文は老婆の"gossip"で、これは多義あり、井村は「茶飲み友達」と解した。しかしグリム兄弟の訳( {{lang-de|Gevatterin}} )を参考とするなら、ここは「名付け母親」である<ref>{{harvnb|Grimm|1826|p=17}} </ref>。}}。
そのうち老婆が訪ねてきた。隣の[[ウォーターフォード]]、 {{仮リンク|デーシイ|en|Déisi}}の民の地から来たという{{Refn|group="注"|クローカーの原文は"Deici's country"であるが、"Déisi"人々の異綴りとして"Deici"があることが、例えば{{仮リンク|サミュエル・ルイス (出版者)|en|Samuel Lewis (publisher)|label=サミュエル・ルイス}}の地理参考書で確認できる<ref name=lewis/> 。井村の解釈は「ディシスの田舎」である。}}。この老婆は、自分の茶飲み友達(あるいは名付け親)の息子にせむしの男がいて、背瘤が治った話の詳細を聞きにきたのである{{Refn|group="注"|クローカーの原文は老婆の"gossip"で、これは多義あり、井村は「茶飲み友達」と解した。しかしグリム兄弟の訳( {{lang-de|Gevatterin}} )を参考とするなら、ここは「名付け母親」である<ref>{{harvnb|Grimm|1826|p=17}} </ref>。}}。


まもなくそのジャック・マッデンという名の背に瘤がある男がやってきて{{Refn|group="注"|クローカーの原文は"Jack Madden"で、井村の表記は「ジャック・マドン」だが、より一般的なカナ表記とする。}}、ラズモアの行動を真似てみたが、気持ちが急いたために、妖精たちの歌が途切れるのも待たずに合いの手を入れ、もっと曜日をつけ足せば褒美の衣服も倍増するだろうなどと欲をかいて水曜日だけでなく「{{読み仮名|木曜日|ダダーディーン}}、{{読み仮名|金曜日|ダヒナ}}」(ここは井村訳と異なる)と歌った{{Refn|アイルランド英語: Da Hena, {{lang-ga|dia aoine; dé haoine}} "Friday".<ref name=keightley1850/><ref name=odonaill-aoine/>}}{{Refn|group="注"|クローカーの原文は"Da Dardine, augus Da Hena"であったが、なぜか1834年の第3版で、"augus Da Cadine, augus Da Hena"に変んじており、しかもそれが「水曜日、木曜日」であるという脚注がついていた{{sfnp|Croker|1834|p=20}}。この脚注はカイトリーが指摘したように誤りで、ダヒナは金曜日である<ref name=keightley1850/>。イエイツは初版のどおりの正しい曜日だが{{sfn|Yeats|1888|p=45}} 、井村訳ではなぜか誤った改変(ダヒナが木曜日)を踏襲していることは、神村の論文に詳しい<ref name=kamimura/>。}}。結果、妖精たちは歌を台無しにしたと怒り、一番力持ちの二十人の妖精がラズモアの瘤を持ってきてジャックの背瘤の上にくっつつけてしまった。ほうほうの態で帰ったジャックは、まもなく意気消沈して死んだという。
まもなくそのジャック・マッデンという名の背に瘤がある男がやってきて{{Refn|group="注"|クローカーの原文は"Jack Madden"で、井村の表記は「ジャック・マドン」だが、より一般的なカナ表記とする。}}、ラズモアの行動を真似てみたが、気持ちが急いたために、妖精たちの歌が途切れるのも待たずに合いの手を入れ、もっと曜日をつけ足せば褒美の衣服も倍増するだろうなどと欲をかいて水曜日だけでなく「{{読み仮名|木曜日|ダダーディーン}}、{{読み仮名|金曜日|ダヒナ}}」(ここは井村訳と異なる)と歌った{{Refn|アイルランド英語: Da Hena, {{lang-ga|dia aoine; dé haoine}} "Friday".<ref name=keightley1850/><ref name=odonaill-aoine/>}}{{Refn|group="注"|クローカーの原文は"Da Dardine, augus Da Hena"であったが、なぜか1834年の第3版で、"augus Da Cadine, augus Da Hena"に変んじており、しかもそれが「水曜日、木曜日」であるという脚注がついていた{{sfnp|Croker|1834|p=20}}。この脚注はカイトリーが指摘したように誤りで、ダヒナは金曜日である<ref name=keightley1850/>。イエイツは初版のどおりの正しい曜日だが{{sfn|Yeats|1888|p=45}} 、井村訳ではなぜか誤った改変(ダヒナが木曜日)を踏襲していることは、神村の論文に詳しい<ref name=kamimura/>。}}。結果、妖精たちは歌を台無しにしたと怒り、一番力持ちの二十人の妖精がラズモアの瘤を持ってきてジャックの背瘤の上にくっつつけてしまった。ほうほうの態で帰ったジャックは、まもなく意気消沈して死んだという。

2020年8月30日 (日) 23:16時点における版

妖精と踊るラズモア。
ジョン・D・バッテン英語版(画)、『More Celtic Fairy Tales』(1894年)より[1]

ノックグラフトンの伝説」(The Legend of Knockgrafton)は、アイルランドの民話または昔話。 トマス・クロフトン・クローカーの話集『アイルランド南部の妖精伝説と伝承』(1825年)で発表された。内容は日本の昔話「瘤取り爺さん」に酷似する。

背中に瘤をもつラズモア[注 1](「ジギタリス」の意)が、妖精の墳丘で休憩したとき聞こえてきた歌唱にくわわり「月曜、火曜」の歌詞に「水曜」を足し、喜んだ妖精(フェアリー)たちに瘤を除去してもらい衣服も贈られる。隣国人ジャックも、ラズモアを真似て瘤を除いてもらおうとするが、欲をかき曜日を余計に付け足したため、逆に妖精たちの怒りを買い、元の瘤の上にラズモアの瘤をつけられてしまう。

この話は、AT 503の話型「小人の贈り物」タイプに分類されるが、「小人の贈り物」という分類名は、典型話であるグリム童話第182「こびとのおつかいもの」に由来する。

発表経歴

この説話は、 トマス・クロフトン・クローカー編『アイルランド南部の妖精伝説と伝承』第1部(Fairy Legends and Traditions of the South of Ireland、1825年)にて最初に発表された[2][4]

のちウィリアム・バトラー・イェイツ『アイルランド農民の妖精物語と民話集』(Fairy and Folk Tales of the Irish Peasantry、1888年)に編まれ、井村君江訳「ノックグラフトンの伝説」としてイェイツ編『ケルト妖精物語』(1986年)に収載される[5][6][注 2]

また、クローカーの原著のグリム兄弟訳 『Irische Elfenmärchen』(1826年)に、本篇のドイツ訳「Fingerhütchen」[注 3])が収載されるが[9]、これも藤川芳朗が「ジギタリスと呼ばれた男」として重訳している(2001年)[10]

またジョセフ・ジェイコブスの話集の石井桃子訳「ノックグラフトンの昔話」がある[11]

要約

粗筋は以下のようなものである[2][6]

アイルランド南部ティペラリー県アハーロウ峡谷英語版[注 4]、綽名をラズモア(ルスモール)という[注 1]、背中に瘤のある男が住んでいた。ラズモアは、草花のキツネノテブクロ(ジギタリス)のこと[12][注 5]。男はこの草をよく帽子に指していたのでその綽名がついた。

男は麦藁イグサで編んだ工芸品を売って生計を立てていたが、その藁編みもの商売で町に出た帰りに、ノックグラフトン[注 6]の古墳(モート)の近くで休憩した(このモートは正しくは城跡だが[16]、クローカーは「古墳」と解釈した[17] )。夕方になると、この墳丘のなかから、「月曜日ダルーアン火曜日ダモルト」という歌声が聞こえてきた[注 7]。ラズモアは、相手の声が途切れる拍子に、「それまた水曜日ダダーデイン」と合いの手の具合で歌い返した。すると歌っていた妖精(フェアリー)たちは歓喜し、つむじ風がまきおこったかと思うとラズモアは墳丘の中に運ばれていた。ラズモアはもてなしを受け、背中の瘤を除去され、目を覚ましたときには新調した衣服を着せられていた。

そのうち老婆が訪ねてきた。隣のウォーターフォード県デーシイ英語版の民の地から来たという[注 8]。この老婆は、自分の茶飲み友達(あるいは名付け親)の息子にせむしの男がいて、背瘤が治った話の詳細を聞きにきたのである[注 9]

まもなくそのジャック・マッデンという名の背に瘤がある男がやってきて[注 10]、ラズモアの行動を真似てみたが、気持ちが急いたために、妖精たちの歌が途切れるのも待たずに合いの手を入れ、もっと曜日をつけ足せば褒美の衣服も倍増するだろうなどと欲をかいて水曜日だけでなく「木曜日ダダーディーン金曜日ダヒナ」(ここは井村訳と異なる)と歌った[23][注 11]。結果、妖精たちは歌を台無しにしたと怒り、一番力持ちの二十人の妖精がラズモアの瘤を持ってきてジャックの背瘤の上にくっつつけてしまった。ほうほうの態で帰ったジャックは、まもなく意気消沈して死んだという。

挿入歌

"Da Luan"の歌の楽譜[26]

クローカーはまた、"Da Luan, Da Mort"という歌曲の楽譜も収載している[注 12]。これは、語り部たちが、この物語を吟じる際に、歌って聞かせるものだと説明されている[27]

地理的考察

ノックグラフトンのモート(モット・アンド・ベーリー)は、クローカーの解釈では墳丘墓であった[17]。しかし、こうした丘はじっさいは円形土砦(ラース)英語版の城址だと説明されている[14]。ノックグラフトンは実在するティペラリー州のノックグラフォン英語版と比定されている[14][17][16][注 13]

この丘は、作中でラズモアが商売を行った町ケア[注 14]から以北3マイル (4.8 km)の距離にある[29]

物語の冒頭では、ラズモアの住む里はギャルティー山脈英語版のふもとのアハーロウ峡谷英語版とあるが[30]、これはノックグラフォン以西にある。だがラズモアが家路にむかったときや、老婆の訪問をうけたときは、キャップアー(Cappagh)の町村に住んでいたと語られている[31][注 15]

P・W・ジョイス英語版によれば、アイルランド南部では、妖精の音楽が聞こえるとされる丘は lissakeole (アイルランド語: lios a cheoil 「音楽の砦」)と呼ばれていた[14]

作者

「ノックグラフトンの伝説」の真の執筆者はウィリアム・マギン英語版(1794-1842年)であったという主張がある。

ただ、マギンの作とされる他の作品と比べると傍証が薄い。なぜならマギン所有本『妖精伝説』の書き込みから判明したとされるマギン作4篇のなかには含まれていないからである(これはマギンの年の離れた弟チャールズ・アーサー・マギン牧師から提供された情報で、ウィリアム・ベイツ(1821–1884年)が発表した)[注 16][35][36]

一方、「ノックグラフトンの伝説」は、マギンの甥(同名のチャールズ・アーサー・マギン牧師)が撰して1933年に刊行されたマギン話集に編まれている[注 17][35][37]。そして"内部的証拠"から、「ノックグラフトンの伝説」がマギンの執筆であった可能性は高く、クローカーの作と断定できるなかで似た作風の作品はなにひとつないというのが、アイルランド文学者B・G・マッカーシー)英語版の結論である[35]

イェイツ

W・B・イェイツも、1888年の話集に本篇を編んでいる(井村君江が邦訳)[38][6][18]

本篇に触れて、イェイツが妖精(フェアリー)の存在を信じていたことを指摘しているくだりが、いくつかの民俗学者論文にみつかる。例えば、フランク・キナハン(Frank Kinahan)は、"[他のアイルランドの作家たち]は、フェアリーに惹きつけられる魅力を、幻想ゆえに危険だとみなしていた。イェイツは、現実だからこそ危険とみなしていた"と評しているが、これを別の学者ビョルン・スンドマーク(Björn Sundmark)が「ノックグラフトンの伝説」考察で引用している [注 18][40]

イェイツはフェアリーに拉致された実体験を主張していたと、民俗学者リチャード・ドーソンも指摘している[41][注 19]

また、ラズモアのように、つむじ風がまき起こり人間が妖精の丘に連れ去られるという迷信について、イエィツはアイルランドの農民たちがつむじ風を畏怖していた点を指摘している[42][43]

異本や類話

この説話の土台となった伝説は少なくとも400年前の昔に成立したとみられ、その傍証として、トマス・パーネル英語版がこの題材をもとに「妖精物語 」(原題:A Fairy Tale in the Ancient English Style、1722年刊行)を作詩したとされている[44][45]

イェイツによれば、ダグラス・ハイドコノートのどこかでこの伝説の異形を聞いていたと述べており、そこでは、「1ペニー、1ペニー、2ペンス、1ペニーに、ヘイペニー(半ペニー)」という意味のアイルランド語の歌が挿入されていたという[注 20][46]

欧州の類話

グリム兄弟は、この物語を『Fingerhütchen』の題名で、クローカーのアイルランド妖精物語集のドイツ訳本に収載している[注 21][47][9][10] 。そして『グリム童話集』の第182「こびとのおつかいもの」の解説で、このアイルランド民話を含め、ヨーロッパ各地の類話を挙げている[48]。一例として、フランスのブルターニュ地方の『Les korils de Plauden』(エミール・スーヴェストル英語版話集に所収)が挙げられる[48][47]。題中のコリル(koril)は妖精の一種で、荒野(湿原まじりも含む)に住むコリガン英語版の仲間と説明されているが、作中には多種のコリガンが登場している[49][注 22]

他にも類話はヨハンネス・ボルテ英語版ゲオルク・ポリフカ英語版によるグリム童話注釈書に綿々と挙げられている[47]

「ノックグラフトンの伝説」はAT 503の話型「小人の贈り物」タイプ(上述のグリム童話第182を典型話とする)に分類されている[41][51]

アジアの類話

明治初期の頃、日本に赴任していた裁判官チャールズ・ウィクリフ・グッドウィン英語版が、「ノックグラフトンの伝説」と日本の昔話「瘤取り」との相似に着目し、1875年のアジアティック・ソサイエティの会合でこれを発表した[注 23][3][52]。アイルランドの遺跡や地誌などの研究家であるトマス・J・ウェストロップ英語版も「瘤取り」との類似を(初名乗りと思って)指摘したが[16]、実際にはかなり以前から指摘者がいたことになる。

ジョセフ・ジェイコブスも「ノックグラフトンの伝説」を1894年のケルト話集続編に収めており、巻末注で「瘤取り」との類似を指摘している。ジェイコブスはまた(1891年の会合で)、この東西の民話の近似性を説話の世界的分布の模範例としてとりあげ、アイルランド語で語り継がれた民話の収集の必要性を訴えている[53][41]

言及例

アイルランドの劇作家サミュエル・ベケットの小説『 ワット英語版』で、この伝説のことがほのめかせられている[54]

またケビン・クロスリー=ホランドも、「ノックグラフトンの伝説」を話集に撰しているが、幼少の頃、父親からこの話を聞かされたことを述懐している[55]

注釈

  1. ^ a b 井村訳では「ラズモア」で、あだ名。英語だと Lusmore だが、アイルランド語式だと"s"は濁音にならず lus mór は"ルスモール"のような発音になる。しかしLismore(アイルランド語:Lios Mór)の例でもリズモアと表記されることから英語読みも「ラズモア」と想定できる。
  2. ^ 邦題表記は日下隆平の論文の『アイルランド農民の妖精物語と民話集』が逐語訳なので採用する[7]。井村の表記『アイルランド各地方の妖精譚と民話』[8]
  3. ^ 「ジギタリスちゃん」の意。
  4. ^ 井村 & イエイツ 1986, p. 94では"アッハロウという..谷あい"と表記するが、地図名に準ずる。
  5. ^ アイルランド英語: Lusmore; アイルランド語: lus mór、直訳「大いなる野草」[13]
  6. ^ ノックグラフトンの「ノック」 "knock"は、アイルランド語「クノック」 "cnoc"に由来し、「丘、山」の意[14][15]
  7. ^ 曜日のルビは、原則として井村訳にしたがった。より正確なアイルランド語の発音は神村朋佳の論文に詳しいが、月・火・水曜日は「ヂェルーン*」・「ヂェモウルチ*」・「ディけーディン*」とカナ表記される[18]
  8. ^ クローカーの原文は"Deici's country"であるが、"Déisi"人々の異綴りとして"Deici"があることが、例えばサミュエル・ルイス英語版の地理参考書で確認できる[19] 。井村の解釈は「ディシスの田舎」である。
  9. ^ クローカーの原文は老婆の"gossip"で、これは多義あり、井村は「茶飲み友達」と解した。しかしグリム兄弟の訳( ドイツ語: Gevatterin )を参考とするなら、ここは「名付け母親」である[20]
  10. ^ クローカーの原文は"Jack Madden"で、井村の表記は「ジャック・マドン」だが、より一般的なカナ表記とする。
  11. ^ クローカーの原文は"Da Dardine, augus Da Hena"であったが、なぜか1834年の第3版で、"augus Da Cadine, augus Da Hena"に変んじており、しかもそれが「水曜日、木曜日」であるという脚注がついていた[24]。この脚注はカイトリーが指摘したように誤りで、ダヒナは金曜日である[21]。イエイツは初版のどおりの正しい曜日だが[25] 、井村訳ではなぜか誤った改変(ダヒナが木曜日)を踏襲していることは、神村の論文に詳しい[18]
  12. ^ Alexander D. Roche が音符に記したとされる。
  13. ^ これは"Knockgraffan"と呼ぶべきでないかとジョン・オドノヴァン英語版トーマス・ジョンソン・ウェストロップ英語版が提唱したが、これは『権利の書』(Book of Rights)に記されるアイルランド古来の"Graffan (Graffand)"の砦ではないかという仮説によるものである。しかし、それほど古いものではなく、おそらくノルマン王朝の建築物の可能性が高い、とその説は批判されている[28]
  14. ^ 井村訳では「ケール」。
  15. ^ Cappagh はありふれた町名で、ティペラリー州内でもこの名や、派生的な名の街が複数ある。たとえば、クランウィリアム英語版男爵領の Donohill 行政教区にはCappaghrattinという町があった[32]。ケアからアハーロウ峡谷までは西にむかって直線で10マイル程だが、ノックグラフォンを経由すると20マイルに近い旅程になる。もしかりに Cappaghrattin に帰るとするなら、ノックグラフォンを経由してもほぼ遠回りにはならず北西に20マイル程の道のりになる。
  16. ^ 作家ウィリアム・マギンの弟チャールズ・アーサー・マギン牧師は1887年没、72歳。よって20年以上年下。死んだときにはコーク市のキラナリー Killanully の教区牧師英語版[33]。この名の人物がウィリアム・マギンの弟だったことはベイツも記すが、ウィリアムの別の兄弟ジョンがクロイン英語版市のキャッスルタウンの教区牧師で1840年に死去したのち、後任に弟のチャールズが選ばれたことが教会の年間に記録されている[34]
  17. ^ じつは、この甥の方のチャールズも、1887年にキラナリー教区牧師を後継したので[33]、マッカーシーの論文のように年長のチャールズを"キラナリー教区牧師のチャールズ・アーサー・マギン牧師"と称しても区別がつきにくくいのだが、チャールズ Jr. の方は、1933年の話集刊行時には、シェフィールドに移っていた[35]
  18. ^ キナハンの原文:"[Other Irish writers] saw the attractions of faery as dangerous because illusory. Yeats saw them as dangerous because real"。
  19. ^ ドーソンは「ノックグラフトンの伝説」の解説と前後してこれを述べたに過ぎないが。原文は:"Yeats .. was himself supposed to have been transported by the fairies one night on a four-mile journey"
  20. ^ 原文のアイルランド語は"pighin, pighin, dá phighin, pighin go leith agus leith phighin" (誤植は訂正).
  21. ^ 藤川芳朗訳「ジギタリスと呼ばれた男」
  22. ^ 原著(フランス語)ではkorilは"lande"に棲むとあるが、この語は仏日事典では"荒野、荒れ地"としか掲載されない例があるが[50]、"lande tourbeuse"という場合は moor のように湿原っぽい地形をさし、文字通り泥炭採取できるような場所になる。英訳では「里山」のような意の"commons"(コモンズ)となっている[49]
  23. ^ グッドウィンの発表があった1875年の議事録が刊行されたのは10年後の1885年だが、1878年にはグッドウィンによる考察とするジョルジュ・ブスケの論文が公刊されている。

出典

脚注

  1. ^ Jacobs 1894, p. 156.
  2. ^ a b Croker 1825. "The Legend of Knockgrafton". "Fairy Legends and Traditions of the South of Ireland", pp. 23–36.
  3. ^ a b Goodwin, Charles Wycliffe Goodwin (1885), “On Some Japanese Legends”, Transactions The Asiatic Society Of Japan 3 (Part 2): 46–52, https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.70888/page/n169/mode/2up/ 
  4. ^ 例えばグッドウィンが "1824 or 1825年あたり about the year 1824 or 1825"にに最初に発表されたと述べている[3]
  5. ^ Yeats 1888, pp. 40–45, 320.
  6. ^ a b c 井村 & イエイツ 1986, pp. 94–103.
  7. ^ 日下隆平「イェイツとケルト文化復興」『桃山学院大学総合研究所紀要』第29巻、第1号、9頁、2003年7月https://stars.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1262&file_id=21&file_no=1 
  8. ^ 井村 & イエイツ 1986, p. 335.
  9. ^ a b Grimm 1826 tr. "Fingerhütchen", pp. 12–19
  10. ^ a b 藤川 (訳) 2001.
  11. ^ ジェイコブス & 石井 2002.
  12. ^ Croker 1825, p. 35–36, 195.
  13. ^ Gabshegonal Ó Dónaill (1977) Focloir, s. v. "lus": ~ mór, foxglove.
  14. ^ a b c d Joyce, P. W. (1869). The Origin and History of Irish Names of Places. Dublin: McGlashan&Gill. p. 178. https://books.google.com/books?id=UiAHAAAAQAAJ&pg=PA178 
  15. ^ Gabshegonal Ó Dónaill (1977) Focloir, s. v. "cnoc": Hill.
  16. ^ a b c Westropp, Thomas J. (30 September 1908). “The Mote of Knockgraffan, Tipperary (Its Legend)”. The Journal of the Royal Society of Antiquaries of Ireland, Fifth Series 18 (3): 280. JSTOR 25513929. https://books.google.com/books?id=iBxLAAAAYAAJ&q=%22The+Mote+of+Knockgraffan. 
  17. ^ a b c Croker 1825, p. 33.
  18. ^ a b c 神村朋佳「アイルランドの昔話「ノックグラフトンの伝説(The Legend of Nockgrafton)」の曜日の歌について : 石井桃子訳、井村君江訳、Yeats版、Jacobs版、Croker版の比較検討」『大阪樟蔭女子大学研究紀要』第7巻、第37号、51–62頁、2017年1月31日https://osaka-shoin.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=4097&item_no=1&page_id=3&block_id=24 
  19. ^ Lewis, Samuel (1837). A Topographical Dictionary of Ireland, Comprising the Several Counties, Cities,...with Historical and Statistical Descriptions. S. Lewis and Co.. p. 676. https://books.google.com/books?id=dDQE_stxs-AC&pg=PA676 
  20. ^ Grimm 1826, p. 17
  21. ^ a b Keightley, Thomas (1850) [1828], The Fairy Mythology: Illustrative of the Romance and Superstition of various Countries (new revised ed.), H. G. Bohn, https://books.google.com/books?id=3cByu3_ZtaAC&pg=PA364 
  22. ^ Gabshegonal Ó Dónaill (1977) Focloir, s. v. "aoine": Dé hA~, Friday.
  23. ^ アイルランド英語: Da Hena, アイルランド語: dia aoine; dé haoine "Friday".[21][22]
  24. ^ Croker (1834), p. 20.
  25. ^ Yeats 1888, p. 45.
  26. ^ Croker 1834, p. 16.
  27. ^ Croker 1825, pp. 34–35.
  28. ^ Orpen, Goddard H. (30 June 1907). “Motes and Norman Castles in Ireland”. The Journal of the Royal Society of Antiquaries of Ireland, Fifth Series 17 (2): 142. JSTOR 25507603. https://books.google.com/books?id=jI0xAQAAIAAJ&pg=PA142. 
  29. ^ Joyce, P. W. (1883). The Geography of the Counties of Ireland. London: George Philip & So. p. 184. https://books.google.com/books?id=S9oHAAAAQAAJ&pg=PA184 
  30. ^ Croker 1825, p. 23.
  31. ^ Croker 1825, pp. 28–29.
  32. ^ Houses of Parliament, U. K. (1877). Census of Ireland, 1871: Alphabetical Index to the Townlands and Towns of Ireland. Dublin: Alexander Thom. p. 149. https://books.google.com/books?id=mzlcAAAAQAAJ&pg=PA149 
  33. ^ a b Notices on the two "Charles Arthur Maginn"s. Cole, John Harding (1903). “Killanully”. Church and Parish Records of the United Diocese of Cork, Cloyne, and Ross, Comprising the Eventful Period in the Church's History of the Forty Years from A.D. 1863, to the Present Time. Cork: Guy and Company. pp. 68. https://books.google.com/books?id=XowUAAAAYAAJ&pg=PA68 
  34. ^ "John Maginn (brother of the celebrated William Maginn)". "C. A. Maginn (brother of his predecessor), entered T. C. D. on 4th June, 1832, being then seventeen years old". Brady, W. Maziere (1864). “Castletown”. Clerical and parochial records of Cork, Cloyne, and Ross. 2. London: Longman, Green, Longman, Roberts, and Green. pp. 106–107. https://books.google.com/books?id=b5Bj9_FYao4C&pg=PA107 
  35. ^ a b c d MacCarthy, B. G. (December 1943), “Thomas Crofton Croker 1798-1854”, Studies: An Irish Quarterly Review 32 (128): 500, JSTOR 30099490, https://books.google.com/books?id=kLEsAQAAIAAJ&q=knockgrafton 
  36. ^ Bates, William (1891) [1874]. “Thomas Crofton Croker”. The Maclise Portrait-gallery of "illustrious Literary Characters". Daniel Maclise (illustr.) (New ed.). London: Chatto & Windus. p. 47. https://books.google.com/books?id=rjsuAAAAYAAJ&pg=RA2-PA47 
  37. ^ Maginn, William (1933). “The Legend of Knockgrafton”. Ten Stories. London: Eric Partridge, Limited. pp. 129–136. https://books.google.com/books?id=OUrQAAAAMAAJ&q=%22Knockgrafton%22 
  38. ^ Yeats 1888 "The Legend of Knockgrafton", pp. 40–45.
  39. ^ Frank Kinahan, quoted in Castle, Gregory (2001). Modernism and the Celtic Revival. Cambridge University Press. p. 57. ISBN 1139428748. https://books.google.com/books?id=Ap28is5mYWoC&pg=PA57 
  40. ^ Sundmark, Björn (2006). “Yeats and the Fairy Tale”. Nordic Irish Studies 5: 196. JSTOR 30001546. 。Castle の論文p. 57[39]よりKinahan を孫引き。
  41. ^ a b c Dorson, Richard (1999). “The Celtic Folklorists”. History of British Folklore. 1. Taylor & Francis. pp. 392, 438–439. ISBN 0415204763. http://books.google.com/books?id=DiCjLRGRkS4C&pg=PA438 
  42. ^ Giraudon, Daniel (2007), “Supernatural Whirlwinds in the Folklore of Celtic Countries”, Béaloideas 75: 8, JSTOR 20520921, https://books.google.com/books?id=NgPaAAAAMAAJ&q=%22Knockgrafton%22 
  43. ^ ここでも「ノックグラフトンの伝説」と関連付けているのは、別の学者ダニエル・ジロードン(Daniel Giraudon)で、イェイツ自身ではない:Yeats (15 January 1889). "Irish Fairies, Ghosts, Witches..". Lucifer magazine. Reprinted in Collected Works IX, p. 78.
  44. ^ Croker 1825, pp. 32–33.
  45. ^ Parnell, Thomas (1989). Rawson, Claude Julien; Lock, F. P.. eds. Collected Poems of Thomas Parnell. University of Delaware Press. p. 506. ISBN 0874131545. https://books.google.com/books?id=V0zQRuoYs_UC&pg=PA506 
  46. ^ Yeats 1888, p. 320.
  47. ^ a b c Bolte, Johannes; Polívka, Jiří (2017) [1918]. “182. Die Geschenke des kleinen Volkes”. Anmerkungen zu den Kinder- und Hausmärchen der Brüder Grimm. 3. Dieterich. pp. 327 (324–330). https://books.google.com/books?id=ZCW71SSgfmgC&pg=PA327 
  48. ^ a b Grimm 1884, 2: 460.
  49. ^ a b Souvestre, Emile (1853). “Les korils de Plauden”. Le foyer breton: contes et récits populaires. 2. Paris: Michel Lévy frères. pp. 113–135. https://books.google.com/books?id=rIgAAAAAMAAJ&pg=PA113 ; Anon. tr. (1860) "The Korils of Plauden", Breton legends, London: Burns and Lambert. pp. 31–46.
  50. ^ 『Le Dico 現代フランス語辞典』、白水社、1993年。"lande", p. 869.
  51. ^ Uther, Hans-Jörg (2013). Handbuch zu den "Kinder- und Hausmärchen" der Brüder Grimm: Entstehung – Wirkung – Interpretation (2 ed.). Walter de Gruyter. p. 356. ISBN 978-3-110-31763-3. https://books.google.com/books?id=U9jmBQAAQBAJ&pg=PA356 
  52. ^ Goodwin (私書簡)、ブスケが引用。 Bousquet, George[s] (15 October 1878), “Le Japon littéraire”, Revue des Deux Mondes (1829-1971), Troisième période 29 (4), JSTOR 44752662, https://books.google.com/books?id=liW3fsNS0RcC&pg=PA772 .
  53. ^ Jacobs 1894, p. 231.
  54. ^ Harrington, John P. (1991). The Irish Beckett. 1. Syracuse University Press. pp. 118–119. ISBN 0815625286. https://books.google.com/books?id=t8WNmVLa32sC&pg=PA118 
  55. ^ Crossley-Holland 1986, pp. 9–10.
参考文献