「ブラーニー城」の版間の差分
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
m Bot作業依頼: アイルランド島における32県の改名に伴うリンク修正依頼 (コーク県) - log |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{Infobox Military Structure |
{{Infobox Military Structure |
||
|name=ブラーニー城 |
|name=ブラーニー城 |
||
|location=[[アイルランド共和国]][[コーク |
|location=[[アイルランド共和国]][[コーク県]] |
||
|map_type=Ireland |
|map_type=Ireland |
||
|map_alt=Location in Ireland |
|map_alt=Location in Ireland |
||
16行目: | 16行目: | ||
}} |
}} |
||
'''ブラーニー城'''(ブラーニーじょう、{{lang-ga|Caisleán na Blarnan}})は、[[アイルランド共和国]][[コーク |
'''ブラーニー城'''(ブラーニーじょう、{{lang-ga|Caisleán na Blarnan}})は、[[アイルランド共和国]][[コーク県]]ブラーニーの町、マーティン川の近くにある中世の[[城塞]]である。以前の城塞は同じ場所に建てられたが、現在の城は1446年に[[デズモンド王家]]の分家マスケリーのマッカーシーによって建設された<ref name="bcDOTie">[http://www.blarneycastle.ie/history BlarneyCastle.ie – History] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20090611130554/http://www.blarneycastle.ie/history |date=11 June 2009 }}</ref> 。 |
||
キスすると口が上手くなるという言い伝えがあるブラーニーストーンは、[[出し狭間]]の中にある。 |
キスすると口が上手くなるという言い伝えがあるブラーニーストーンは、[[出し狭間]]の中にある。 |
2020年8月30日 (日) 22:49時点における版
ブラーニー城 | |
---|---|
アイルランド共和国コーク県 | |
塔と主城天守 | |
座標 | 北緯51度55分44秒 西経8度34分15秒 / 北緯51.9289度 西経8.5708度座標: 北緯51度55分44秒 西経8度34分15秒 / 北緯51.9289度 西経8.5708度 |
種類 | 中世の城 |
地上高 | 約 90ft |
施設情報 | |
管理者 | MacCarthy family, en:Hollow Sword Blade Company,[1] Jefferyes family, Colthurst family[2] |
現況 | 部分的に廃墟、一般公開中 |
歴史 | |
建設 | 1210年 (元々の石の城) 1446年 (現在の城) |
建設者 | MacCarthys of en:Muskerry[3] |
主な出来事 | デズモンドの反乱, 1641年のアイルランド反乱, アイルランド同盟戦争, ウィリアマイト戦争 |
ブラーニー城(ブラーニーじょう、アイルランド語: Caisleán na Blarnan)は、アイルランド共和国コーク県ブラーニーの町、マーティン川の近くにある中世の城塞である。以前の城塞は同じ場所に建てられたが、現在の城は1446年にデズモンド王家の分家マスケリーのマッカーシーによって建設された[4] 。
キスすると口が上手くなるという言い伝えがあるブラーニーストーンは、出し狭間の中にある。
歴史
この場所には、1200年ごろに木造の城があったという記述があるが、その痕跡は見当たらない。1210年頃に石の城塞になった[4]。1446年に破壊され、その後、Kilcrea や Carrignamuck の城塞も建てていた[5]マスケリーのロード Cormac Laidir MacCarthyによって建てなおされた[6][7]。
アイルランド同盟戦争で、この城はブロッグヒル男爵(後のオーラリー伯爵)ロジャー・ボイルが率いる議会派に包囲され奪われた。しかし、再興後、クランカーティ伯爵になったドノー・マッカーシーによって修復された[8]。
1690年代のウィリアマイト戦争時には、4代目クランカーティ伯爵の領土は城と共に、ウィリアマイトに押収された。
Jefferyes家のメンバーは、後に天守近くに大邸宅を建てた。この家は火災で燃えてしまい、1874年にはブラーニー・ハウスと呼ばれていた代わりの大邸宅が近くの湖を見下ろすように建てられた[10]。19世紀半ば、Jefferyes家とColthurst家は結婚によって合併し、現在はColthurst家が土地を所有している[2]。
観光
一部廃墟となって、出入りが制限されているが一般公開されている。「Eloquence of Stone(雄弁の石)」として知られるブラーニーストーンは城の屋上の出し狭間にあり、キスが出来る状態になっている。この石の由来は諸説あり、リア・ファルという伝説の石であるという話もある。
城は広々とした庭園に囲まれており、ドルイドのサークル、魔女の洞窟、願い事の階段などの名前が付いた岩や、毒草が植えられた毒の庭などがある。
出典
- ^ The Hollow Sword Blades Company (London) purchased several estates forfeited after the Williamite war
- ^ a b c Landed Estates Database – Estate Record – Blarney
- ^ Samuel, Mark; Hamlyn, Kate (2007). Blarney Castle: Its History, Development and Purpose. コーク大学. ISBN 978-1-85918-411-0
- ^ a b BlarneyCastle.ie – History Archived 11 June 2009 at the Wayback Machine.
- ^ Westropp, Thomas Johnson. “The Monastery of St. Brigid, Kilcrea, and the Castle of the MacCarthys”. Journal of the Cork Historical and Archaeological Society (The Society, 1908): 220 .
- ^ Irish Pedigrees: MacCarthy, Lords Muskry #119
- ^ Inscription on machicolation reads "Cormac Macarthy fortis me fieri facit AD 1446"
- ^ Adams, C. L. (1906). Castles of Ireland: Some Fortress Histories and Legends. Fredonia. ISBN 1-4101-0300-5
- ^ BlarneyCastle.ie – Historic Events
- ^ BlarneyCastle.ie – Blarney House Archived 9 June 2009 at the Wayback Machine.
参考文献
- Hamlyn, Kate (2007), “Blarney Castle: Myth and Reality”, Irish Arts Review (2002–) 24 (4): 126–129, JSTOR 25503636