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2020年8月26日 (水) 05:17時点における版
葉 選寧 | |
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葉選寧 | |
第九期中国人民政治協商会議常務委員 | |
任期 1998年3月3日 – 2003年3月3日 | |
主席 | 李瑞環 |
第八期中国人民政治協商会議委員 | |
任期 1993年3月3日 – 1998年3月3日 | |
中国人民解放軍総政治部聯絡部部長 | |
任期 1990年6月 – 1998年10月 | |
前任者 | 金黎 |
後任者 | 梁宏昌 |
個人情報 | |
生誕 | 1938年10月 イギリス領香港 |
死没 | 2016年7月10日(77歳) 中華人民共和国 広東省広州市 |
国籍 | 中華人民共和国 |
政党 | 中国共産党 |
配偶者 | 銭寧戈 |
親戚 | 葉選平 葉選廉 |
子供 | 葉弘 葉静子 |
親 | 葉剣英 曽憲植 |
出身校 | 北京理工大学 |
職業 | 政治家、書家、起業家 |
兵役経験 | |
所属国 | 中国 |
所属組織 | 中国人民解放軍陸軍 |
軍歴 | 1984年-1997年 |
最終階級 | 少将 |
葉 選寧(よう せんねい、1938年10月 - 2016年7月10日)は、中華人民共和国の政治家。あだ名は葉三、ペンネームは岳楓である。中国人民解放軍の元老葉剣英の次男である[1]。いわゆる太子党の1人。香港生まれで、本籍地は広東省梅県。書道家として草書が得意である[2]。
略歴
本籍地は広東省梅県で、1938年10月に英領香港に生まれた。彼は湖南省にある母方の祖母の生家(曽国藩故居)で育たれた。1950年に家族とともに北京市に移住した。
1958年9月にハルビン軍事工程学院(現在のハルビン工程大学)に入学し、体調不良のために学校を休んだ。1960年に北京工業学院(現在の北京理工大学)無線電電子工程系を卒業した。卒業後は湖南省株洲市無線電元件廠の実習生となり、江西省上饒市にも派遣されていた。1974年に右腕は職場での事故で切断された。
1974年に政界入りし、国務院僑務事務辦公室副組長、副司長などを歴任し、1978年に国務院経済委員会弁公庁庁長の康世恩秘書となった。
1980年にビジネス界に入り、滄浪咨詢公司の社長となった。1984年に中国国際友好聯絡会の副会長となり、同年に中国人民解放軍に入隊した。1988年9月に少将階級を授与された。1990年に中国人民解放軍総政治部聯絡部の部長となった。
1993年に中国凱利実業有限公司の社長となった。1997年に復員した。
2016年7月10日、肺癌のために広東省広州市の中山病院で死去。77歳没。
家族
脚注
- ^ “媒体:开国元勋叶剑英次子叶选宁去世” (中国語). 騰訊網. (2016年7月19日)
- ^ “《晴耕雨读——叶选宁习字展》在岳麓书院举办” (中国語). 鳳凰網. (2015年10月11日)