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「ミルタウン伯爵」の版間の差分

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『クラクロフト貴族名鑑<small>(Cracroft's Peerage)</small>』によれば、ロバート以降はいかなる請願もなされていないが、初代伯ジョセフの四男ロバート・リーソン卿<small>(1773-1850)</small>の子孫が存命である可能性があるため、爵位再興の余地は依然として残されている<ref name=":0" />。
『クラクロフト貴族名鑑<small>(Cracroft's Peerage)</small>』によれば、ロバート以降はいかなる請願もなされていないが、初代伯ジョセフの四男ロバート・リーソン卿<small>(1773-1850)</small>の子孫が存命である可能性があるため、爵位再興の余地は依然として残されている<ref name=":0" />。


一族のかつての邸宅は、[[ウィックロー]]ブレッシントン湖畔に位置する{{仮リンク|ラスバラ・ハウス|en|Russborough_House}}であったが、6代伯の死後は伯爵家の手を離れて現在はベイド家の所有となって現在に至っている<ref name=":1" /><ref>{{Cite web|title=Historic House, Outdoor Activities{{!}} Blessington, Co. Wicklow|url=https://www.russborough.ie/|website=www.russborough.ie|accessdate=2020-04-07|language=en}}</ref>。
一族のかつての邸宅は、[[ウィックロー]]ブレッシントン湖畔に位置する{{仮リンク|ラスバラ・ハウス|en|Russborough_House}}であったが、6代伯の死後は伯爵家の手を離れて現在はベイド家の所有となって現在に至っている<ref name=":1" /><ref>{{Cite web|title=Historic House, Outdoor Activities{{!}} Blessington, Co. Wicklow|url=https://www.russborough.ie/|website=www.russborough.ie|accessdate=2020-04-07|language=en}}</ref>。


一族の[[モットー (紋章学)|モットー]]は「暗闇より出でて光り輝く<small>(Clarior e tenebris)</small>」<ref name=":0" />。
一族の[[モットー (紋章学)|モットー]]は「暗闇より出でて光り輝く<small>(Clarior e tenebris)</small>」<ref name=":0" />。

2020年8月30日 (日) 22:32時点における版

初代伯ジョセフ・リーソン
伯爵家旧邸宅ラスバラ・ハウス英語版。6代伯の死後は他者を転々とした。

ミルタウン伯爵(: Earl of Milltown)はイギリスの伯爵貴族アイルランド貴族爵位。政治家ジョセフ・リーソン1763年に叙されたが、7代伯の死後は休止[註釈 1](dormant)の状態にある。

歴史

6代伯を描いたカリカチュア

(Spyバニティ・フェア誌1883年11月号)

政治家ジョセフ・リースン(1701–1783)ラスコーマック選挙区英語版選出のアイルランド庶民院議員として活動したのち、1756年5月5日ウィックロー州におけるラスバラ男爵(Baron Russborough, in the County of Wicklow)を与えられた[1][2][3][4]。彼はさらに1760年9月8日にウィックロー州ラッセルズタウンのラスバラ子爵(Viscount Russborough, of Russellstown in the County of Wicklow)に昇叙したほか、1763年5月10日にはダブリン州におけるミルタウン伯爵(Earl of Milltown, in the County of Dublin)に陛爵している[1][2][5]。一連の爵位はすべてアイルランド貴族爵位である[1]

初代伯が1783年に没すると、爵位は長男ジョセフ(2代伯,1730-1801)、次男ブライス(3代伯)の順で継承された[1][2]

3代伯ブライス(1735-1807)は長男ラスバラ卿ジョセフ(1766-1800)に先立たれていたため、孫にあたるジョセフ(4代伯,1799-1866)、さらにその長男ジョセフ(5代伯)によって相続された[註釈 2][1][2][4]

5代伯ジョセフ・ヘンリー(1829-1871)英国陸軍軍人としてアイルランド総督副官を務めたが彼には子がなかったため、爵位は弟エドワードが相続した[1][4]

6代伯エドワード(1835-1890)法廷弁護士を務めていたが、襲爵後はアイルランド貴族代表議員ウィクロー州統監英語版を歴任した[1][4][6]。彼にも嗣子がなかったため、爵位は末弟ヘンリーがその後を襲った[1]

7代伯ヘンリー(1837-1891)が襲爵後わずか半年で亡くなると、爵位は休止となった[1][4]

休止後の歴史

7代伯の死後は、ジョン・リーソン(John Leeson,1827-1905)[註釈 3]が爵位の継承を主張したほか、その死後はロバート・リーソン(Robert Leeson,1842-1906)[註釈 4]も同様の主張を行ったが、いずれもその旨を認める貴族院の裁定は下されていない[1][4]

『クラクロフト貴族名鑑(Cracroft's Peerage)』によれば、ロバート以降はいかなる請願もなされていないが、初代伯ジョセフの四男ロバート・リーソン卿(1773-1850)の子孫が存命である可能性があるため、爵位再興の余地は依然として残されている[1]

一族のかつての邸宅は、ウィックロー県ブレッシントン湖畔に位置するラスバラ・ハウス英語版であったが、6代伯の死後は伯爵家の手を離れて現在はベイド家の所有となって現在に至っている[4][7]

一族のモットーは「暗闇より出でて光り輝く(Clarior e tenebris)[1]

ミルタウン伯爵(1763年)

系譜図

ミルタウン伯爵 系譜図
 
セシリア・リー
(-1737)
 
 
 
ジョセフ・リーソン
初代ミルタウン伯爵
(1701-1783)
 
 
 
 
 
 
 
エリザベス・フレンチ
(1742頃-1842)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジョセフ・リーソン
第2代ミルタウン伯爵
(1730-1801)
 
ブライス・リーソン
第3代ミルタウン伯爵
(1735-1807)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ウィリアム・リーソン
(1770-1819)
 
ロバート・リーソン
(1773-1850)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジョセフ・リーソン
ラスバラ卿
(1766-1800)
 
 
 
 
 
ジョン・リーソン
(1767-1835)
 
ロバート・リーソン
(1772-1842)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジョセフ・リーソン
第4代ミルタウン伯爵
(1799-1866)
 
 
 
 
 
ジョセフ・リーソン
(1796-1847)
 
ジョセフ・リーソン
(1813-1850)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジョセフ・ヘンリー・リーソン
第5代ミルタウン伯爵
(1829-1871)
 
エドワード・ニュージェント・リーソン
第6代ミルタウン伯爵
(1835-1890)
 
ヘンリー・リーソン
第7代ミルタウン伯爵
(1837-1891)
1891年爵位休止
(dormant)
 
ジョン・リーソン
(1827-1905)
 
ロバート・リーソン
(1842-1906)
 
 


脚注

註釈

  1. ^ 休止とは、爵位を継承すべき男子が存在する可能性があるが未確定、あるいはその権利保持者が爵位回復に対する請願(claim)を行っていない状況を指す。この場合、廃絶(extinct)扱いできないため、あえて『休止』と表現する。したがって、回復可能性のあった男子全員の死が立証された場合、その爵位はあらためて廃絶となる。また、権利保持者存在性の明確さにおいて停止とは異なる概念を有している。
  2. ^ 3代伯の長男、孫、ひ孫はいずれも同名。
  3. ^ 3代伯の次男ジョンの孫にあたる人物。
  4. ^ 3代伯の三男ロバートの孫にあたる人物。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l Milltown, Earl of (I, 1763 - dormant 1891)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年4月7日閲覧。
  2. ^ a b c d Cokayne, George Edward, ed. (1893). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M) (英語). Vol. 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 316–317.
  3. ^ No.9578”. The Gazette 27 April 1756. 2020年4月6日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. (1921). pp. 634-635. http://archive.org/details/debrettspeeraget00unse 
  5. ^ No.10029”. The Gazette 23 August 1760. 2020年4月6日閲覧。
  6. ^ No.24993”. The Gazette 5 July 1881. 2020年4月6日閲覧。
  7. ^ Historic House, Outdoor Activities| Blessington, Co. Wicklow” (英語). www.russborough.ie. 2020年4月7日閲覧。

関連項目