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== 経歴 ==
== 経歴 ==
[[ダブリン]]の郊外で生まれ、[[キルデア]]の[[セルブリッジ]]で育った。
[[ダブリン]]の郊外で生まれ、[[キルデア]]の[[セルブリッジ]]で育った。


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{{仮リンク|ジュニパー (バンド)|label=ジュニパー|en|Juniper (band) }}というロックバンドを結成、ヴォーカルとソングライティングを担当していた。ジュニパーは1997年に[[ポリグラム・レコード]]との契約を得るが、ライスはシングル2作のリリース後に脱退<ref name=wilson>{{Cite web |url=http://www.allmusic.com/artist/damien-rice-mn0000667584/biography |last=Wilson |first=MacKenzie |title=Damian Rice - Biography & History |publisher=AllMusic |accessdate=2015-12-14}}</ref>。1999年、[[トスカーナ]]に移住し、ヨーロッパ中をアコースティック・ギターを演奏して歌いながら、ストリート・パフォーマンスをして廻った。1年後にダブリンに戻った彼は、借りられるだけのお金を借りて、デモを記録。[[ビョーク]]などのプロデューサーで映画作曲家の[[デヴィッド・アーノルド]]にそのデモを送った。デモを気に入ったアーノルドは、ロンドンで"The Blower's Daughter"をレコーディングするよう提案したが、ライスは自宅でのレコーディングにこだわったため<ref name=block>{{Cite web |url=http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=1307942 |last=Block |first=Melissa |title=Irish Troubadour Damien Rice |publisher=NPR |accessdate=2015-12-14}}</ref>、ライスの移動式スタジオの設置を援助した<ref name=wilson />。そして、ライスは8トラック・レコーダーでデビュー・アルバム『O』を完成させ<ref name=block />、2002年2月にリリース。このアルバムはアイルランドのアルバム・チャートで2位となり<ref name=irishcharts>[http://irish-charts.com/showinterpret.asp?interpret=Damien+Rice irish-charts.com - Discography Damien Rice]</ref>、後にイギリス(最高8位<ref>[http://www.officialcharts.com/artist/12452/damien-rice/ DAMIEN RICE | full Official Chart History | Official Chart Company]</ref>)、アメリカ(最高114位<ref>[http://www.allmusic.com/artist/damien-rice-mn0000667584/awards Damien Rice | Awards | AllMusic]</ref>)などの国でもチャート入りした。その後、[[トーリ・エイモス]]のアルバム『[[ビーキーパー]]』(2005年)収録曲「ザ・パワー・オブ・オレンジ・ニッカーズ」をエイモスとデュエットした<ref>{{Cite web |url=http://www.rollingstone.com/music/albumreviews/the-beekeeper-20050224 |last=Walters |first=Barry |title=Tori Amos The Beekeeper Album Review |publisher=Rolling Stone |date=2005-02-24 |accessdate=2015-12-14}}</ref>。

2020年8月30日 (日) 21:56時点における版

ダミアン・ライス

ダミアン・ライスDamien Rice1973年12月7日 - )は、アイルランドフォークシンガー

経歴

ダブリンの郊外で生まれ、キルデア県セルブリッジで育った。

ジュニパー英語版というロックバンドを結成、ヴォーカルとソングライティングを担当していた。ジュニパーは1997年にポリグラム・レコードとの契約を得るが、ライスはシングル2作のリリース後に脱退[1]。1999年、トスカーナに移住し、ヨーロッパ中をアコースティック・ギターを演奏して歌いながら、ストリート・パフォーマンスをして廻った。1年後にダブリンに戻った彼は、借りられるだけのお金を借りて、デモを記録。ビョークなどのプロデューサーで映画作曲家のデヴィッド・アーノルドにそのデモを送った。デモを気に入ったアーノルドは、ロンドンで"The Blower's Daughter"をレコーディングするよう提案したが、ライスは自宅でのレコーディングにこだわったため[2]、ライスの移動式スタジオの設置を援助した[1]。そして、ライスは8トラック・レコーダーでデビュー・アルバム『O』を完成させ[2]、2002年2月にリリース。このアルバムはアイルランドのアルバム・チャートで2位となり[3]、後にイギリス(最高8位[4])、アメリカ(最高114位[5])などの国でもチャート入りした。その後、トーリ・エイモスのアルバム『ビーキーパー』(2005年)収録曲「ザ・パワー・オブ・オレンジ・ニッカーズ」をエイモスとデュエットした[6]

2008年にレナード・コーエンのダブリン公演でオープニング・アクトを務めるが、それ以後ライヴ活動を停止する[1]。2011年、『Q』誌の企画によるU2のトリビュート・アルバム『AHK-toong BAY-bi Covered』に「ワン」のカヴァーを提供した[7]。2014年にはライヴ活動を再開し、同年に8年ぶりのアルバム『マイ・フェイヴァリット・フェイデッド・ファンタジー』をリリースした[1]

ディスコグラフィー

アルバム

1st 2002年2月1日 O アイルランドでプラチナム、UKでゴールドを獲得。
2nd 2006年11月3日 9 全英初登場4位、全米22位、アイルランド1位
3rd 2014年10月31日 My Favourite Faded Fantasy アイルランド1位

日本公演

FUJI ROCK FESTIVAL 07に出演のため初来日する予定だったが、急病(という名目だが、後述の日本の捕鯨への反発のため)を理由にキャンセルした。突然の発表だったため、開催場で知ったファンも多かった。

エピソード

反捕鯨派であることが知られている。 FUJI ROCK FESTIVAL 07の出演をキャンセルした際、パンフレットにダミアン直筆の"Don't kill my brother & sister"というメッセージがクジラのイラストと共に掲載された。

脚注・出典

  1. ^ a b c d Wilson, MacKenzie. “Damian Rice - Biography & History”. AllMusic. 2015年12月14日閲覧。
  2. ^ a b Block, Melissa. “Irish Troubadour Damien Rice”. NPR. 2015年12月14日閲覧。
  3. ^ irish-charts.com - Discography Damien Rice
  4. ^ DAMIEN RICE | full Official Chart History | Official Chart Company
  5. ^ Damien Rice | Awards | AllMusic
  6. ^ Walters, Barry (2005年2月24日). “Tori Amos The Beekeeper Album Review”. Rolling Stone. 2015年12月14日閲覧。
  7. ^ Damien Rice Covers U2's "One"”. Stereogum. SpinMedia (2011年10月14日). 2015年12月14日閲覧。

外部リンク