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一時パラグアイでの評価は低かったが、1964年に遺骨はパラグアイに戻され、国家功労者として祀られている<ref>山田昌弘『世界各国女傑列伝 全独立国から代表的な女性を一人ずつ紹介』社会評論社、2011年、109-111ページ。ISBN 978-4-7845-0967-6。</ref>。 |
一時パラグアイでの評価は低かったが、1964年に遺骨はパラグアイに戻され、国家功労者として祀られている<ref>山田昌弘『世界各国女傑列伝 全独立国から代表的な女性を一人ずつ紹介』社会評論社、2011年、109-111ページ。ISBN 978-4-7845-0967-6。</ref>。 |
2020年8月30日 (日) 22:48時点における版
エリサ・リンチ(Eliza Lynch, 1833年6月3日[1] - 1886年7月25日[2])は、パラグアイ共和国第2代大統領フランシスコ・ソラーノ・ロペスの妻。
1833年、イギリス領アイルランドのコーク県で生まれる[1]。10歳のときに発生したジャガイモ飢饉のため一家でパリに移住した。15歳でフランス陸軍の獣医と結婚、夫の赴任地アルジェリアへ随行したが、現地の風土が合わず単身でパリへ戻った。そこでパラグアイの初代大統領カルロス・アントニオ・ロペスの長男で、大使としてパリに滞在していたフランシスコ・ソラーノ・ロペスと知り合い、1855年にロペスとともにパラグアイに移った[3]。ロペスの家族をはじめ、アスンシオンの人々はエリサに対し冷淡であったが、1862年にソラーノ・ロペスが第2代大統領に就任すると、エリサは社交界を主導する存在となっていった。1864年に三国同盟戦争が発生すると、エリサは陣頭指揮をするソラーノ・ロペスに従い、ときには自ら兵を率いて連合軍を敗走させたこともあったといわれる。しかし戦争はパラグアイの完敗に終わり、ロペス家は国を破滅させた独裁者として糾弾されることになった。戦後はパラグアイを追放され、1886年にパリで死亡した。
一時パラグアイでの評価は低かったが、1964年に遺骨はパラグアイに戻され、国家功労者として祀られている[4]。
脚注
- ^ a b 中川 2006, p. 158.
- ^ 中川 2006, p. 122.
- ^ アスンシオン到着はロペスと別だったという文献もある (前田 1997, p. 27)。
- ^ 山田昌弘『世界各国女傑列伝 全独立国から代表的な女性を一人ずつ紹介』社会評論社、2011年、109-111ページ。ISBN 978-4-7845-0967-6。
参考文献
- 中川和彦「傾城の美姫「エリーザ・リンチ夫人」小伝」(PDF)『成城法学 教養論集』第20号、2006年3月、166-115頁。
- 前田正裕「エリサ・リンチ―パラグアイ戦争と女性」『ラテン・アメリカ時報』第40巻第6号、1997年6月、27-33頁。