「ノート:純正律」の版間の差分
純正律についてインターネットで公開されているページを調査しました。ーその1 |
純正律についてインターネットで公開されているページを調査しました。-その2 |
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この後、このページは純正律が世界の主要各国でどのような言葉で語られるかに終始しております。 |
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純正律自体の説明に関しては、文中に「僕がスタジオで、C=1/1、D=9/8、E=5/4、F=4/3、G=3/2、A=5/3、B=15/8、 C=2/1という、純正律を振動数の比で表した表を眺めながらいろいろ思案していると、」と言うような表現で語られるのみで、純正律の本質についての説明が不足しているように感じられます。 |
純正律自体の説明に関しては、文中に「僕がスタジオで、C=1/1、D=9/8、E=5/4、F=4/3、G=3/2、A=5/3、B=15/8、 C=2/1という、純正律を振動数の比で表した表を眺めながらいろいろ思案していると、」と言うような表現で語られるのみで、純正律の本質についての説明が不足しているように感じられます。 |
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田中正造の純正調オルガンのキートップについては、駿河・遠州の旅/その2(http://lovehim.at.webry.info/200608/article_5.html)および、今日だけ日記書きます(http://blog.livedoor.jp/imperialshok/)に写真が掲載されております。 |
2006年9月27日 (水) 07:37時点における版
本文ー長調の項の後半部
となる。この音律を、先の3つの和音だけを使って演奏すれば、非常によい音色がするはずであるが、これら三つの和音の次によく使われるレ-ファ-ラの和音は
となり、非常に濁った響きとなる。よって、この音律だけを使って音楽を演奏することは実際的であるとは言えない。
とあるが、実際に合唱曲などでこのレ-ファ-ラの和音に遭遇することは良くある。しかし、この場合に濁った響きをそのままに唄うことは人間ではできない。濁った響きを解消するためにコンマ移高が起こる。レ-ファ-ラの和音の場合はレの音の周波数が80/81倍に低下する。そうすると
となって、短調の澄んだ三和音になる。コンマ移高は長調ー短調間の転調や5度転調に伴って生ずる。 調子記号が同じ「ハ長調」と「イ短調」とのそれぞれの純正律を対比してみると「レ」の音の高さが異なることに気付くはずであり「レ-ファ-ラ」の和音、は短三和音なのでこれに長調の音階をそのまま適用することに無理があると言わざるを得ず、実際の演奏曲の中でこの和音が使われた場合は、そこでは一時的に短調に転調されていると解釈すべきである。
短調
短調の純正律を作るには、短調で最も用いられるラ-ド-ミの和音、レ-ファ-ラの和音、ミ-ソ-シの和音がそれぞれ10:12:15の周波数比で鳴らせるように置かれる。すなわち、レ-ファ-ラ-ド-ミ-ソ-シが、
となり、これらをオクターブ内にラ-シ-ド-レ-ミ-ファ-ソと並べると、
となる。この音律を、先の3つの和音だけを使って演奏すれば、非常によい音色がするはずであるが、これら三つの和音の次によく使われるソ-シ-レの和音は
となり、非常に濁った響きとなる。実際の曲の中にこの「ソ-シ-レの和音」が現れた場合には、そこでは既に長調に転調されていると解釈すべきであり「レ」の音に「コンマ移高」が起こり、周波数が81/80倍になる。そうすると
となり、長調の落着いた響きになる。
- まず、長調のII度は短調である、とは、一般に認められる理論ではありません。また、「コンマ移高」が起こるという具体的な論拠をWP:Vに従ってあげていただけますか?--っ 2006年9月14日 (木) 14:32 (UTC)
「短調の和音」は不適切な書き方でした。「短三和音」に訂正しました。
平凡社の百科事典を見ると、ウィキペディアの純正律の定義よりも広い解釈がなされている。 さらに別項目として、田中式純正調オルガンが紹介されている。このオルガンは、 「オクターブの間に21個の鍵を備え、さらに音転換装置により10個の音が補充され、 オクターブの間に31個の音を発することが可能で完全な和声を響くようになる。」とされている。 もし、純正調においてもコンマ移高の現象が存在しなければ、純正調オルガンにこのように多くの 鍵を備える必要が起こらない筈であり、コンマ移高があり得ないとするウィキペディアの立場は 全く理解できない。 著作権の制限および書かれた内容が検証可能でなければならないと言う主張は理解できるけれども、 他の百科事典に記載されていることも、可能な限り包含するような内容とすべきではないだろうか?
純正律についてインターネットで公開されているページをGoogleで検索し、最初の50までを見ました。 その多くはWikipediaと同じ立場を採る狭義の解釈で、田中正造の純正調オルガンは完全に無視しています。 多数意見を採ると言うならWikipediaは正しいかもしれないが、それでは愚衆政治と同じで、その中に真実があるとは思えない。 これらの狭義の解釈は悪意に満ちた喧伝で、純正律の良さや目的をなにも表現していないとも思える。
純正律の史実については、NPO法人純正律研究会のColumn/純正律講座上級編(http://www.pure-music.ne.jp/column/column5_4.html)に詳述されています。このなかで純正律の定義は、平凡社の『音楽大事典』が次のように引用されております。
――純正律 じゅんせいりつ just intonation[英]、reine Stimmung、 naturliche Stimmung[独] (フランス語では直接これにあたる言葉はなく、「アリ ストクセノス音階」gamme d'Aristoxene、 または「ツァルリーノ音階」gamme de Zarlinoなどと呼ぶ) 純正調とも言う〈……〉
この後、このページは純正律が世界の主要各国でどのような言葉で語られるかに終始しております。 純正律自体の説明に関しては、文中に「僕がスタジオで、C=1/1、D=9/8、E=5/4、F=4/3、G=3/2、A=5/3、B=15/8、 C=2/1という、純正律を振動数の比で表した表を眺めながらいろいろ思案していると、」と言うような表現で語られるのみで、純正律の本質についての説明が不足しているように感じられます。
田中正造の純正調オルガンのキートップについては、駿河・遠州の旅/その2(http://lovehim.at.webry.info/200608/article_5.html)および、今日だけ日記書きます(http://blog.livedoor.jp/imperialshok/)に写真が掲載されております。