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[[静岡県]]生まれ。[[京都産業大学]]法学部中退。母から[[ピアニスト]]になるように教え込まれていたが、一身上の都合で転身。[[ザ・ナターシャー・セブン|高石ともやとザ・ナターシャー・セブン]]の元メンバーとして、全国に名を知られるようになった。当時の芸名は城田じゅんじ。ナターシャーの前身である、[[バックステップ・カントリー・バンド]]の頃から[[高石ともや]]と活動。1970年代を通してナターシャーとして活躍していたが、メンバーの音楽性の方向性の違いによって1980年代に入りグループは活動停止。城田は[[坂庭省悟]]との活動は継続<ref>{{Cite web |url = https://web.archive.org/web/20191130221641/http://poohyokocho.com/pooh/shogo.html|title = ◆坂庭省悟&城田じゅんじ / FIFTY-FIFTY LIVE |publisher = poohyokocho.com |date = |accessdate = 2019-12-01}}</ref>しつつ、やがて活動の拠点をアメリカに移した。
[[静岡県]]生まれ。[[京都産業大学]]法学部中退。母から[[ピアニスト]]になるように教え込まれていたが、一身上の都合で転身。[[ザ・ナターシャー・セブン|高石ともやとザ・ナターシャー・セブン]]の元メンバーとして、全国に名を知られるようになった。当時の芸名は城田じゅんじ。ナターシャーの前身である、[[バックステップ・カントリー・バンド]]の頃から[[高石ともや]]と活動。1970年代を通してナターシャーとして活躍していたが、メンバーの音楽性の方向性の違いによって1980年代に入りグループは活動停止。城田は[[坂庭省悟]]との活動は継続<ref>{{Cite web |url = https://web.archive.org/web/20191130221641/http://poohyokocho.com/pooh/shogo.html|title = ◆坂庭省悟&城田じゅんじ / FIFTY-FIFTY LIVE |publisher = poohyokocho.com |date = |accessdate = 2019-12-01}}</ref>しつつ、やがて活動の拠点をアメリカに移した。


本格的にアイリッシュ・ミュージックに取り組みはじめたのは1991年頃。[[アイルランド]]、[[クレア|クレア]]地方のトラッドを継承するアコーディオン奏者[[アンドリュー・マクナマラ]]にその感性と技術を認められ、ギター奏者としてアイリッシュ・ミュージシャンの仲間入りをした。自らのアイディアによって結成したバンド「ジョディース・ヘブン」([[ジャック・ギルダー]]、[[デイル・ラス]]とのトリオ<ref>{{Cite web |url = http://www.sfcelticmusic.com/resource/lclmscns.htm|title = Jody's Heaven |publisher = www.sfcelticmusic.com |date = |accessdate = 2019-12-01}}</ref>)は1997年、全米におけるケルティック音楽のCD部門デブロンズ・プライズを獲得(「Jody’s Heaven<ref>{{Cite web |url = https://www.discogs.com/ja/artist/3340294-Junji-Shirota|title = Junji Shirota |publisher = www.discogs.com |date = |accessdate = 2019-12-01}}</ref>」)。
本格的にアイリッシュ・ミュージックに取り組みはじめたのは1991年頃。[[アイルランド]]、[[クレア|クレア]]地方のトラッドを継承するアコーディオン奏者[[アンドリュー・マクナマラ]]にその感性と技術を認められ、ギター奏者としてアイリッシュ・ミュージシャンの仲間入りをした。自らのアイディアによって結成したバンド「ジョディース・ヘブン」([[ジャック・ギルダー]]、[[デイル・ラス]]とのトリオ<ref>{{Cite web |url = http://www.sfcelticmusic.com/resource/lclmscns.htm|title = Jody's Heaven |publisher = www.sfcelticmusic.com |date = |accessdate = 2019-12-01}}</ref>)は1997年、全米におけるケルティック音楽のCD部門デブロンズ・プライズを獲得(「Jody’s Heaven<ref>{{Cite web |url = https://www.discogs.com/ja/artist/3340294-Junji-Shirota|title = Junji Shirota |publisher = www.discogs.com |date = |accessdate = 2019-12-01}}</ref>」)。


以降、[[アンドリュー・マクナマラ]]、[[マーティン・ヘイズ]]、[[パディ・キーナン]]、[[ノエル・ヒル]]、[[トミー・ピープルズ]]、[[フランキー・ギャヴィン (ミュージシャン)|フランキー・ギャヴィン]]、[[トニー・マクマホン]]、[[ブレンダン・ベグリー]]など、アイリッシュ・ミュージックにおける主要人物の伴奏者として活動する。毎年夏の音楽シーズンには、アイルランドに長期滞在。彼らとのセッションやコンサートを精力的に開いている。
以降、[[アンドリュー・マクナマラ]]、[[マーティン・ヘイズ]]、[[パディ・キーナン]]、[[ノエル・ヒル]]、[[トミー・ピープルズ]]、[[フランキー・ギャヴィン (ミュージシャン)|フランキー・ギャヴィン]]、[[トニー・マクマホン]]、[[ブレンダン・ベグリー]]など、アイリッシュ・ミュージックにおける主要人物の伴奏者として活動する。毎年夏の音楽シーズンには、アイルランドに長期滞在。彼らとのセッションやコンサートを精力的に開いている。

2020年8月30日 (日) 22:35時点における版

城田じゅんじ
出生名 城田純二
生誕 (1949-12-30) 1949年12月30日(74歳)
出身地 日本の旗 日本静岡県
学歴 京都産業大学法学部中退
ジャンル アイリッシュ・ミュージック
フォークソング
ブルーグラス
担当楽器
バンジョー
ギター
フィドル
共同作業者 ザ・ナターシャー・セブン

城田 じゅんじ(しろた じゅんじ、本名・城田純二、1949年12月30日 - )は、日本のアイリッシュ・ミュージックの音楽家。かつてはギターおよびバンジョー奏者として、アメリカン・フォークやジャパニーズ・フォークの人物として活動していた。

略歴

静岡県生まれ。京都産業大学法学部中退。母からピアニストになるように教え込まれていたが、一身上の都合で転身。高石ともやとザ・ナターシャー・セブンの元メンバーとして、全国に名を知られるようになった。当時の芸名は城田じゅんじ。ナターシャーの前身である、バックステップ・カントリー・バンドの頃から高石ともやと活動。1970年代を通してナターシャーとして活躍していたが、メンバーの音楽性の方向性の違いによって1980年代に入りグループは活動停止。城田は坂庭省悟との活動は継続[1]しつつ、やがて活動の拠点をアメリカに移した。

本格的にアイリッシュ・ミュージックに取り組みはじめたのは1991年頃。アイルランドクレア地方のトラッドを継承するアコーディオン奏者アンドリュー・マクナマラにその感性と技術を認められ、ギター奏者としてアイリッシュ・ミュージシャンの仲間入りをした。自らのアイディアによって結成したバンド「ジョディース・ヘブン」(ジャック・ギルダーデイル・ラスとのトリオ[2])は1997年、全米におけるケルティック音楽のCD部門デブロンズ・プライズを獲得(「Jody’s Heaven[3]」)。

以降、アンドリュー・マクナマラマーティン・ヘイズパディ・キーナンノエル・ヒルトミー・ピープルズフランキー・ギャヴィントニー・マクマホンブレンダン・ベグリーなど、アイリッシュ・ミュージックにおける主要人物の伴奏者として活動する。毎年夏の音楽シーズンには、アイルランドに長期滞在。彼らとのセッションやコンサートを精力的に開いている。

2011年7月10日、京都・円山音楽堂で開催された「最後の宵々山コンサート」に、再結成したザ・ナターシャー・セブンとして登場し、高石ともやらと一緒に演奏。2012年以降、高石ともやと二人で「ザ・ナターシャー・セブン The next chapter[4]」と題してナターシャー・セブンの足跡を辿る音楽会を行っている。

元はピアニスト志望だったため、トルコ行進曲も余興で入れることができた[5]

ディスコグラフィー

代表的なソロアルバムは「Soft Shoes」(東芝EMI)。サブタイトルは「城田じゅんじ from THE NATARSHER SEVEN」[6]

アイリッシュ・ミュージックのソロアルバムに「Music from Distant Shore」「From There to Clare」などがある。そのほか「Keep Her Lit!」「Music In The Air」「The Rambler」「Through The Wood」など。

エア・ジャパン(イーリアンパイプスのパディ・キ-ナン、フィドルのフランキ-・ギャビン、ギター&バンジョーの城田純二)のCD「Eire Japan」を2015年に発売[7]

脚注

  1. ^ ◆坂庭省悟&城田じゅんじ / FIFTY-FIFTY LIVE”. poohyokocho.com. 2019年12月1日閲覧。
  2. ^ Jody's Heaven”. www.sfcelticmusic.com. 2019年12月1日閲覧。
  3. ^ Junji Shirota”. www.discogs.com. 2019年12月1日閲覧。
  4. ^ 第3回 ザ・ナターシャー・セブン The next chapter”. www.livefans.jp. 2019年12月1日閲覧。
  5. ^ 城田じゅんじ トルコ行進曲”. www.youtube.com. 2019年12月1日閲覧。
  6. ^ Soft Shoes - 城田じゅんじ from THE NATARSHER SEVEN”. img.snowrecords.com. 2019年12月2日閲覧。
  7. ^ エアー・ジャパンはイーリアン・パイプスのパディ・キーナン、フィドルのフランキー・ギャビン、ギター・バンジョーの城田純二によるトリオ。”. www.marekanaito.com. 2019年12月1日閲覧。

外部リンク